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鎌倉殿13-9 御所で働く?そっちコースだったか!

今回は再放送で見たので、日曜夜の放送の前に更新出来るよう急いで書いています。

とにもかくにも吾妻鏡。

まずは前回、佐殿チームが鎌倉に到着したのが治承四年(1180)10月6日でした。

そして治承四(1180)年10月20日。
武衛は駿河国賀島(かじま)に到着します。

武衛(ぶえい)って、上総広常をいじってるわけじゃありません。
吾妻鏡の記述の通りです。

吾妻鏡の筆者は佐殿のことを「武衛」と呼んでいます。

これまで私のnoteでは佐殿か源頼朝と表記してましたが、吾妻鏡では実はずっと武衛と表記してありました。

後の人(筆者)が頼朝を称えるための(誇張した)表現なのかな?と感じていたのですが、ドラマの中であんな風になるとは。

これだから三谷大河は面白い!です。

さてこの日の記述です。
夜半に武田信義が平氏の陣の背後を襲い、富士沼の水鳥たちが群れをなして飛び立った。
羽音が軍勢のように聞こえた平氏は驚いて、夜明けを待たずに京へ戻った。

10月21日。
逃げた平氏をさらに追いかけろと武衛が命じたが、千葉常胤・三浦義澄・上総広常らが関東を優先するよう進言。

常陸国の佐竹氏、上野国の新田氏、下野国の足利氏など、北関東の武士たちも大きな勢力を持っていました。

千葉や上総は特に佐竹を警戒しなければいけなかったようです。

佐殿は彼らの意見をいれて、まずは関東平定のために動くことを優先しました。

そして武衛は、安田義定を遠江国の守護に、また武田信義を駿河国の守護にした…と吾妻鏡には書いてあります。

また同じく10月21日。
鎌倉殿に拝謁したいという若者がやってきた。
佐殿が会ってみると陸奥国からやってきた源九郎義経で、佐殿は涙を流して喜んだ。

…と、今回の吾妻鏡はここまででした。


さて今回もいろいろ笑いました。

北条と三浦の中年コンビが水鳥を騒がせた張本人だったとは!

吾妻鏡では武田信義の仕事だったと書いてありましたね。
しかしそれもあくまで吾妻鏡の記述。

真実はどうだったのか、実は誰も知らなかったりして。

平家も源氏もまっっったく関係ない誰かさんがスタート地点のバタフライ効果とか…。
そもそもバタフライ効果のスタート地点が人間とも限らないですしね。


私が今回「おぉ、そうきたか!」と思ったのは八重さん。
御所で働きたいって…。

可哀想な江間次郎に殺られて、もう退場すると見せかけておいてとんでもなかった!

御所で働くコースを選択するということは、いずれやっぱり…ですよね。
どういう経過をたどってそうなるのか、目を離せない要素が増えてしまいました。


今回はここまで。
次回の放送まですでに24時間を切りました。
た、の、し、み。


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