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住人インタビュー Vol.5 :ゆうき【シェアハウス ボーダレスハウス浅草橋の熱い男】

こんにちは、浅草橋ハウス住人のぴかそです(私のインタビューは後日公開予定です、楽しみに待っていてください! ←2022/06/15  わたしのインタビューが公開されました。ぜひこちらも御覧ください)。
浅草橋ハウスの住人に、どんな生い立ちでどうして浅草橋ハウスにいるのか、今後歩んでいきたい人生などをインタビューしていくシリーズです。

第5弾は、いつもハウスを盛り上げてくれる関西人のゆうきに話を伺いましたー!

インドネシア大好きな、熱い男のゆうき

生い立ち

では軽く自己紹介からお願いします!

大阪府の堺市出身で、大学卒業まで大阪で育ちました。大学では英語を専攻していて、大学3年生の時にはフィリピンに交換留学をしています。

アジアが好きだったので、新卒はイスラム教徒の戒律に沿ったハラールの日本食を扱う飲食店で約2年ほど働きました。
それから転職をして、インドネシアで約1年弱働いています。インドネシアは大学1年生から大学在学中に4回行っていることもあり、私のお気に入りの国です(笑)

その後、紆余曲折ありボーダレスハウスというシェアハウスを運営する会社で働いています。

いろいろな場所でお仕事されていますね。まずは、小さい頃の様子について聞かせてください!

今話すと恥ずかしいのですが、昔から熱いと言われることが多く、学校の合唱コンクールで優勝を目指して頑張るタイプでした(笑)

中学生時代はただ自由に過ごしていましたね。外にいることが多く、コンビニで友達とずっと喋っていました。田舎あるあるですね、たぶん。

高校生ではアルバイトをしながら地域のだんじり祭りに2回参加しました。お祭りのあの雰囲気が好きで、今でも思い出に残っています。

◆ だんじり とは
日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す、西日本特有の呼称

出典:Wikipedia

小さい頃から1つのものをみんなで作るのが好きなんですね。

真面目で、リーダー気質で、熱くて、人が好きで、人情があって、目立ちたがり。なゆうき

新卒時代のゆうき。現地テレビの取材を受けたそうです。

インドネシアとの出会い

大学1年生の時に行ったインドネシアが、どうして人生のターニングポイントになったのですか?

高校卒業後、関西の外国語大学に入学しました。
同級生は英語が既にペラペラな人が多く、入学したばかりにも関わらず留学に行く気満々の帰国子女ばかりでした。かくいう自分はパスポートすら持っておらず英語も話せなかったのですが、留学に行きたいという思いがありました。
長期の留学がしたかったので、大学1年生の夏休みに色々と探していました。学生でお金はなかったので、安くて、長く海外にいける方法を探しました。そのときにインドネシアでのボランティアの募集を見つけて、見つけた次の日の説明会に参加し、その後すぐに申し込みました。

行動力と熱意が半端ない

インドネシアでは、ホームステイをしながら、現地の学校に行って日本語クラスのサポートをするという、ボランティアではよくある内容でしたがすごく良い経験でした。新しい人と会っても、「またきてねー」と言われたりしたのが忘れられないです。

よく、社交辞令的に、またきてねーと言われるじゃないですか。僕はそれを言われたとき、本当にまた来ようと思ったのですよね。ということで4ヶ月後にまた行きました。それから何度も行き続けていて、気づいたらインドネシアが自分のお気に入りの国になっていました。

へー、ほぼ毎年行ってたんですね。何がそんなによかったのですか?

ありきたりですが、”人”ですね。もう一回行こうと思える場所というか。

あと、インドネシアしか行っていないからかもしれませんが、いつも気づきを得る場所でした。2回目に行く時はもう慣れたかな?と思っていたのですが、思ったよりも英語が話せないなと気づいたり、行く度にいろいろな学びや気づきを与えてくれました。生まれた地元のほかにもう1つの故郷がある気分でしたね(笑)

あの時もしインドネシアに行っていなかったら、とりあえず英語圏に行っていたかもしれないし、もしかしたら英語を話すことや英語に関わる仕事自体やらなかったかもしれないですね。本当に出会ってよかったと思います。

それでインドネシアで働いたんですね!

新卒の会社で働いているときも、インドネシアで働きたいとずっと思っていました。その中で、働き詰めで休みも少なく逃れたいという気持ち半分でインドネシアにある日系企業に就職しました。あまりいい転職の仕方ではないですね。ただ転職した先でも職場内の関係や仕事もうまくいかず、諦める形で帰国しました。あの時お世話になった方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
とはいえ気持ちを切り替えるしかないので、帰国後隔離中に自己分析をやり直し、出会ったのがボーダレスハウスです。スタッフとしてもう2年目になりますが、上司やお客様に恵まれ、本当に楽しく仕事させてもらっています。

留学中に旅行でジャカルタに訪れた時 

浅草橋ハウスへの入居

浅草橋ハウスに入ったきっかけは?

