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美味しく飲んで、意識せずいつの間にか健康に。カテゴリー・クリエイターへの挑戦 Vol.41

それに、このサプリメント in ウォーターの事業は、私にとっては、やっと見つけた『やりたいこと』であった。
大人になってから、具体的な目標(「夢」というまでのことでもない)を特に持ち合わせていなかった私は、そのうちに目標が現れて欲しいと願いつつも、取り敢えず目の前の業務にひたすら真剣に取り組むという姿勢でやってきたのであった。
この事業を閉じるということは、ようやく出来た目標を手放すことなのだった。それに代わる目標も特に他には見つかりそうもなかった。

成り行きに任せて、事業の終わりを見届け、会社若しくはグループ企業の中に居残り続ける選択肢も無かった訳でもないし、その方がお気楽な道だったとは思うが、事業に失敗しておいて、のうのうとそのまんま居座ることは恥知らずに思えた。
また、それ以前に、残る気になどなれなくなる程の扱いも散々受けたのだ。こんなところに席を置き続ける積りは毛頭無かった。

4本(水滴)


事業売却チームの面々は、その実は、とにかくさっさと丸く収まればそれで良いだけの連中だった。
「面倒臭いことは早く終わって欲しい」
それが本音。そして、その魂胆も丸出しだった。
そんな面々が相手の交渉だ。MCMのめぐみの事業を買い取りたい、と言う私の提案に、彼らはすぐさま同意を見せた。
彼らの雑過ぎた無礼な対応に、MCMのめぐみの製造委託先がすっかり腹を据えかねてしまい、製造ストップとなれば損害賠償請求をすると強面で迫ってきていたことも、彼らの悩みの種の一つだったということもあった。
面倒な事柄の数々が一気に収まる。
戦犯を見るようだった彼らの目にも変化が訪れた。

すんなりと話が決まったのは良かったが、事業譲受に係る資金の問題があった。
出すものは出し切り、借りるものは借り切っており、すっかんぴんであった私は、自宅のマンションを売っ払ってその資金に充てたのだった。
18歳で上京して以来、ずっと東京を根城にしていた私であったが、独立後は会社も個人も一緒くたの財布となって、暫く資金面では苦労するに違いないと考えていた。そこで、少しでも負担を減らそうと地方に移転しようと思い至った。
それに、MCMめぐみのワンウェイ宅配水事業は、宅急便を使って全国にお水をお届けするビジネスだ。実際のところ、どこに本社があろうだがさして変わりはない。
どうせ東京近辺にするならと、会社も私の居住地も横浜にしてやろうと決めた。世代的にいっても横浜というものには多少の憧れがある地なのだ。

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そして、2016年6月1日。神奈川県横浜市中区でMCMのめぐみ株式会社という、そのものズバリの名の会社を設立した。
安直と言うなかれ。事業移管に対して、既存顧客になるべく違和感を与えない為に名付けた次第だ。
既存のお客様に対し、宅配水事業の運営会社変更のお知らせをお出ししたが、その文中に、顧客サービスとして、「古来700年以上も前からある希少・貴重な「在来品種」茶葉使用の古来ほうじ茶」をプレゼントする企画も書き添えた。少しでもお客様離れを無くそうと図ったのだ。

新会社を創ったからと言っても、さっさと逃げ出す訳にはいかない。事業終息の活動はまだ終わっていなかったからだ。
心情的なことを正直に言えば、私としては、さしてもうどうでもいいことなのではあったが、それでも天然水顧客を譲渡先ブランドのウォーターサーバーへと切り替えるお仕事をやり遂げなければならない。
そして、事業売却チームは自分たちでは何も作業は行なわない。私に対して責任を問う一方で、事業の譲渡に係る作業にしても、手仕舞いに関する事柄にしても私に丸投げしていた。

彼らは、とにかくスムースにさっさと終わって欲しいだけで、結果がどうだろうと構いはしないのだ。
さらには、回収したウォーターサーバーの買取を、あれだけ揉めたサーバーの仕入業者に応じさせることは出来ないだろうかと私に相談してくるや、遂には買取価格、そして引き取りの送料や段取りに関する交渉までの一切をも私にやらせる手合いである。
なんとも都合の良いお話ではないだろうか。
さすがに呆れる。

だから、この際それを逆手に取らせて貰った。
当初こそ遠慮していたのだが、ウォーターサーバーの切り替え作業の中で、飽くまでMCMのめぐみの方が良いと言うお客様には、MCMのめぐみを供給することにさせていただくことにした。
彼らの望みに諾々と応じてやった代償と捉えていただきたい。

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2016年8月1日から譲渡先ウォーターサーバーへの切り替えは始まっていた。そしてそれは2016年12月でほぼ終結。
2016年6月1日に設立したMCMのめぐみ株式会社であったが、実際の事業移管は2016年9月1日からであった。
2016年9月からこっち、掛け持ちで業務をしていた私だったが、12月末を以てやっと彼ら事業売却チームから解放された。


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