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パートナーシップ制度に結婚と同じ権利を与える事はダメなのか?

昨日はどうしても同性婚の事で思う事が強くあって、急ぎ早に記事を書いてあげていました。

ヘテロの人たちはお互い愛し合って結婚という形をとって様々な権利を得ることが出来るのに、同性同士ではその形も権利も取ることが出来ない。

裁判で権利を争って戦うには考えられないほどの労力と批判に晒されます。同性同士というだけで、何故これだけの苦労や批判を受けなければいけないのでしょうか?

そのせいで諦めてしまっているカップルも多く存在するだろうと推測されます。私も同じような状況になったら、諦めてしまうかもしれないです。こうして記事を書いて現状を訴えたり考えは述べるかもしれません。でもこの問題は2人が共に苦労する事になります。どちらか1人でも批判や社会の目に晒されることが嫌だと考えるのならば、それ以上事を大きくしても幸せになれないのが目に見えています。

皆さまの記事を見ていると、同性同士は結婚という形ではなくパートナーシップ制度をそれと同様のものとして、結婚で得られる権利と同等の権利を得ることが出来れば良いのだと思う、と考えている人もいるようです。

それが1番良いのかな?と私も今日、この記事を書いていて思い始めたところです。

結婚というものの概念がほぼ固定化されている状態で、その概念をどこまで変えられるか。これは不可能に近いのかな?と。

結婚から連想されるイメージ、男女・子どもをつくる・夫婦、というこのイメージをどうしても変える事は出来ないと強く感じます。

それならば新しい概念を作って、同性同士はそれを受け入れていくしかないのかな?と。私がヘテロだったらどう考えていたのだろうかと思う時もあります。

結婚は男女のもの。

パートナーシップ制度はそれ以外の人たちのもの。

制度を分けてしまう事がかえって差別や偏見に繋がってしまわないだろうか?と私は考えてしまいます。私がもしパートナーシップ制度を使う事によって、自分がゲイだとバレてしまうのが嫌だと感じたらきっとその制度は使わないという事になるでしょう。みんなが納得出来る新しい制度をこれから早急に作る事は出来るのだろうか?と不安になることもあります。

今、この時でもヘテロは当然のように結婚を許され権利として認められ社会では祝福されています。

今、この時でも同性同士のカップルは当然のように社会的に認められた家族として扱われず、偏見や差別の目に晒され辛い思いをしています。

愛する人と一緒にいる事で幸せだと感じるのは性別など関係ないはずです。

好きな人が偶々同性だったというだけです。

同性同士のカップルはそんなにいけないのだろうか?と。

同性同士のカップルは家族になってはいけないのだろうか?と。

今1度社会全体で考えて欲しい事だと思っています。。

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