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たびけん ~ 日本の素敵な建築を知りたい/守りたい人たちの旅の記録 ~3 #創作大賞2024 #漫画原作部門

エピソード3 Behind The Mask

1970〜80年代の洋楽ばかりかかる、下北沢のいつもの喫茶店。もう2時間ぐらいいるかな。入り口が開く音がしたので顔を上げたら、丹波先輩が入ってきた。
「来た来た!私、持ってる!」
先輩に聞こえないように小声でつぶやいて、机の下で小さくガッツポーズを取る私。

実は、ちょっとばかり追い込まれていたのだ。
たびけん部では年に数回、“たびけん(旅&見学)”する候補地を出し、全員で議論しながら行き先を決めている。これがナアナアな会合ではなく、どれだけ研鑽を積んできたかが図られてしまう場であり、ここでの評価が、以後の人数制限がある見学会に参加できるかどうかにも関わってくるのだ。

決定を左右するのが、ともに博識な槇先輩と磯崎先輩の意見。下手な候補地を出そうものなら、磯崎先輩から冷徹に一刀両断されて不勉強ぶりを叱られ、槇先輩からは「いいと思ったんだけど」と優しい言葉を一度かけてくれた後に厳しいアドバイスが来るから、よりヘコまされる。このツープラトンがきっついダメージを与えてくるのだ。私はこの2人を当サークルの「鬼越トマホーク」と呼んでいる。
いや、2人とも普段はとても優しいんですよ。悪いのは不勉強な私ですからね。
 
次回の会合は、「新入生と行く」がテーマ。もう日はあまり無いのに、頭の中は白紙状態だ。

どうするか。
丹波先輩に頼るしか無い。
よし、解決!

このお店にいたらきっと来るだろうから、偶然を装って声をかけて、相談に乗ってもらおう。そう算段して待つこと2時間。やっと“救世主”が現れた。

ついさっきまでとは打って変わり、満面の笑みを浮かべる私。
しかし丹波先輩はカウンターのサイフォンの前あたりで上を向いたまましばらく止まり、動き出したと思ったらマスターと何やら談笑し始めた。
いかん、カウンターに座られてしまう。呼ばなきゃ!
「先輩!ここ、どうぞ」
声をかけると、丹波先輩はこっちに軽く会釈し、マスターに「今日のおすすめコーヒーで」と注文して私の斜め前に座った。

「さっき、マスターと何を話していたんですか?」
「ん? ああ、かかっている曲の話。ひとつ前がア・フロック・オブ・シーガルズで、今かかっているのがジ・アイシクル・ワークス。ちょうど曲が始まったから、このイントロが最高にかっこ良くて好きなんだという話をしてたんだ」
「私も洋楽は大好きなんですが、そのグループ、両方とも知りません」
「そうなのか。マスターがその前はザ・ロマンティックスがかかっていたって言ってたよ。どれも80年代」
「いや、そのグループも知りません!私が好きな80年代のグループは、ユーリズミックスやデュランデュラン、カジャグーグー、あとカルチャークラブとか」
「ブリティッシュ・インベイジョン組だ。最高だね」

洋楽の話を続けている場合じゃない。話を変えなければ。
「それより先輩、ちょうどいいところに来てくれました。実は困ってるんです。部で新入生を連れて行く場所を決めなきゃいけないんです。みんな辞めないで残ってくれるような、印象に残るいい候補地はないですか?」
私個人が背負ってる問題ではなく、部としての問題のように言ってみた。
ついでに
「グッとくるやつがいいです」
と付け足して。
言ってから気がついたけど、これなかなかの難問を投げてしまってる?

先輩はしばらく上を向いていた。
考えてくれてるのかと思ったけど…、これは完全に曲を聴いてるな。
「ポリス、ですね。有名なヒット曲」
「久しぶりに聴いたから聴き入ってしまった。本当にいい曲。ただ、歌詞がね。今の時代ならストーカーの歌としてSNSで叩かれていただろうね」

ペースに巻き込まれちゃいけない。強引に話を戻す。

「先輩、新入生を連れて行くグッとくる候補地、ありますか?」
「そうだなぁ」
やっと真面目に考え始めてくれたか。

しばし沈黙の後、
「大阪市の中央公会堂はどう?」

え!どメジャーなの出してきた!

「ヒネリ全くなし。王道も王道、ど真ん中じゃないですか!それだときっと槇先輩と磯崎先輩にけちょんけちょんにやられます」
「彼女たち、そんな厳しいの?」
「候補地選考会での2人は厳しいなんてものじゃないです。怖いまでいあります。スイッチが入ったら男子生徒はみんな黙っちゃいます」
「そうなんだ。意外だね。ところで中央公会堂がどんな建築か、ちゃんと知ってる?」
「バカにしないでください!当たり前じゃないですか!国指定重要文化財の超有名物件ですよ!」

建築好きなら知ってて当たり前なのに、なぜ聞くのだろうと思いながら、スラスラと答えてみせた。

「大正元年、設計コンペで早稲田大学教授だった岡田信一郎さんの案が一等に選ばれ、その案を基に辰野金吾さんと片岡安さんが実施設計しました。赤いレンガと白い花崗岩&擬石のコントラストが美しい、辰野さんらしさを感じる素晴らしい建築です。大正2年に着工し、7年に竣工、開館しました。辰野さんの代表作のひとつ、東京駅の開業が大正3年ですから、レンガと花崗岩のデザインが共通しているのは、当時の辰野さんのお気に入りの手法だったんですね、きっと」
我ながらソラでこれだけ言えたらたいしたもんだと思う。余裕で合格点をクリアしたね。

丹波先輩は少し間をあけて、
「まず、建築しようと言い出したのは誰かわかる? 次にあれだけの建築だから、費用も相当かかった。当時のお金で112万円。今の数十億円。このお金を出したのは誰?」と聞いてきた。

まずい、辰野さんが関わったことを知った時点で満足して、それ以上掘らなかった。確か、岩本なんとかって書いてあった。

「言い出したのは岩本さん、でしたっけ? 建築費を考えると、基本的には大阪市が出したんじゃないんですか?」
「言い出したのは、岩本栄之助という北浜の相場師。あの渋沢栄一にも相談し、国の発展のために役立つもの、世の中のためになるものを残したいとね。そして彼が一人で100万円を寄付し、その利息10万円も建築費に当てられた」

ええっ!相場師が!?相場師がひとりで数十億円も出したの!?

「先輩、それ本当ですか? たとえ相場で儲けたとしても、個人が出せるような額じゃないですよ」
「このことは中央公会堂のホームページにも書いてあるよ。『公会堂の歴史について』というコーナーにね」

本当の話!? 額も額だし、ちょっと信じられない。そして次の言葉はもっと信じられなかった。

「ただ、栄之助は完成を見ることはなかった。竣工する2年前に相場で失敗して、ピストルで自ら…ね」

「え…」

私の脳に、鈍器で殴られたような衝撃が走った。

ウソでしょ!? どういうこと?

建築のために渡したお金を一時的にでも返してもらえなかったの?
「諸事情ありまして」って言って。
栄之助さん、なぜそうしなかったの? いったいどういう人なの?

私は何も知らずに「大阪市公会堂きれいー。大好きー」と言っていた自分が少し恥ずかしくなってきた。そしていつか先輩が話していた「建築は背景も知ることで本当の価値が理解できる。イロハのイ」という言葉を思い出していた。

「丹波先輩、この建築を後世に残した栄之助さんのこと、もっと教えてください」

#創作大賞2024 #漫画原作部門


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