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Rambling Noise Vol.52 「メルマガナイトへGo ahead! その38」

さて、そんなワケだから、幼少の頃とは翻り、手塚治虫は、アサノさんにとってもリアルな存在と化していた。それなのに、『火の鳥』に食指が動かずにいたのは、壮大すぎる、という先入観からであったのか。
以前、2004年にNHK-BSで放送されたTVアニメ『火の鳥』全13話は確かに観た覚えもあったのだったが、それにしたって、アサノさんが好きなアニメ演出家である高橋良輔(『太陽の牙ダグラム』、『装甲騎兵ボトムズ』のね)が監督を務めたからというのが主な動機であったし、また、このアニメ版では内容の割愛や改変がされていたことも、今回原作を読んで初めて悟ったのだったが、その所為なのだろうか、このTVアニメ版はさして印象に残らず、すっかり記憶からも抜け落ちていた。

とにかく、『火の鳥』全巻を、

仕事そっちのけで(ん?)

二週間ほど掛けて一気読みしたアサノさんは、改めてこの物語と手塚治虫自身のもんの凄さを感じていた。
1954年から1988年に掛けて、34年間描き続けられた火の鳥という作品。
(本当は違うけど、仕切り直ししてからの)一作目「黎明編」から、最終作の「太陽編」まで、過去と未来とに、交互に舞台を重ねながら少しずつ時代の振り幅が狭まっていっている。

そして最終話では現代に到達する、という構想であったのだが、その原稿に手を付ける前に手塚治虫は亡くなってしまった。


エピソードによって全くアプローチが変わるストーリー展開。特に「未来編」や「鳳凰編」など、どうしたら考え付くのだろうと、不可思議な念に囚われてしまいそうになるほどのスケールの大きさにも感心したが、時代の変化と共に、画風や表現方法もどんどん変化していることにも驚いた。

手塚治虫も時代を生き残っていくために、絶えず進化を求めていたのだった。


「生と死」、「輪廻転生」をテーマにした話の数々は、決してハッピーストーリーではなかったが、「火の鳥」=「永遠の命」と言うことには違いは無い。

漫画少年、アニメオタク、松田優作マニア、コンピューター・ナードと、かつては廃人的偏愛性向の道を突き進んでいたアサノさんの様な人間でも読んではいなかったのだから、多くの方々も未見であるかもしれないが、「火の鳥」の存在、そして、=「永遠の命」というイメージは定着しているに違いない。


アサノさんは、再び手塚プロダクションへ電話を架け、部長さんに言った。

「この機会に、『火の鳥』全巻一気読みしちゃいましたー!」

そう、まったくぬけぬけと。

(続く)

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