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シグルイタワーを作った日

 今朝、今朝だ。今朝寝ぼけて歩きながらスマホを触っていて、Twitterの固定ツイートにしていた「シグルイタワー」についてのツイートを間違えて消してしまった。とても悲しい。シグルイタワーとは、何か。振り返ってみたい。

シグルイという漫画がある。

 南條範夫の短編集『駿河城御前試合』を原作に描かれた、血と愛とマゾヒズムについての物語だ。作者は『覚悟のススメ』『衛府の七忍』を創造した漫画家、山口貴由。『サイバー桃太郎』から運命の出会いを果たし『覚悟のススメ』のチャンピオン連載をおいかけていたぼくは、山口先生が描き出す『シグルイ』の世界にすっかり魅入られてしまった。

 2005年、連載2年目のある日、ぼくはふと思い立ち、スカルピーをこねて登場人物の一人を造形してみた。虎眼流一門より、山崎九郎右衛門。

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 余談だが、携帯電話で撮った写真の解像度の低さには、忸怩たる思いがある。あの頃フィルムカメラで撮影していれば、どれだけ高細度の記録が残せただろうか。35mmで4K解像度程度、と聞くと、歯噛みをしてしまう。閑話休題。

作り出したら止まらない人々 1995〜

 1995年に生まれた造形雑誌『SMH』は、ある世代のあるジャンルを愛好する人間にとっては、内臓の一部であり脳の記憶野を三分の一ほど占有する悪魔のような雑誌だった。ぼくはそのSMHを、創刊号から揃えていた。その雑誌の目玉であり、憧れていたデザイナー、造形師でもある韮沢靖、そして竹谷隆之、寺田克也が使っていたのが、造形素材スカルピーだ。

 柔らかいワックスのような素材で、オーブンで熱するとプラスチックのように硬化する。この当時に発売された高価なガレージキット(少数生産で作られる細密な造形複製物)を見れば、誰しもが「スカルピーがあればこれが作れる?」と勘違いするはずだ。もちろんぼくも勘違いをした。

 材料と道具をいくら揃えても、同じものが生まれるわけではない。世界堂で買ってきたスカルピーを開封し、カッターで削いで揉んで柔らかくする。そしてアルミホイルを巻いて作った芯につけて……いくら作っても、思い通りの形にはならなかった。なぜならぼくには、作りたいものがなかったからだ。

 上記の作家たちには、頭の中から湧き出る豊かなイマジネーションがあった。それを裏打ちするだけの膨大なインプットがあった。彼らが日常の中で紡ぎ出すアウトプットは、それを更に強固なものにしていた。本当に毎日、誰に頼まれたのでもなく、絵を描き、造形をしていたのだ。足元にも及ぶわけがない。

静止芸術に出会った 2000〜

 2000年代の頃のぼくは、日々を享楽的に消費していて、積み重ねるということをしていなかった。本業の傍ら、クラブイベントを企画して、大勢の人を集めてDJの真似事をしては、その翌日には真っ暗な部屋で寂しさと絶望に呻いたりしていた。楽しく生きたかった、それまでの人生を変えたかった。どんなことをすれば笑顔になれるのか、よくわからなかった。でも楽しかったよ、あの頃の人たちありがとう。

 ある人と出会った。展示会で、絵具を散らしたようなポスターを展示していた。その日本画を模したというポスターの価値はまるでわからなかったけど、そのポスターを作った人のことを、ぼくは好きになってしまった。その人がぼくに、静止芸術の価値を教えてくれた。よく、映画の趣味や音楽の趣味などで、女の人があまり見ないジャンルを好きだと言うと「男の影響だろう」と言い出す男がいるが、ぼくはそれをいう人間の差別意識とは別に、男女が逆であっても、どちらの性がどうであれ「他人の影響で自分が変えられてしまうことは、あるだろうな」と思う。それを知った経緯がなんであれ、何才の時に出会ったのであれ、何者の影響も受けずに「それ」にで会うことは難しい。ぼくにとってはそれが静止芸術だった。

