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たびけん ~ 日本の素敵な建築を知りたい/守りたい人たちの旅の記録 ~5

エピソード5 They Built This City on …….

丹波先輩の話を聞いて、美しい大阪市中央公会堂は、建設のために多額の寄付をした岩本栄之助さんが建設中に自ら命を絶つという、悲劇的なストーリーをはらんでいたことを初めて知った。また日本の経済界の最重要人物、渋沢栄一さんが絡んでいたことも。
しかしわからないのが、なぜ栄之助さんが追い込まれることになったかだ。

岩本栄之助は京阪電気鉄道の取締役も務めていた

「絶好調で、数十億も寄付したような人が、なぜ自ら人生を断つことになるんですか?」

丹波先輩は「うん」と言って軽く深呼吸し、話し始めた。

「順を追って説明すると、まず、寄付をした頃から、栄之助は株の世界から足を洗って、実業の世界で日本の発展に貢献したいという考えを持ち始めていた。大正元年には京阪電気鉄道、2年には大阪電灯と、株を買った会社の取締役に就任している。3年には大阪株式取引所仲買人組合委員長を辞任した。大阪電灯ではアメリカ視察の経験をいかして売り上げに貢献し、4年に常務取締役に就任している」
「株の世界から離れていったんですね。そのまま実業の世界にい続けてくれれば、悲劇的な結末を迎えることもないのに…」
「結局、株の世界に戻ることになるんだけど、そのきっかけを作ったのは、渋沢栄一だった。『君ほどの人が、ひとつの会社の経営だけで終わってはいけない。もう一度北浜に戻り、このような寄付をいくつもやりながら、日本の発展に貢献して欲しい』と言われてね」
「それで、戻っちゃうんですか。えーー」

私は頭を抱えてため息をついてしまった。100年以上前の話なのに。
渋沢さん、余計なこと言わないでよ…。

渋沢栄一像

「栄之助は大正4年12月に大阪電灯の常務取締役を辞任した。その頃、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ最中でね」
「えっと、第一大戦は1914年から1918年ですから、日本の年号で言うと…」
「大正3年から大正7年。戦争開始とともに日本の株は暴落し、その影響で実家の岩本商店の経営がまずいことになっていた。それも辞めた理由のひとつだったようだ。下げた株価は大正4年11月、大正天皇の即位の礼が行われた後に暴騰した。まさにそんなタイミングで栄之助は株の世界に戻ったんだ」

結末を知っているだけに、話を聞きながら、心がモヤモヤする。

「その後、株価は乱高下し、栄之助も勝ったり負けたり、デマに騙されたり。やがて負けが込み、虎の子の大阪電灯株も売ってしまう。そしてとうとう、資金が底をついてしまった。心配した周囲からは『大阪市に寄付した100万円を一時的に借りれば』と提案されたが、栄之助はガンとして首を縦に降らなかった」
「そこです!そんなに追い込まれていて、なぜ『色々ありまして…』と寄付したお金を一時的にでも返してもらわなかったのか。そこが気になります」
「栄之助はそう勧めてくる人に『寄付したものを返せと言うのは大阪商人の恥』と言っていたそうだ。それぐらい気位が高いし、社会的地位もあったから、返せと言って恥をかくなら死んだ方がマシ、と思っていたのかもしれない」

そういえばさっき、先輩は栄之助さんの人柄として『士魂商才』を挙げていた。最近は使われない言葉だけど、大正時代の初めは武士社会の精神性が、令和の今とは比べものにならないほど社会に色濃く残っていたんだと思う。当時の空気も栄之助さんの背中を押してしまったのかもしれない。

「大正4年の12月に大阪電灯を辞めて、株の世界に戻って、亡くなったのは…」
「ピストル自殺を図ったのは大正5年10月22日。その日、栄之助は、散髪し、親戚の家を回り、三越呉服店で写真を撮り、公会堂の建設現場の様子を見て自宅に戻ると、夕食後、茶室にこもって、銃で自らの首を撃った。栄之助の自決を受けて、大阪朝日新聞と大阪毎日新聞は号外を出した。当時、栄之助はそれほど社会的に知られた人物だったんだ」

皮肉な話だけど、号外が出たと聞いて、栄之助さんがどれほどの社会的地位にいたか、よりクリアに理解した。

「最期は自宅で迎えられたんですか?」
「いや、一命を取り留め、栄之助は中央公会堂の対岸にある病院に運び込まれた。窓からは建設中の中央公会堂が見えたそうだよ。傷は深く、野村徳七ら株式仲買人仲間の平癒祈願のお参りも、市民の願いも、治療の甲斐もなく10月27日に永眠する。最期は中央公会堂のすぐ近くで息を引き取ったんだ。竣工する2年前にね。そうそう、よく見る栄之助の写真は、自決する直前に三越呉服店で撮ったものだ」

自決直前に撮影した写真は大阪市中央公会堂地下の展示室で見ることができる

悲しい。あまりに悲しい。
しかし、同時に思う。なんと凄まじいドラマなんだろう、と。
自らの人生を賭けた北浜の地からすぐの場所に、株で儲けたお金を寄付して美しい中央公会堂を建設し、しかし株が元で追い込まれ、寄付した100万円があれば助かったかもしれないのに、返せとは言わず、本人は完成した姿を見ることなく、自ら命を絶って建設中の中央公会堂の近くで亡くなってしまう。
こんなすごい話、一生忘れられない。

