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公式 宇宙飛行士・野口聡一著 『どう生きるか つらかったときの話をしよう』 まえがき

9月27日にアスコムから、宇宙飛行士・野口聡一さんの書籍
『どう生きるか つらかったときの話をしよう』が発売されました。
発売を記念し、期間限定で「まえがき」を無料で公開します。
※無料公開の期間は未定です。予告なく、公開を終えることがあります。


まえがき

「宇宙に行って人生観は変わりましたか? 」

僕は1996年に宇宙開発事業団(NASDA、現・宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)の募集に応募して、31歳で宇宙飛行士候補に選ばれ、2022年6月1日に57歳でJAXAを退職。
その間、宇宙飛行士として合計3回、宇宙へ行きました。

初めて宇宙に行ったのは2005年、40歳のときですが、それから今まで、何度となく次の質問をされました。

「宇宙に行って人生観は変わりましたか?」

たくさんの人がこの質問をする理由は、もちろん僕にもよくわかります。
アメリカ人初の宇宙飛行士であるアラン・シェパードは、月面着陸後に「月に行く前の俺は腐りきった畜生だったが、(月に立った)今では普通の野郎になった」と言っていますし、かつて僕が教えをこうたこともある作家の故・立花隆先生は、『宇宙からの帰還』(中公公論社)の中でこう記しています。

「宇宙体験という、人類史上最も特異な体験を持った宇宙飛行士たちは、その体験によって、内的にどんな変化をこうむったのだろうか。(中略)それがどれだけ体験者自身に意識されたかはわからないが、体験者の意識構造に深い内的衝撃を与えずにはおかなかったはずである」この名著によって宇宙への憧れと夢を育まれた僕も、「宇宙へ行くというドラスティックな体験をして、人生観が変わらないわけがない」と、ずっと思っていました。
ところが、実際に宇宙に行き、帰ってくると、それまで想像もしていなかったことが僕を待ち受けていました。

宇宙で経験したことの意味を理解できなかったころ

宇宙へ行き、無重力空間で、国籍も人種も世代も異なる仲間たちと生活しミッションに取り組むこと、地球を外から眺めること、宇宙船の外へ出て、死と隣り合わせの状態でさまざまな作業を行うこと。
これらはいずれも、何ものにも代えがたい素晴らしい経験でした。

しかし、宇宙から帰ってきたばかりの僕には、宇宙で経験したことの意味を理解することができませんでした。
特に最初のフライトは2週間だけであり、地球では絶対に経験できないさまざまな出来事に感情を揺さぶられ、ミッションに追われているうちに終わってしまった感覚がありました。
しかもその後、すぐに2回目のフライトのための準備が始まったため、「宇宙へ行って、自分の何が変わったのか」を落ち着いて考える余裕がなかったのです。

それでも、「宇宙に行って人生観は変わりましたか?」という質問には、肯定的な答えを用意し、内面的な成長を見せなければいけない。
当時の僕はそう思っていました。
それが、多くの人が僕に望んでいることだからです。

宇宙に行って、果たして自分の人生観が変わったかどうか確信が持てないけれど、人々の期待に応え、「変わった」と言わなければならない。
そんなギャップ、違和感を抱えながらも、2回目のフライトの準備に忙殺され、2009年、僕は再び宇宙へと飛び立ちました。

2回目のフライトの後に訪れた、苦しい10年間

2回目のフライトでは、国際宇宙ステーション(ISS)に約半年間滞在し、さまざまなミッションを達成し、その時点での日本人宇宙飛行士の宇宙滞在期間の最長記録を更新しました。
また、Twitter(現・X)を通じて情報を発信し、地球とリアルタイムでの交流をしたり、テレビのバラエティ番組に中継で出演したりもしました。
自分が、そして人類が宇宙に行くことの意味を、僕なりにつかみたいという思いもありました。

ところが、あまり知られていないことですが、2回目のフライトの後、僕は非常に大きな苦しみを抱えることになりました。

苦しみの大きな原因の一つは、それまで寝ても覚めてもずっと頭の中にあった「宇宙でのミッション達成」というプレッシャー(重石)が取れ、今後自分がどこへ向かっていけばいいのか、方向感を失ってしまったことにありました。

また、ほかの宇宙飛行士が次々に脚光を浴び、自分が打ち立てた記録が更新されていく中で、「自分はもう必要とされていない」「自分には価値がない」と感じ、「あれだけ夢中になっていたことは一体何だったのか」「それに価値がないとすると、自分の存在意義は何なのか」という思いにさいなまれるようになり、何もやる気が起きなくなってしまったのです。

苦しみは、40代半ばから50代半ばまで、約10年間続きました。
寂寥感や喪失感を抱えたこの10年間は、僕にとって「つらいことだらけの時
代」でした。

当時の僕は、おそらく宇宙一暗い宇宙飛行士だったのではないかと思います。

宇宙よりも遠い、自分の心の中への旅を通してわかったこと

宇宙は、地上で生活しているだけではわからない、たくさんのことを教えてくれました。

地球と人間は一対一の存在であり、地球は一人ひとりの人間の命の集合体であること。
宇宙空間には、重力も音も命の気配もなく、その中で地球だけが命を感じさせる存在であり、まぶしく輝いていること。
僕たちが普段、「当たり前」「絶対」だと思っていることは、宇宙では決して当たり前でも絶対でもないこと。