 その人が、友人と共に、彫塑を始めた。おどろくほどの才能だった。アイディアも、アレンジ力も、素晴らしかった。憧れた。真似したかった。だから石粉粘土を買って、その人のやっている造形の真似事をした。彫塑の基本を学ぶために本を買い、材料を揃え、道具を探し出し、そして作って、作って、意外なことに、思い通りに作れることがわかった。ある程度大きなものを作ることで、勘所を学んだのだ。

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 これは2005年に開催された籠真太郎主催の展覧会『うんこ100展』に出した「豚の人形」。今みれば甘い点は多いし、塗装だって緑から立ち上げた割には浅いけど、腕と首が動くだけ大したものだ。

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 現実にいる何かを模して、現実とは違う形に仕上げていくのは、とても楽しかった。この頃に作っていたものは、芸術であって商品ではないし、残しておく倉庫もないから現存していない。たぶん。誰かが持って帰っていなければ。

偽物、似せるもの 2005年〜

 アニメやマンガのフィギュアを作る、というのは全く想定外だった。なにしろ、ぼくが憧れているのは竹谷隆之であり、韮沢靖だ。何かを作るにしても作家性のあふれるアレンジを加えて、他にない唯一無二のものにしなければ。そういう思い込みがいかに有害で実益のないものか、15年経ってみるとよくわかる。

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 作り出してみると、山口貴由の絵がどれだけ素晴らしいかがわかった。そして、その素晴らしさを立体物に「そのまま」移し替えるのが、どれだけ楽しいことか。先刻までの思い込みはつゆと消え、ぼくは「絵の再現」に血道を上げた。

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 盛っては削り、焼いては削りを繰り返した。漫画の一コマをコピーして拡大し、壁に貼った。それでも全く、手の中の造形物のもつ力は絵には遠く及ばないものだった。それから2年の月日が流れる。

作ると思った時には、もう作ってるんだ 2007年〜

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 2007年にふと思い立ち、ジョジョ第一部の石仮面を作った。だいたい「ふと思い立」ってしまうのだから仕方がない。たぶん、世に出ている造形物に気に食わないことがあったのだと思う。造形の参考にしたのは原作の最初に出てくるアステカのものと、ジョースター家の屋敷で壁にかけてあった時のもの、そしてディオが被り、骨芯が刺さった時のものだ。

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 塗装し、箱に入れると、何やらそれらしい雰囲気になってくる。でかいものはいい、作っていて迷いが生まれないし、家にあると、それだけで気持ちがデカくなってくる。どうだ俺の家には本物の石仮面があるんだぞ。今でもこれは、ぼくの中では、世界で一番本物に似ている石仮面だと思っている。

 そのあと、いろいろなものが壊れて、どうしようもなくなって、ゾンビのマスクを作ったり、世界の殺人者シリーズを作ったりした。

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虎眼塔、建立 2010年〜

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 少しだけ生活が落ち着いて、改めてゼロから作り直したのが、これだ。材料はファンドとエポキシパテ、一気に盛って、一気に削る。目指すべきゴールは原作絵の再現。シワの一本、皮膚の張り、骨と筋肉、それらの表現力が、5年前とは違っていた。積み重ねが、確かな実感を指先に与えてくれた。

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 虎眼塔(シグルイタワー)という名前も天から降ってきた。秋田書店の許可も出て、イベントで販売することができた。確認用に送った実物が、山口貴由の手に渡り、他のファンが作った造形物と共に飾られていると知り、嬉しさのあまりに泣いた。

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 原型は紛失し、複製型は壊れた。唯一手元に残る複製物だけが、ぼくがこれを作った、という証拠だ。また、この時ほどの情熱を指先に込めることができるとは思えないけれど、積み重ねた記憶は消えない。

 シグルイタワーを作った日から15年、あの塔はまだぼくを支えてくれている。

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