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Vol.7 キラキラ女子大生の影

眩しすぎる同級生たち

広大で美しいキャンパスにキラキラ女子が集う。
ハイブラバッグを持って登校する子もたくさんいるような女子大だった。
1限から、化粧もヘアもバッチリ登校。私もそのために毎朝早起きしたり、母にハイブラバックをおねだりしたり、着飾ることに必死だった。
高校生のときから心の中はさほど変わっていないものの、外見への自分磨きが加速した。中身はカラッポのまま…。
もちろん、大学の友人には摂食障害であることは話していない。高校から同じ生徒が数名いたので、その子たちは私の体型の変化は知っているものの大学から知り合った友人には知られていないので、その話題に触れることすらなかった。
ただ、摂食障害をきっかけに胸がとても大きく成長したので、「何でそんなに巨乳なの…!?」という疑問はよく持たれていた。

自分を肯定してくれる人との出会い

大学生になり異性と出会う機会も増え、自分をさらけ出せるパートナーと出会った。彼は飲食店をしていて、食へのこだわりが強い人だった。好きな人と美味しいものを食べる時間や美味しいレストランのリサーチを大切にしている人だった。
そんな人と「食」の時間を楽しんでいたら、外見に対する恐怖心や執着が自然と消えていった。
「自分を肯定してくれる人、自分の心をさらけ出せる人、美味しいものを素直に美味しいと感じる時間」その時間が少しずつ私の心と身体を変えていった。
まだ、100%完治はしていないものの、身体は少しづつ自分の理想に近づいてきて、自分自身を肯定できるようになっていた。
決して、無理なダイエットをしたわけではなく、自然の流れのまま。
ただ、この頃はまだたまに過食衝動に駆られていたが、それ事体も否定的な気持になるのではなく、「食べ過ぎたー(笑)」ぐらいの気持ちですぐに切り替えられるようになっていった。

ヨガやランニングを始める

身体が軽くなってきたこともあり、運動をしたいと思うようになった。
しかし、「筋トレ=太くなる」という誤解と「モデル体型=美」という意識が抜けていなかったので、運動といってもヨガ。当時はホットヨガばかりして、痩せた気になっていました。水分が出ているだけなのに...。
後はウォーキングかランニング。
「ランニングも筋肉がつくからたまに」という気持ちを持っていた。
今となっては恥ずかしすぎる固定概念が不健康を作っていた…と反省。
あっという間に過ぎていった大学生活、入学時と卒業時の自分の心と身体はだいぶ変化していて、自分が目指す方向も見えてきた。

卒論は「自己肯定感」について

自己肯定感が低すぎた入学時からだいぶ高くなった卒業時、自分自身の幸福度の違いを実感していた。他者から見たら外見はちっとも変わっていないかもしれない。しかし、自分を肯定できるようになった頃からの自信もオシャレの楽しみ方も全く違う。
そんな私が卒業研究に選んだのが「自己肯定・自己愛」について。
研究論文や参考文献を読めば読むほど、納得。
そして、子ども時代の環境などで根付いてしまった自己肯定感は認めつつ、どうすれば自己肯定感を高められるのか、私には何が必要なのかも卒業論文を進める上でたくさんのことを学んだ。

卒業後は大学院を目指しながら、編集者へ

自分自身が少しづつ「摂食障害」を克服してきている体感がある中で、同じ気持ちで悩んでいる人を助けたいという気持ちが大きくなっていた。
そのためにはカウンセラーのなるのが良いのではと考え、臨床心理士を目指せる大学院に進むことを決めた。
同時に自分の研究や広めたいことをスムーズに広めるにはどうしたら良いのかな…と考え、辿り着いたのがメディア業界。
SNSがまだ主流ではなかった20年前に、自分のやりたいことを広めるにはメディア業界で経験を積むのが良いのではないかと思い、美容雑誌の編集部での勤務をスタートした。
編集部での仕事が楽しくて、毎日休みなく働いた。
とても過酷だったはずだが、当時の私には充実していて毎日ワクワクしながら仕事をしていた。
大学院の勉強をせずに、24時間編集部にいるほど熱中していた。
そんな日が約5年間続く中で、外国人モデルを起用する撮影が増えた。
日本語が話せないモデルも数多くいたので、当時全く英語を話すことができなかった私はジェスチャーのみのコミュニケーション。
そんな自分にもどかしさを感じていた。
「英語が少しでも話せたら、もっとコミュニケーションがとれるのにな…」
そんな気持ちを抱き始めた頃、慕っていた上司が人事移動で編集部を去った。そのタイミングで私もアメリカへの留学を決意した。

Vol.8へ続く…。



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