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「合理的配慮の提供の義務化」は素晴らしい事だけなのか?

 令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されました。

 雇用における合理的配慮とは、求人に応募した障害者や雇用している障害者に対して、事業者の負担が重すぎない範囲で、働く上で支障となっている事情を取り除く措置を講ずることです。
 ただし合理的配慮とは、個々の障害者の状態や職場の状況によって提供されるものであるため、多様で個別性が高いものであり、当事者間での十分な話し合いが必要になります。

 合理的配慮を考える上では、配慮を必要とすることが本質的な職務を進める上でで必要不可欠なことなのか。または周辺的なことであるのかを考えることが重要です。それは求められた仕事で能力を発揮するために、配慮がなされず本人が本来持っている能力を発揮できない状況を改善することが、「合理的配慮の提供」ということになります。

 先日、SNS上でインフルエンサーさんが次のような投稿をしていました。(内容を要約しています)

 4月1日からの法改正により、合理的配慮が「努力義務」から「義務」となり、障害者にとって大きな進歩です。これまで会社にとってはあくまで「努力義務」だったため、実際に配慮が行われることは稀でしたが、新たな法改正により、会社が合理的配慮を怠れば罰則が与えられる可能性が生じます。具体的には、大臣からの指導や最大20万円以下の過料が科せられることがあります。また、法改正により、会社が合理的配慮を行わない場合に裁判に訴えることが可能になりました。これにより、合理的配慮を堂々と受けられる時代が到来しました。

 確かに合理的配慮の義務化は進歩ですが、その解釈が過度にポジティブであるという疑問もあります。

 会社側としては、合理的配慮を怠ることで裁判に訴えられるリスクが生じることを考慮する必要があります。そのため、選考基準がより厳しくなる可能性があり、雇用した場合に配慮を行うことで得られるリターンに対する見極めが重要となります。また、配慮を実施するためには追加の人的リソースが必要であり、成果を求める流れの中で配慮を行うことは容易ではありません。

 さらに、雇用した当事者との揉め事が裁判沙汰に発展することを嫌がる会社もあります。そのため、選考の段階で面倒なことになりそうな候補者を「本質的な能力」の不十分さを理由に不採用にする可能性も考えられます。 

 就労における「本質的な能力」とは業務上とくに必要と認められる労働能力とされるものです。
 現代の経済社会の基本的な特徴として、産業構造の転換と労働市場の流動化が挙げられます。
 その結果、さまざまな外的な変化に対応するばかりではなく自ら変化を生み出していく力、新しい価値を自ら創造していく力、即応性・想像性を発揮するための基本的な資質としての対人コミュニケーション能力やネットワーク形成力といったものが就労や教育の場面で求められるようになってきました。

 こうした現代に求められる「本質的な能力」で最も大きな影響を受けるのは発達障害のある労働者です。
 なぜなら、ここで求められる内容がまさに、発達障害者固有の苦手さと密接に関連しているからです。
 発達障害の中には、切り分けられた個別の仕事は行うことに関しては有能だとしても、それを自ら組織化したり、その都度臨機応変にマネジメントすることには困難があるという特性が含まれています。
 発達障害の障害特性と密接に関連した能力を求められる場面で、合理的配慮だけでは問題が解決しきれないことが懸念されます。

 このように、合理的配慮の義務化は一面的にポジティブとは言えず、当事者にも会社側にも新たなリスクや課題をもたらす可能性があります。 

 今回は、合理的配慮についての見解を述べさせてもらいました。
 最後までお読みいただきありがとうございます。

【参考文献等】

https://www.johas.go.jp/Portals/0/data0/sanpo/sanpo21/pdf/108_p2-11.pdf


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