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住人インタビュー Vol.2 :ボン

概要

入居者に生い立ちや現在取り組んでいること、どんな浅草橋コミュニティを作りたいかなどをインタビューしていくシリーズ。第二弾は、海外大学院留学を経て社会人1年目を迎え日々奮闘している、ボンちゃんにインタビューをしました。

学生時代:朝鮮学校と死ぬ気のラグビー

りょう(以下、り):浅草橋ハウス入居者第1号。これまでたくさん話を聞いてきたけど今日は改めて。まずはプロフィールから聞かせてください。

ボン(以下、ボ):生まれは岩手県の盛岡です。なので、盛岡のご飯が1番好きですね。盛岡冷麺とか。(笑)

り:たしかに昨日も食べてたね(笑)盛岡はいつぐらいまでいたの?

ボ:母親の里帰り出産だったので、生まれてからはずっと東京育ちです。小学校から高校までは朝鮮系の学校に通っていました。

カメラ目線では絶対に見せない笑顔で映るシャイなボンちゃん

り:ボンちゃんは在日コリアンという、バックグラウンドとしてユニークな部分があると思うけど、自分の環境はどうやら”普通”と少し周りと違うようだと感じることはあった?

ボ:子供の頃はスイミングスクール通った時に名前で少し周りとは違うなと思いましたけど、当時はそんなに強く感じなかったですね。小、中、高校まで朝鮮学校に通っていたので、周りは同じ背景を持つ人と過ごしていたのでそういう違和感はありませんでした。ユニークで特殊な人も世の中いっぱいいるから、みんな違うんだろうなって感じでしたね。もし日本の学校に通っていたら逆に浮き彫りに感じてたのかもしれないですね。

り:なるほどね。朝鮮学校へはボンちゃんの意思で入ったの?

ボ:最初は親の意向です。小学校は気づいたら入っていました。でも中学、高校になると日本の学校を目指す人も出てきますし、自分も興味はありました。外の世界を見てみたいという気持ちもあったし、高校まで朝鮮学校にいたら考え方が一方に偏ってしまうかもというなんとなくの恐怖もありましたので。それでも親との話し合いの中で、せめて高校までは民族教育の中で自分のバックグラウンドを学ぶべきだという父の言葉に納得し、最終的には高校まで通いました。

り:そうだったんだね。高校生活はどうだったの?

部活一筋で、ずっとラグビーをやっていました。ラグビーって死ぬ気で相手に当たって行かないと自分が怪我するので、文字通り死ぬ気でやっていました。中学生の時はここで諦めてただろうなというラインを強制的に上げられて、人間ってどこまでもできるんだなと実感しました。そのマインドセットで卒業後浪人していた時も1年間独学で猛勉強し、筑波大学の情報科学科に受かることができました。

筑波大卒、香港大学時代:キャリアを考える

り:独学で浪人をやりきるって尋常じゃないね。入学してからはどうだった?

ボ:いざ入学してみると情報系って化け物がいるんですね。僕は当時USBの使い方も分からなかった一方で、クラスメイトには小学生の頃からPCが友達ですみたいな人がいっぱいいて、、入学式のガイダンスでも説明そっちのけでプログラミングしてる人がいてびっくりしました。入学してからは僕も毎日プログラミングに打ち込んでいたのですが、大学一年時に参加した長期インターンを機に本当にプログラミングを仕事にしたいのか自問自答し、将来について改めてゆっくり考えました。

り:どういうことを考えたのか聞いてもいいかな?

ボ:もともと幼い頃から「日韓や朝鮮半島はなぜうまくいかないのだろう?」、「”在日朝鮮人”という存在は一体なんなのだろう」という疑問がありました。そして歳を重ね大人になるごとに、このような現状を変えていくことにコミットしたいという気持ちが少しずつ大きくなっていくのを自分の中で感じていました。そして色々考えた結果、国際関係の方に少しずつ興味が移っていきました。

香港留学中(後ろの夜景よりもボンちゃんの笑顔がまぶしい...!)

り:そんな中、香港の大学院に留学して今はファイナンスの仕事してると思うけどその辺はどういう風に関連してるのかな?