◆ 前提
ボーダレスハウス浅草橋は、2021年9月にオープンしたばかりの新しいシェアハウス。コミュニティをつくる、地域とのつながりをつくる、国際交流をつくる、新しいかたちのコミュニティシェアハウス。

出典:「一緒につくる」暮らし。BORDERLESS HOUSE 浅草橋1

自分はボーダレスハウスのスタッフで、かつ元々違うボーダレスハウスのシェアハウスに住んでいました。

浅草橋ハウスが2021年9月に新規オープンすることとなり、一緒に住みながら浅草橋ハウスを作って生のフィードバックを得た方がいいんじゃない?という話があがり、住むことになりました。

新オープンのハウスに住んであれこれ決めたりすることも初めてだし、仕事だけじゃなく色々な人と関われたりと、学べる点もたくさんあると思ったので、とても楽しみにしていました。

では仕事でもプライベートでも期待して浅草橋ハウスに入ったということですね。実際に入ってどうですか?

もちろん楽しいです。個々の住人はメンバーのために何かやってあげようという気持ちが強いですね。それをしっかり行動にも移している人が多いところが印象的ですね。

ハウスの立ち上げからいるので、メンバーが少ない時は少ない時の良さがあるけど、人がどんどん増えてきて違う雰囲気を楽しんでいます。昔は、パーティとかもしっぽり飲む感じだったけど、だんだん人が増えていくにつれてワイワイした雰囲気になったりグループができたりと、人が入ってくるたびに変化を楽しめたのがよかったです。

浅草橋ハウスで一番忘れられない思い出は?

ハウス内で時勢の要観察者が出て対面での接触が制限されていたときに、月1回のハウスミーティングをリモート会議で行いました。そのミーティングで、ここのハウスに入って実際に生活してみた感想をみんなで共有し合ったことがエモかったです(笑)

入居者は、もちろん様々な温度感や期待を持って入ってきているし、面と向かって楽しい?とか、改めてハウス生活どう?とか聞ける機会は中々なかったので、全員がハウス生活の感想を述べてくれている風景がずっと印象に残っています。あの瞬間は1番エモかったな(笑)

みんなの思いやりを感じる時が嬉しいんですね。このハウスのメンバーの全体的な印象はありますか?

当たり前に感じる基準の高さですかね。
自分もですが、言われないと気づけないことっていっぱいありますよね。
例えば清潔を保つことに対してとか。本当に基本的なことなんですが、自分のものをリビングに散らかさない、自分の皿は洗って直す。ゴミ箱が溜まったら入れ替えるなど。シェアハウスをしていると無意識にやらなかったり忘れたり人任せにしがちですが、彼らは自発的に綺麗な状態を保とうとしてくれます。当たり前のようで、本当は17人も住んでいると維持するのは難しいんですよね。オープンしてから今でもハウスが綺麗なのは、みんな当たり前の基準が高いんだと思います。

パーティで楽しそうにしてるゆうき

将来の展望

ゆうきのビジョンはありますか?インドネシアに行きたいとか?

インドネシアに行きたい!リベンジしたい!

それはインドネシアの人たちに恩を感じていて、その人たちに恩返ししたいと思っているということですか?

理由はたくさんありますが、1つだけ言うと、これは完全なエゴなのですが、自分の人生のターニングポイントでもあり、原点でもあり、色々と思い入れが強いのですが、先ほどでも話しましたが、前回は色々と失敗してきたので(笑)リベンジという意味でも挑戦したいですね。

今後、浅草橋ハウスをどうしていきたいと考えてますか?

みんなで作っていくというのが浅草橋ハウスのコンセプトなので、自分がいなくても常にいいように回っていく仕組みづくりを築きたいです。もちろんそれはハウス内だけではなく、主催したイベントの参加者などボーダレスハウスのビジョンや考え方に共感してくれる人が1人でも増えるようなハウスに、自然となっていく仕組み。
自分の役割としては、入居者みんながやりたいことをサポートしていって、それをさらにより良いものにしていきたいです。

個人的にはもっと地域との関わりを深めていきたいです。イベントに来た人やその友達、地域のおじちゃんおばちゃんが仲良くなり、「今日夜ご飯食べにきなよ!うちに泊まっていきなよ!」みたいな関係性になるところまで持っていきたいです。他では味わえないようなローカルな繋がりが増えていく。それが18歳の時に初めてインドネシアで感じた人の繋がりの良さです。人との繋がりが国や地域を好きにさせていく。そんな経験を浅草橋ハウスでも作っていけるんじゃないかと。そうしていくにはみんなの力が必要だなと思っています。
インドネシアで自分が学びを糧にこのハウス作りに生かせればいいなと思っています!

過去の経験を通してたどり着いた今の仕事が、ゆうきの将来やりたいことに繋がっているんですね。これでインタビューは終了です。とっても楽しかったです。今日はありがとうございました。

 まじめなゆうき

取材後記

スタッフとして、シェアハウスの住人として、一人の人として、難しい立場で浅草橋のコミュニティに向き合っているゆうき。
文化の違う場所での経験や、仕事での苦しい時期を乗り越えてきたからこそ、「他の人の痛みや当事者を知ろう」とする優しい人なんだろうと言葉の節々から感じました。ゆうきが描く、「温かいつながりのあるコミュニティへの想い」は、誰よりも強くて熱いと思います。細かく面倒なところも、しっかりと時間をかけて取り組む様子は、シェアハウスに住んでいるみんなに大きな刺激をもたらしていると一緒に住んでいて実感しています。

これからも、ゆうきが夢に向かってぶち上げていく様子が楽しみですし、仲間として巻き込まれて行きたいですね!本当にありがとうございました!

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