そしてもうひとつ。この話を聞いて、バラバラの点が線でつながった。

「私は中央公会堂って、中之島にあるきれいな建物だという、ただそれだけの認識しかなかったんです。でも話を聞いて分かりました。あの場所って、北浜から目と鼻の先なんですね。北浜とは切っても切れない縁があるから、あそこに建てられた。場所にも理由があるんですね。栄之助さんの話を知らなかったから、完全に株や北浜のことを考えないで見ていましたが、栄之助さんや株のことを知って、初めてあの場所に建った意味、理由が見えてきました」
「その視点は大切。建築を見るときは、設計者だけでなく、なぜその場所なのか、なぜその形なのかまで考えると、見えるものが変わってくる」

なるほど、こうした視点まで含めて話せば、槇&磯崎先輩の審査をクリアし、新入生も興味を持ってくれそうな気がする。

次の候補地選考会はこれでいける、なんとかなりそうだ、と安堵していると、丹波先輩が「いま、位置関係の話があったから、ついでに」と思いもしないことを言い出した。そう、完全に予想外で、聞いたことない話を。
 
「僕は中央公会堂があの位置に造られたのは、北浜、そして大阪に“白魔術”をかけるためだと思うんだ」
「ええ!?」
 
意表をつかれ過ぎて言葉が出てこない。
頭の中は  “いったい何を言っているんだ!?” という驚きととまどい色に染まり、でもすぐに “なんかめちゃおもしろそう” というワクワク色に塗り替えられていった。
 
ふと見ると、先輩はカバンから財布を出して立ちあがろうとしている。
 
「ローリング・ストーンズの『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』がかかってるね。そろそろ閉店の時間だよ。この後、スターシップの『ウイ・ビルト・ディス・シティ』がかかって店の営業は終了だから、話の続きはまた今度」
 
ええー、面白そうな話が出たところで!?
先輩は立ち上がってレジに向かって歩き出し、二歩目で止まって
「あ、そうそう、中央公会堂地下の展示室、ちゃんと見てないんじゃない?」
と聞いてきた。
 
見抜かれていたかー。
 
「実は…。友達と一緒に中央公会堂には行ったんですが、外観と入り口周辺、階段の写真を撮って、友達が次に行きたそうだったから、展示室はちょろっとのぞいた程度で…」
「たびけんの会合で提案するなら、その前にもう一度行って、しっかり展示室の資料を見ておいた方がいいよ」
 
そう言うと先輩は私の分までお勘定を済まし、「じゃあ」とさっさと帰ってしまった。
 
“おあずけ”状態のまま店に取り残された私。店内には私とレジ締めしているマスターのふたりしかいない。
 
話のメモを見返しながら、おもしろそうな白魔術の話を聞きたかったなぁ、あれじゃあ美味しい料理が出たのにすぐ引っ込められたようなもんだ、おまけに痛いところつかれたし…と考えていたら、『ウイ・ビルト・ディス・シティ』が本当にかかった。
 
「マスター、忙しいところにすいません。ちょっと聞いていいですか」
「なんだい?」
「最後はなぜこの曲なんですか?」
 
そう聞くとマスターは手を止め、最初は顔だけこちらに向け、途中から体ごとこちらに向けて話してくれた。
 
「さっきのストーンズとこの曲は、俺の思いをお客に伝え、同時に俺自身も気持ちを忘れないためにかけている。ストーンズの方は ”It's only Rock'n'Roll but I like it”  ただのロックンロールだけど俺は好きなんだ、という原点のような思い。スターシップの曲には“We built this city on Rock'n'Roll”という歌詞がある。俺たちはロックンロールでこの街を造ったってね。俺はこの下北沢という街もロックンロールを抜きに語れないと思っている。昔も今もロックはこの街の大きな構成要素だ。これからも愛するロックで愛する下北沢を発展させていきたい。閉店前の2曲には、俺のそういうメッセージを込めているのさ。イエイ」
 
マスターはサムアップして、最高の笑顔を浮かべている。
4秒ほどして上げた親指を下ろすと、ナイショの話を教えてくれた。
 
「他のお客もいないし、丹波くんのお連れさんだから、特別に裏の理由も教えるよ。スターシップの『ウイ・ビルト・ディス・シティ』は、アメリカのローリングストーン誌が2011年に行った“1980年代の最低ソング”企画で、読者からぶっちぎりのワーストワンに選ばれたんだ。ローリングストーン誌の読者投票史上、かつてないレベルの圧勝だったそうだ。俺は驚いたね。そんなに良く思ってない人が多いのかって。日米の差はあるけど、もしかしたらこの曲をかければケツが重いヤツも帰ってくれるかもな、って試してみたのが最後に流すことにしたきっかけだよ。ロック版の『蛍の光』さ。意味合いは全然違うけどさ」
「お客が帰るって、そんな効果あるんですか?」
「ああ。丹波くんがまさにそうだ。彼は『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』が流れるとすぐに帰っちまう。この曲がかかる前にね。ま、俺は全てのアーティストをリスペクトしてるから、この曲がワーストなんて思ってないぜ。イエイ」
 
マスターはまたサムアップして最高の笑顔を浮かべている。
初めてしゃべったけど、意外にキャラ濃いな。
それにあの顔、父親が持っていたCDのジャケットで見たような気がする。他人の空似?
 
外に出るとすっかり夜だけど、通りは明るく、人通りも多い。
こんな個性的なオヤジの店があるのも下北沢っぽくていいなぁ。やっぱりこの街、好きだ。
さ、帰って大阪行きの予定を立てなきゃ。
白魔術の話の続きは、いつ聞けるんだろう。


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