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アセクシュアルであることに気付くこと、受け入れること 論文紹介その1

まだまだ情報が少ないアセクシュアル(無性愛)について。国内外の学術論文を紹介します☺

今回は国内で2019年に発表された論文を。吉岡真梨子さんという方の論文です。

「Asexualであるという自覚はいかにしてなされ自己受容されるのか?-ライフストーリー・インタビューによる事例から-」

広島大学大学院教育学研究科が刊行している「学習開発学講座学習開発学研究」 12号 61-70頁に掲載されています。CiNiiというサイトからダウンロードできます。

あるアセクシュアルの女子大学生Aさんへのインタビューをメインとした論文。日本の事例を取り上げた論文は初めてじゃないかな?たぶん。なんだか嬉しい。

この論文は、専門知識とかなくてもさっくり読めるものなので、私の感想をメインに書きます。

Aさんは、いわゆるノンセクシュアル=Romantic-Asexual(定義については、私が書いたこちらの記事をどうぞ「アセクシュアルという定義の迷宮に入り込んでしまった、あなたへ」)で、恋愛感情は抱くけれど、他者に性的欲求を抱くことはないという方。

安心感を抱くことが好きということであるという恋愛観」を持っていて、高校時代には恋愛に対して肯定的な感情も抱いているが、「性的欲求と行為に関する周囲や相手とのギャップ」が次第に明らかになっていって、「ギャップが解消されないために、相手への罪悪感が生じており、悩みへと発展」(鍵括弧の中は論文からの引用です)

わかるな~。こちらは安心感を恋愛に求めていて、それでうまく回っているときは恋愛自体にも肯定的になれる。でも、性的欲求という要素が入ってくるようになると、周囲とのギャップがどうしても生じてしまって、特に相手への罪悪感が生まれ、そこが悩みになる。10代以降のアセクシュアルあるあるなんじゃないかな。

留学先でアセクシュアルという概念を知ったAさん。

アセクシュアルという概念を知り、「『違和感の正体がわか』ったことで、『違って当然じゃん、だってセクシュアリティが違うんだからっていう理由づけに気付けた。』というポジティブな感情を抱くことができた」「『...もやもやに名前がついた』」

私も別の記事(「アセクシュアルという概念との出会い」)で「自分の空虚さに名前がつく」ことで心がときほぐされた、と書いたけれど、これって本当に不思議よね。名前がつくことで安心できるのってなんでだろう。名前のないものは未知なものだからこわいのかな。

カミングアウトをして、ネガティブな反応を受けた経験についても語られている。

カミングアウトした相手に「『...それって、君がまだ成熟してないだけかもしれないよね、その可能性もあるよね』」と言われた。

私も経験があるわ...(自分の記事紹介ばかりになって申し訳ないけれど、詳細は「童貞・処女だからでしょ?と言われてもがいたアセクシュアルの話」に書いてます)

これ言われると「そうかもね~」としか返せないんよね。理解されないのは仕方がないと思いつつ、真剣に受け止めてもらえなかったな~ってことが悲しくなる。カミングアウトって、しなくても普通に生きていける世界が理想だし、特にアセクシュアルの場合は現状でも、カミングアウトする必要性はほぼない訳だけど、自分のこと知っておいてもらいたいなって思いがカミングアウトへと向かわせる瞬間がある。自分を知ってほしいってただのエゴかもしれないけれど、一つの愛情の表現方法でもあるわけで。アセクシュアルにとって数少ない愛情の表現方法を駆使した結果、拒絶されるってね、悲しいよね。


論文の後半では、自分のセクシュアリティを自覚し、受け入れるまでの過程に分析が加えられています。

簡単にまとめると、

周囲の価値観とのギャップ→アセクシュアルを知る⇒解放感・安心感

アセクシュアル当事者からすると、「だよね~」って感じ。

当事者自身がセクシャルマイノリティに対して偏見や差別を持っている場合は、自分がアセクシュアルであることを受け入れにくくなると分析が加えられていて、なるほどと思った。確かに、セクシャルマイノリティに偏見・差別がある人は、自分の抱えている問題を、セクシャリティの問題として扱うのに抵抗があるかもしれない。特にアセクシュアルは、セクシャリティとして曖昧なところがあるから、別の問題として扱えられるならそうしようってなるのかも。

セクシャリティの問題として受け入れたことで初めて、すっきりと問題が片付いた感じがしている私にとっては、そんな自分のなかの偏見や差別捨ててしまえ、って思うけど。


また論文のまとめでは、当事者がアセクシュアルという用語や他のアセクシュアルの人と知り合うことが難しい現状についても語られています。

「日本では...性的欲求や行為については非常にプライベートな問題であり、公的な場で話題に出すことは忌避される傾向にある」

これは、マイノリティ如何に関わらず、性教育全体が面している課題よね。「恥ずかしいことじゃないから語って!」って押し付けるのも、苦痛を与える可能性があるし。(こんな記事も書いとります「保健の授業がどうしようもなく苦手だったアセクシュアルの反省と願い」)


【論文全体への感想】

教育学系の学会誌に掲載されていた論文なので、教育という視点、人間の発達という視点から論じられていたのが興味深いです。アセクシュアルが研究対象になることに違和感を覚える当事者もいるかもしれないけれど、私は結構面白く読めました。もちろん、研究の方向性によって良し悪しはあるけれど、研究という方向から分析する視点が加わるのは自分の問題を捉えるうえでも大事だなと思いました。

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