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怒られるのが苦手

 僕は、怒られるのが苦手です。まあ、怒られるのが好きと言う人は稀だとは思いますが、時折りネタとして「怒っている」「怒られる」は使っています(笑)

 最近は、アドラーの“課題の分離”を実施しているので、怒られるダメージを以前よりは軽減できているかと思います。

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 それと、障害を開示して就職したので、怒られる頻度も激減し、精神衛生上の健康も保ちやすくなり、メンタルの安定性も持続できているのもあるでしょう。

 ここで、Twitter上にかつての自分を代弁したツイートがあったので、ご紹介します。

 怒られると、その場にいてはいけないように感じたり、注意されると自分の全てを否定されたように感じる。
 だから怒られるのも注意されるのもすごく嫌。

 以前の職場で適応障害を呈するまで、上記のような感じでしたので、すごく生きづらさを感じていました。発達障害の影響もあるでしょうが、自己愛や愛着の病理も少なからず自分に存在しているのだろうと思います。

 精神領域で仕事をするようになり、発達障害以外にも人格障害や愛着障害も勉強し始めて、自分に当てはまる要素がいくつかあるように感じました。

 愛着障害や人格障害を語ろうとすると、かなり文面を使うことになるので今回は割愛しますが、発達障害を抱えている人の生きづらさには、発達の問題だけではなく、親子間での愛着形成のミスマッチや、青年期までを過ごした環境の影響によって形成された人格の偏りも少なからずあるのではと考えられます。(人格形成は18歳までで決まると言われています。)

 さらには、家族の文脈や育った共同体の文脈が、今を生きる社会との文脈とのミスマッチも生きづらさの要因としてありそうな気がします。

 ともあれ仕事を通じて、自分が怒られるのが苦手な理由がようやく分かってきたので、生きやすくなっているのは確かでしょう。

 精神科領域での仕事は、自分自身を知る事にもつながり一石二鳥ですね。

 仕事と個人の探求心がマッチすることは、恵まれているなと思います。今後も学びを深めながら、自己研鑽に励んでいきたいです。

 最後まで読んで頂きありがとうございます^^




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