しかし一方で、宇宙に行くのはあくまでも「体験」にすぎず、宇宙に行ったからといって聖人君子になれるわけでもなければ、宇宙に何度も行っても見つからないもの、わからないこともあります。
たとえば、「自分は何者なのか」「自分は何のために生きているのか」「自分はどこに向かって歩いていきたいのか」「後悔のない人生を送るためにはどうしたらいいのか」といった問いへの答えは、宇宙へ行っただけではわかりません。

苦しんだ10年間、僕は縁あって大学の「当事者研究」に参加したり、論文や書籍の執筆をしたり、さまざまなことを行いながら、自分と必死で向き合い、過去2回の宇宙体験についても反芻しました。
そんな、もしかしたら「宇宙よりも遠い」といえるかもしれない、自分の心の中への旅を通して、僕にはようやくわかったことがあります。

それは、

「他者の価値観や評価を軸に、『自分はどういう人間なのか』というアイデンティティを築いたり、他者と自分を比べて一喜一憂したり、他者から与えられた目標ばかりを追いかけたりしているうちは、人は本当の意味で幸せにはなれない」

「自分らしい、充足した人生を送るためには、自分としっかり向き合い、自分一人でアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で決めなければならない」

「自分がどう生きれば幸せでいられるか、その答えは自分の中にあり、自分の足の向くほうへ歩いていけばいい」

ということでした。

後悔のない人生を送るために必要なこと

僕の苦しみの根本的な原因は、「自分はどういう人間なのか」「自分が本当にやりたいことは何か」といったことを、他人の価値観や評価を軸に考えていた点にありました。

「宇宙飛行士になりたい」「宇宙に行きたい」という目標は、もちろん、自分自身で決めたものですが、宇宙飛行士になる過程でも、宇宙飛行士になってからも、僕は常に他者と比較され、他者に評価され、他者から与えられた目標・ミッションを追いかけ、他者の思惑や組織・社会の事情に左右され、自分自身でコントロールできる部分はほとんどありませんでした。

また僕自身、自分の内面としっかり向き合ったうえで、「自分はどういう人間なのか」「宇宙に行った後、どうしたいか」を考えたことはありませんでした。

自分一人でアイデンティティを築き、人生の方向性や目標、ミッションを決めるという経験をせず、他人の価値観や評価に身をゆだねてしまうと、たとえ競争に勝って目標を達成しても、組織の中で成果を出して認められても、目標を達成したり組織を離れたりすると同時に自分のアイデンティティや生きる方向性を見失ってしまいます。

本当に後悔のない人生を送るためには、どうすればいいのか。

苦しかった10年間を経て、ようやくその答えがわかった僕は、定年を迎える前にJAXAという組織を離れ、自分の足で歩き出す決意をしました。

宇宙は正と負、2つのインパクトを与えてくれます。
正のインパクトは、まばゆいばかりの地球の姿と一対一で対峙することで宇宙的な視野を獲得できること、負のインパクトは、その宇宙体験がまばゆければまばゆいほど、その後の「日常の帰還」時の落差が大きく「燃え尽き症候群」を招くことです。

この2つのインパクトは、実は時間をかけて自分の中で熟成されていくのですが、最終的に負のインパクトを乗り越えることができたことで、僕はようやく自分のアイデンティティにたどり着けたのだと、今では思っています。

死はコントロールできなくても、
人生は自ら思うように動かせる

宇宙飛行士に限らず、誰にとっても、後悔なく生きるのは非常に難しいことです。僕自身、いまだに、真に自分らしい生き方を求めて悪戦苦闘している最中です。

しかし、宇宙で学んだこと、苦しみの10年間に学んだことを踏まえ、「人間にとって、アイデンティティとは何か」を正面からとらえ、同じようにアイデンティティの問題を抱える多くの人たちと共有したいという思いから、今回、筆をとることにしました。

人にはいつか必ず死が訪れるし、自分の死をコントロールすることはできない。

でも、天寿を全うするまで、自分の命、自分の人生を主体的に動かすことはできる。
朝、起きたときに命があれば、その日一日の命、その日一日どう生きるかを自ら考え、実行することはできる。
それは、後述するように、共に訓練を受けた仲間を事故で失ったり、危険に満ちた宇宙空間で、死と隣り合わせで作業を行ったりした僕の偽らざる実感です。

自分自身の心の中、あるいは人生に向き合っていくのは、もしかしたら宇宙に行くより困難な旅かも知れません。

でもその旅を通じて、わたしたちは自分自身で自分のアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性と目標、果たすべきミッションを決めることができるのです。

この本が、一人でも多くの人にとって、自分らしく後悔のない人生を送るきっかけになることを願っています。

無料公開のまえがきは、以上となります。

つづきは、書籍でお楽しみください。編集部より

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