浅瀬

1997

浅瀬

1997

最近の記事

晴れ

言葉が脳内にどんどん浮かんできて 外にいる間はどこにも行き場がなくなってしまって詰まっている 早く吐き出さないと新しい言葉の生き場所がない 起こっていないことを考えて不安になる 自分にはなにもないと首を絞める ここ2ヶ月くらいずっと続いてしまっていたが、 8時過ぎ 澄んだ空気 息を吐いても白いかどうか霞んでわからない 眩しい朝の光に照らされたとき わたしの心が決まって  雲ない空みたいに晴れやかに 大丈夫 何にでもなれる 人の目ばかり気にしていた自分を慰めてやりたい もう

    • 10.6-9 帰省

      10.6 10時過ぎに寮を出た。少し肌寒くなってきている。 帰る途中で、梅田の阪急百貨店に寄って兵左衛門(お箸は食べ物です、のモットーがとてもいいと思う)に行き、祖父の卒寿のお祝いのお箸を選んだ。持ち手が太くて箸先が細いのが祖父のお気に入りなんです、と店員さんに相談すると、色々見せて丁寧に説明してくれて、軽くて持ちやすい黒漆塗りのけずり箸にした。桐箱にお祝いのカードと一緒に詰めてくれた。 気に入ってくれるといいな。 これからも元気でいっぱい料理していっぱい食べてほしい。 1

      • 創作

        クリエイティブな人、そうでない人 という括りに囚われて動けなくなっている自分がいた。 自分は「クリエイティブではない」側だと。 いわゆる「創作者」を取り囲む人たちの中にも この括りに縛られている人って結構いるのではと思っていて、そのために生きづらさを感じている人も多いんじゃないかな。 皆何かを生み出してるんだ、生活の中で 文章や発表、料理、写真、小さなものから、 音楽、映画、アート、建築、後世に残るものまで。 綺麗で、完璧なものなんてない、 批判されても、理解されなくて

        • 向こうを知る

          小さい頃に両親に聞いたのだけど、私の名前は、音楽と美術が好きになってほしいという思いでつけられたらしい。思い返すと、音楽や本、絵画など、芸術作品に触れる機会を両親がよくつくってくれていたなと思う。 それが自分の中では当たり前になっていて、これらを自分から求めて作品にふれて、好きだと自覚するようになったのは高校生の頃だった。 音楽には思い入れが強い。 幼稚園の頃からエレクトーンやピアノを習っていたけれど、その頃はまだ自分で演奏することにあまり楽しさを見いだせていなかった気がす

          昔のはなし

          書こうか迷った。事実を羅列するだけにする。 2021年の9月、M1の頃からだったかな。 ただただ無感情で毎日研究室に行っていた。 そのうちご飯を食べてもテレビを見ていても何も感じなくなった。ニュースを見てご飯を食べているとツーっと涙が流れる。大好きな音楽を聴いてもギターを弾いても、本を読んでも、何も悲しくないのに。それが11月頃まで続いた。多分日記に書いてるからそうだと思う。おかしいなと思いつつ、家族には何事もないように振る舞い、何も対処ができなかった。どう対処していいのか

          昔のはなし

          いろいろ 4-5月

          夢に一歩近づいた、これからどうするか 曖昧さ があれば 救われる人もいる 大事な時に大事なことを気づかせてくれる人 言われてモヤモヤした言葉たちが夜になると甦る 言っても分からないと思うけど、って伝えるのを諦めたら終わりだよ 気分が舞い上がらないよう抑えて抑えている ありのままを受け入れる覚悟 意地でも見つめる覚悟 熱意は手間とスピード 昔から知っているのにどうしても伝えられないことがある 勇気が出ない 本気になればなるほど

          いろいろ 4-5月

          10月1日

          内定式でした。 残念ながらオンラインだったけど、内定式後の交流会では同期の皆とお話できたし、同じ大学の人も発見できたので、少しほっとした。 会社の諸々の環境が整いすぎていて、これを捨てるのも拾うのも自分次第だなと。なんにせよ人数が多いので、ぼーっとしていたら渦にのまれてしまうなこれは、と思った。これまで、自分には無理かも、と思っていたことを諦めたくない。 自分の気持ちとしては、もう早く新しい環境に飛び込みたい!のだけれど、残りの院生生活をやり通さねば。 新しい人たちよ

          10月1日

          とがる

          朝から感情がぐるぐる渦巻いて、良くなったり悪くなったりして、 それでもどうにかして日常にとけこまないといけないので大変だった。 いつ不安定になるか自分でも分からないから、怖くないとはいえない。 変わったところも変われなかったところも、今までを全てひっくるめて糧にして、前に進むしかない。 一本芯の通った人間でいたいと決意した。 小さなところでとどまっていたくはない。 諦めでも抗いでもなく、今まで経験したことのない気持ちになった不思議な日だった。

          9月18日

          体力がようやく戻りつつある。 気圧の変化で、強めの頭痛が続いている。 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に行った。自分の中では毎年の恒例行事で、2002年から欠かさず行っている。今年は3年ぶりにイタリアでボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア(BCBF)が開催されたようで、喜ばしい限りである。 この原画展を開催している美術館は日本で数か所しかないのだけれど、それが偶然にも自宅の近くにある。石川県に住んでいた時は七尾美術館に行っていた。来春から関東勤務になれば(ならなくても)

          9月18日

          感動の行き場

          はっとする言葉や音楽、詩や場面に思いがけず出会うことがある。 そんな時は決まって、心の中で「うわーっ」と叫びながら、拍手をする。 周りに誰もいないときは、体をのけぞって、涙することもある。 これらはきっと自分の人生で重要な意味を持っているんだろうな、と思うと、この感動を残しておきたいという衝動に駆られる。 でも、人に伝えたり、文章に残しておこうとするといつも、陳腐な表現になってしまって、うまくいかない。その場を瞬間冷凍できたらいいのになと思う。 写真やビデオじゃなく閉じ込め

          感動の行き場

          はじめまして

          浅瀬です。 5年前から日記をつけはじめて、生活のなかで考えた事などを日記帳やtwitter、tumblrにこそこそと書きためていました。 そろそろ、外の世界に飛び出してみてもいいのかなと思い始めてきたので、noteでは短い日記を綴っていきます。 拙い文章ですが、音楽、読書、私生活のことなどを中心に、ゆるく続けていけたらいいなと思います。 よろしくお願いいたします。 20220915

          はじめまして