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【推し本】ある奴隷少女に起こった出来事/信じがたい奴隷制度を生き抜いた少女の実話

何を思って、いつどこでこの本を手に取ったのだったか、、。本屋で平積みでもなかったと思うし、どちらかというと地味な表装で、キャッチーなタイトルでもなく、著者も訳者も聞いたことがないものの、多分通勤電車で読むのに重くない文庫として買ったのだったか、、。

150年ほど前のアメリカの奴隷制度を舞台にした物語、かと読み始めて、早々にこれは小説でないと冒頭の一文から知ることになります。

著者による序文
読者よ、わたしが語るこの物語は小説(フィクション)でないことを、はっきりと言明いたします。

いや、もしかして、こういう作りにしているフィクションでは?とも思い、パラパラとめくると実際に主人公のリンダ(実名ハリエット)逃亡時に新聞に掲載された実際の懸賞広告が写真で出てきて、”slave girl”といった表現や、逃げた家畜を探すかのような表現に衝撃を受けます。

時代は19世紀前半、リンダ(本書を書いた当時は関係者に影響があることを恐れて、登場人物は仮名で書かれています)は、親が奴隷だったことから、自らも奴隷という立場を引き継いで生まれることになります。
幼くして両親を失い、フリント家で奴隷として働くことになりますが、最初は同年代のフリント家の子供の遊び相手、それからお世話係へ、しかし子供が少女になる年齢に待ち受けているものは、ドクター・フリントからの執拗な性的搾取のわなです。遊ばれたうえで妊娠でもしようものなら、主人の妻の凄まじい嫉妬といじめにあい、さらに子供も散り散りに売り飛ばされるのが常です。
リンダは、断ると大切な祖母や弟にも何をされるかわからない、逃げられない弱い立場で、この、いびつな支配欲にまみれた好色な男を必死でかわします。
そのための究極の手段として、別の白人の子供を産むことにするのですが、まだ16歳か17歳くらいの少女にとってどれだけ過酷な選択だったのかと思わせられます。
それでも、生まれてきた子に愛情を注ぎますが、残酷な奴隷制度は法的に「母の身分に付帯する条件を引き継ぐ」、つまり、母親が奴隷なら子も奴隷、となってしまいます。そして自分を含めて所有権はあのフリント家にありコントロールできません。
当時の奴隷が所有者から自由になるには、お金を払って自分で自分を買うしかなく、実際リンダの祖母も、長年仕えた家の夫人が理解があり、お金を払って自由黒人の立場を得ていました。
しかしそれも奴隷と所有者の間でのまともな契約などない世界です。頑迷な所有者が売らないと言えば一蹴され、さらに逃げ場なく虐げられるだけです。
逃亡すると、さらに悲惨なことが待ち受けます。人間性を疑うやり方で獣のように殺されたり、その家族にも危害が及ぶことが日常茶飯事でした。
リンダは、それでも子供を守るためにフリント家から逃亡し、立つこともできない狭い屋根裏になんと7年も隠れて過ごし、小さな覗き穴から、母が見ていることを知らない子供の成長を見ていたのでした。
そしていよいよ、千載一遇のチャンスを得て、自由が謳歌できるはずの北部、に渡ります。しかし、その北部でも南部からの追手の恐怖におびえる日々。
本書の最後は、リンダの人生の懐古的総括ではなく、まだ戦いの途上で終わります。
十分な教育を受ける機会もなかったであろうリンダが、高い文章力と俯瞰力をもって書き残し、さらには奴隷所有者に憐憫をみせるほどの理性をもっていたことに本当に驚かされます。

本書で書かれていることは、いかにアメリカの特に南部で制度化された奴隷制度が、あらゆるハラスメントと密室でのDVを助長させる仕組みで、たまたま奴隷に生まれてしまった肌の黒い人間と、たまたま奴隷の所有権を持つことになった肌の白い人間、それぞれの人間性を破壊するものかをリンダの実体験からあぶりだします。
自由の国アメリカの原点に、このような制度があったことは、過去の話ではなく、♯blacklivesmatter運動を言うまでもなく、現代にも連綿と続いていると思います。

ちなみに、訳者の堀越ゆきさんは世界最大手のコンサルティング会社に勤務とあり、本業として翻訳をされているわけではありません。あとがきなどから、運命的な原書との出会いがあり、私が訳さないと誰がする、と導かれるように翻訳された経緯があります。時代も境遇も違うものの、リンダのメッセージが現代に改めて伝えられるのはこのような訳者のおかげですね。

関連して、時代をもう少し現在に近づけると、これらもおすすめです。
The Helpは映画にもなっていますが、1960年代のミシシッピで、黒人の家政婦に育てられた白人が、黒人差別の実態を取材して連帯していく物語。隔離政策が公然と残っており、黒人と白人は、乗り物もコップもトイレも別。
取材しようにも、話したことがばれることを恐れて多くが口を閉ざす中、また、白人の偽善ではないかと思われる中、ようやく話してくれた数人と友情を育んでいきます。

映画ドリームは、NASAのアポロ計画を支えた数学にたけた黒人女性たちの物語。
主人公のひとり、実在のドロシー・ヴォーンさんは、当時少数派のリケジョというだけでなく、黒人でもあったため、彼女たちの存在はいつでもWASPの男たちの視界にも配慮の対象にも入ってきません。
ロケットの軌道修正に複雑な計算が必要なわけですが、彼女たちの高い計算能力とコンピューター処理力にようやく気付いたNASAの上司が、彼女たちがミーティングに遅れるのは、わざわざ遠い建物の「黒人専用トイレ」に行かねばならないからと知り、研究棟の「白人専用トイレ」の札を壊す場面は見ていてスカッとします。
このNASAで使われたのがIBMのメインフレームで、ドロシーさんは、それに必要なFortran言語を習得し、かつ黒人女性たちの職を保持するためにもチームを作って教えて鍛えていくのです。
余談ですが、私はこの映画が公開された当時IBMに勤務していたので、このドリームはダイバーシティのコンテキストからも、IBM主力事業だったメインフレームの歴史的意義という点からも、広くIBMerのプライドを高めたものでした。
原題は”Hidden Figure”。


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