見出し画像

給料は30日に1回じゃなきゃダメなのか? 【1000文字で続ける日記のようなもの】

こんにちは。あさま社の坂口です。

東京から軽井沢に移住をして1年くらい経った頃。ふと思うことがあった。毎月25日に決まった額を「お給料」ということで振り込んでもらっているが、これはなぜなんだっけ?と。

雇用契約、ということであればそうなのかもしれない。

でも、23歳で企業に就職して以来20年以上、1日も途切れることなく、会社の雇用の下に入っていた、その身からすると、疑問にすら思わなかった「月1回」の給料。生活のほぼすべてがお金をもとに設計されていた。「やりたいこと」「子どもにやってあげたいこと」「衣食住」…それらは自分が願う形なのではなくて、実は手元に残るお金から逆算された「制限付きのやりたいこと」でもあった。

人生の自由を手にするために、副業や収入の複線化をしなければ。

立ち止まったときに思ったのは、そんなことではなかった。

なぜ、30日に1回なのだ。1ヶ月という切りのいいタイムスケジュールということなんだろうけど、自分の生活は30日を1回にそこまで規定されているのだろうか。もしそうだとすると、そのように求めていないにもかかわらず、1ヶ月単位で動いてしまっているのはなぜだろう。

植物は、1年の単位で生長し、種を残して、越冬を繰り返している。
季節の変化に合わせた合理的な適応。
一方で、人間にとって、少なくとも自分にとって「1ヶ月」の周期はどんな意味があるのだろうか。とくに、生活を規定しているお金の収入が「月1」であることの意味が。

たとえば年収500万円だったら、1月1日に500万円が振り込まれる、それでもいいんじゃないか。

僕にとってこの気づきは、サラリーマンを脱して、起業をするマインドセットにおいてとても大きな後押しになった。よく言われることではあるけれど、月に一回の給与をベースに生活を設計しているからこそ、その定期収入が途切れてしまうことの不安が現状に押し留めるくびきになってしまう。子供や家庭があればなおさらだ。

本をつくる、という営みはとても時間のかかる作業。1年で出れば「速い」といえるペースで、2年、3年かかることも珍しくない。その中でお金をどう回していくのか。

1年に1冊、いや2冊つくることができて、それで1年に一回、しっかりお金が残るとしたらどうだろう。それだったら、できるんじゃないか。これまでのキャリアの中で、10万部のベストセラーは狙って出せないけれど、1万部、2万部の本だったらつくれるんじゃないか、努力の範囲内で。
そう考えると、「月1」でなくてもいい。
「年に1回」宿根草がその季節に花を咲かせるように、そのサイクルで回していくことができれば。最初の3年間をそのように位置付けて、その間に根を張ることをめざそう。

こうして、心のブロックが、流れの中で外されていくプロセスを進んでいった。

▶▶▶
あさま社の公式noteでは、本にまつわる素敵なイベントや情報を積極的に発信していきます。ぜひフォローしてみてください。情報も随時発信しています。
*あさま社公式メールマガジン[軽井沢の森から]
▶︎登録はこちら
*あさま社公式 インスタグラム
▶︎フォローはこちら
*あさま社公式 twitter
▶︎フォローはこちら
------------------------------------------------------------------


この記事が参加している募集

編集の仕事

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?