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私になるまで

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#リハビリ

私になるまで38

私になるまで38

翌朝、手術着に着替えさせられ、時期が来るのを待つ。その間に先生が来て前の筋肉を引っ張って「これ気になるなぁ。これも切っていい?」と聞く。

それでなくてもドキドキしている心臓が飛び出そうになって、「えっ!」と私。少し先生苦笑いしながら「切った方がいいと思ったら切るから。手術室で待ってるな。」と言い残し出ていく。ここまで来たら肝を据えるしかない。

手術開始は8時。来るはずの両親がまだ来ない中、時間

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私になるまで39

私になるまで39

ツツジが咲く4月中旬、先生のいる病院に転院した。頭には重さ約1.5キロの鉄の重り。それを支える2本の支柱が身体を覆う鎧のようななものに続く。手術から、2週間ほど経つと、随分身体が慣れてきていた。がっしり固定された頭のおかげで首を勝手には動かせないと自分の脳が把握したらしい。手足はちゃんと動くし、心配していた食べ物の飲み込みもスムーズだった転院してすぐに案内されたのは整形外科の急性期病棟だった。しば

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私になるまで40

私になるまで40

ゴールデンウィーク間近に控えた朝。大荷物をまとめ、リハビリ室の上にある回復期病棟に移る。看護師に「お世話になりました。」と丁寧に挨拶して、さぁいざ出発。長い廊下を通り自動ドアをくぐる。まだ新しい建物らしい。今までと違う景色が広がる。そこは通称「西病棟」と言われていた。西病棟は4階建て1番下はリハビリ室その上の2階からは病室と大きなデイルーム。

私の病室は、西1と呼ばれる、リハビリ室の真上だった。

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私になるまで41

私になるまで41

キツいリハビリは、その病院の方針で土日祝日関係なく行われる。流石に先生は交代で休むが代行の先生は当たり外れがあった。私の担当の先生を私は「鬼コーチ」と「スマイルデビル」と密かに呼んでいた。「鬼コーチ」はPTの先生。ちゃんとしたら優しい笑顔だったが、疲れて休むとドスの効いた低い声で「もう出来んのか!」と怒る。一方、「スマイルデビル」はOTの先生。笑顔で何でもやらせる。

リハビリの中で楽しみはOTの

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私になるまで42

私になるまで42

CTの結果、骨はどうやら首の1部になったらしい。ハローベストがようやく取れる。先生が病室に来て「ハローベスト取るの2週間後でええか?」と聞かれ、私は「はよ取って〜!」と即答する。

「わかった。今からとる!」と先生。「えっ!」と思ったが、セルシンを注射され、ぼーっとしている数分後には、ハローベストから解放されていた。即座に首をハードカラーで固定する。「絶対横向かないように!」と言い残し出ていく。

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私になるまで43

私になるまで43

2泊3日とは言え久しぶりの帰宅。嬉しさに胸が踊る。が、鬼コーチ「家でゆっくりなんてしないでください。何ができて何ができないか確かめるため3日間やからね。」と釘を刺す。

両親が迎に来ていざ恋しい我が家へ帰る途中。海岸線沿いを通る。

キラキラ光る青い海に入道雲。海を見た途端、涙腺が緩んだ。やっぱり太平洋はでかくて私達を包み込んでくれる…

島へ続く橋を渡り、ようやく我が家へ着いた。長旅で疲れてはい

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私になるまで44

私になるまで44

また暑い中のリハビリは続く。

うちの家族は私を置いて帰ってしまう。洗濯も自分で出来るようになったので、コインランドリーの前でスマホでゆずを聴きながら、歌いまくってると、毎度病室の掃除をしてくれるおばちゃんが

休憩に来て、「あんた、何でも出来て偉いなぁ。」という。私はこの洗濯の時間がストレス発散だったから、へへへっと照れ笑いするだけだった。

鬼コーチのリハビリはさらにきつくなった。朝は筋トレ、

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私になるまで50

しばらく、急性期病棟で尿道カテーテルが入ったままで30分程のリハビリ。ひと月は絶対に歩くなと、主治医からの指示。ほとんどベッドの上で動かない状態。腕もあまり動かすなと指示され、食事は看護師の介助と、昼食時にSTの先生が介助してくれる。ST
の先生は、「かなり飲み込みの方の回復は早いね!」って言いつつ、「しっかり噛んで。」と忠告する。しかし、嚥下食なので、ほとんど噛む必要がない。「もう少し食材大きく

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