ボ:政治系のキャリアを進むのは自分のバックグラウンド的に難しいので経済のキャリアパスを進もうと思い、経済学修士に進学しました。香港大学に進学したのはアジアトップの大学であったのと同時に香港がアジア金融経済の中心地だったからです。最終的にはPh.D(博士課程)を目指していたのですが、大学院での勉強を通して、どうしてもPh.Dの本分である研究に興味が持てないと感じました。そこで経済以外の関連分野に目を向けた時、ファイナンスを思い浮かべました。「ファイナンス × 国際関係」のキャリアとしては世銀や国際開発銀行等があるのですが、そういった道もあるのではと。大学院在学中ギリギリまで迷いましたが、最終的には、Ph.Dは将来もう一度やりたくなったら再開すれば良いから一度就職してみようと思い、外資系企業で財務計画や経営管理をする仕事に就きました。

ボンちゃんがリビングで勉強/読書している様子。ハウス内で本当によく見る光景

浅草橋ハウスに入居

り:ボンちゃんはちょうど社会人になるタイミングでシェアハウスに入ってきたんだよね?

ボ:はい、そうですね。香港での大学院留学から帰ってきたらほとんどの友達はもう社会人で忙しそうにしていて、一人の時間が多くなってしまう懸念があったのと、もともとシェアハウスに興味があったこともあり、浅草橋ハウスに入居をしました。

り:ボンちゃん入居者第一号だよね?全く知らない人が自分の後に入ってくることに抵抗はなかった?

ボ:自分は1から自分で作る方が気楽で、どちらかというと既に出来上がっているコミュニティに入る方が苦手なので、抵抗はあまりなかったです。

り:入ってみてどうだった?

ボ:1人また1人と入居者が増える度にハウスコミュニティの文化、雰囲気が変わっていくのが面白かったです。最初は自分を含めて3人だったのが、まっさんが入って和やかになったり、りょうさんが入ってきて引き締まったり。

り:最初からいたからこその意見だね。

ボ:今の浅草橋ハウスのいいと思うところは、本当に良い人が集まっているところです。話が合う人もいますし、社会人で年代が違う人やバックグラウンドが異なる人と一緒に住んで話を聞けるのは面白いし、大切なことだと思っています。

やっぱりカメラ目線の笑顔が苦手な最右のボンちゃん

自分自身と浅草橋ハウスの今後について

り:ボンちゃんにとって、”浅草橋ハウス”らしいコミュニティのイメージはある?

ボ:ハウスメイトとの会話が活発に起きている状態かなと思います。出身が異なる国の人もいる中で、お互いを尊重しながら仲良く楽しくできれば、浅草橋ハウスらしいんじゃないかと思います。今はとにかくハウスメイト同士仲が良いと思うので、これが続く、続けていくことは大切ですね。

り:それは間違いないね。最後にボンちゃんの今後について聞かせてほしいです。今後はどんな人になりたい、こんなことをしたいってある?

ボ:違う出身や年齢を超えた色々なバックグラウンドを持つ人との会話を楽しみたいです。年上の方の話は、人生の学びが多いし、自分より若い人たちは、今の入居者で言うと環境や社会課題への意識が自分よりも高かったりするので面白いです。ここに住み初めて、新しい人と出会えることが楽しいです。僕が人との会話をするうえで大事にしているのは、「人と会話をするときは自分の意見を押し付けず、相手の話を理解しようと努める。」ということです。自分の意見が真実と思い込まないようにしたいと思っています。

り:確かに、自分の意見=真実って思ってしまいがちだよね。さすが、思慮深いね。そしてボンちゃんみたいに自分の今後の目標と浅草橋ハウスコミュニティの趣旨がリンクしていると自発的にコミュニティに貢献できるし良いよね。

今回のインタビューはこれで終了です。今日は長い時間にわたって話を聞かせてくれてありがとうございました。

リビングで繰り広げられる会話(浅草橋ハウスではとりあえずタコパしがちです)

取材後記

今回の取材も非常に楽しい時間でした。ボンちゃんはハウスで1番と言えるくらいここのハウスメイトと会話をしている印象。そして、話の1つ1つが深く、質問も鋭くクリティカルであると他の入居者から評判で、僕もそう思っています。本人も最後に言っていましたが、自分の意見を言う一方で、相手の話もよく聞いて理解しようとしているのは一緒に生活していてよくわかります。世界を異なる視点で見ている人々がいるという事実を、自身の経験や境遇を持って知っているからこそ、何が正しい、絶対であると思い込まないように意識している。そのためにたくさん勉強するし、いろんな人と会話をし、時には白熱した議論を繰り広げる。そんな時、ボンちゃんはとても楽しそうで輝いているように見えます。僕の中では、「多様なものの見方の発見」+「自分の中の無知による偏りがなくなっていく実感」が彼の目を輝かせているのではないか、と勝手にいろいろと想像をしてしまいました。次は、ボンちゃんと同じく最初期からの入居者である、ゆうきに話を聞いていきます。次回もお楽しみにしてください。

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