【推し本】流転の海(宮本輝)シリーズ/登場人物370名の一大叙事詩
30代の宮本輝が、自身の父親をモデルに「流転の海」を書き始めたときから、父親の亡くなった年齢までを念頭にライフワークとして書いていたというのだから、読者にとってはたまらない。
6-7年ごとにやっと続編が出るペースなので、特に高齢のファンからは、死ぬまでに話を終わらせてくれと切実な手紙も来たというが、むべなるかな、である。
そんな流転の海シリーズも、37年をかけて、いよいよ第9部「野の春」で完結と相成った。
第一部では、大阪の戦後の焼け跡から立ち上がり、商魂たくましくのし上がっていく男と日本全体のエネルギーが満ち満ちている。
激動の時代を、止まることのないブルドーザーのように進み、事業を作るために壊すのか、壊すために作るのか、何度も成功や失敗を重ねていく。
息子を溺愛し、妻を愛していながら、大変な苦労をかけ続ける。
シリーズ後半では、時代に求められなくなってきた自覚を振り払うように、小商いでは飽き足らず山っ気を出しては、裏切りにあい、さらに堕ちていく。
常に、ひっそりと、しかし強い芯をもって熊吾に寄り添う妻房江の存在は、大いなる母性でこの好き勝手に生きている荒くれ者を包みこむ。
熊吾が堕ちていくのと反比例で、房江の強さが際立ってきて、シリーズ後半の「慈雨の音」「満月の道」「長流の畔」は房江の物語ともいえる。
最終巻の「野の春」では、失っても失っても次のことだけを考えて生きてきた松坂熊吾の人生がいよいよ終わる。
50歳の時に生まれた息子が20歳になるまで必ず生きるという誓いを果たして、言いたいこと、やりたいこと、やらなけれないけないことを数々残したまま迎える最期は、これが37年かけたシリーズの主人公の最期かと思うとともに人間のリアリティに迫る。
息子に語るセリフに、
とある。
このある種、非情に残酷なセリフを、なぜ人生の最後の会話で父が息子にいう必要があったのか、そう言われた息子はこの先どう生きていくのか。
その答えは、このシリーズを読んできた読者に対して「松坂熊吾こそは(読者の期待に反して)所詮何者にもならなかった、そしてなんにもないと言われた息子もどうにかやってきてこの本を書き上げた」ということなのかもしれない。
宮本輝は松坂熊吾のモデルである自身の父親をヒーローに仕立てず、この小説に出てくる膨大な登場人物も含め無名の市井の人々の生老病死を描ききった。
松坂熊吾が亡くなる71歳と同じ年齢で。
それにしても、流転の海シリーズには総勢370人もの登場人物がいるそうだ。
松坂一家の生活に直接影響を与える人物だけでも膨大にいるが、道ですれ違っただけで強烈な印象を残す人物、いきなり脈略もなく、老婆の掘っ立て小屋を腕力だけで壊して去っていくような、何のためにどういう意味で出てきたのかわからない人物もいる。
しかし、昭和30年代なら30年代なりの、40年代なら40年代なりの、時代の空気感や文化や風俗などを丁寧に反映していて、その中で確かにあったであろう雑多な社会の全体を反映する一大叙事詩でもある。
前の話を忘れてしまっても一から読み直す気力までは・・・という方にはこんな副読本も出ている。
これから読む潜在読者にとっても、こちらを読んでからでもよいかもしれない。
2020年に翻訳版が出版された「パチンコ」(ミンジンリー)は、「流転の海」シリーズの中の尼崎のアパートの住人を想起させる。
サイドストーリーとして読んでみるのもおすすめである。
おまけ:記事の写真の間違い探しに気づかれた方には1冊進呈しましょう(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?