稲数麻子 | Asako Inakazu

「世の中を、より美しく」をフィロソフィーとしたクリエイティブチームKOTO art&a…

稲数麻子 | Asako Inakazu

「世の中を、より美しく」をフィロソフィーとしたクリエイティブチームKOTO art&creative worksでアートディレクターをしています。空間、写真、映像、ブランドなど幅広くアートディレクションのお仕事をしています。 Instagram @asakoinakazu

最近の記事

KOTO創業3年目までの道のり

KOTO art&creative worksは2021年6月1日で創業3年目を迎えた。カオス以外の何者でもなかった3年前を思うと、実に感慨深い。6月から4ヶ月もたってしまったが、KOTOについて書いてみる。 KOTOができる前新卒で入った会社を辞めて、フリーランスのような形でしばらく働いていた。本当はどこかに転職するつもりだったが、仕事を受けるうちになんだか止まらなくなってしまった。責任を一人で負うことの不安と、体力的な限界は何度も訪れ、よく一人で泣いていた。糸がプツンと

    • みんなが「ちゃんと」した先にある世界

      大人になることが好きだ。歳を重ねる度に、未知だった世界が開けていくことは愉しい。私はいつも、大人になることが楽しみだった。20歳を迎えて以来、大人の経験もないながらに私なりに大人として努めてきたつもりだが、私は「ちゃんと」やっていけているのだろうか。 「ちゃんと」とは何を指しているのだろう。仕事を頑張ること?ルールを守ること?常識的な行動?ミスなく完璧にこなすこと?人様に迷惑をかけないこと? 大人になってからは「ちゃんとしろ」なんてストレートに言われることは、実際にはあま

      • 結婚式をずっと作ってきた結婚4年目の私たちがついに結婚式準備を始めてみた話

        社会人1年目からずっと、正確に言えば大学3年の秋から結婚式づくりに携わってきた。担当したご夫婦は200組近く。私は数年間、オーダーメイドウェディングの「アートディレクター」という役割を仕事にしていた。 そんな私は同じくオーダーメイドウェディングの「プロデューサー」をやっていた同僚である夫に出逢い、結婚した。私も夫も、結婚式に憧れて入社したわけではなく、会社の哲学や職自体の魅力に惹かれて入社し、退職した今は夫婦ともに結婚式づくりはほとんどしていない。 結婚式を伸ばし伸ばしに

        • 日々発信。

          「今の時代発信力が大事。」 誰かがそう言っていたのを聞いて、発信力って何だろうと考えた話。私の発信の歴史の始まりはおそらく小学生の頃先生に提出していた日記。日記を書いて提出し、先生にコメントをもらう。淡い記憶だが、きっとそのあたりが自分の脳内を言語化し人に曝け出す「発信」の始まりだ。中学生の頃からmixi、Facebook、twitter、Instagramなど、あらゆる場で発信を続けてきた。(その内容の質は置いておく) 発信力というものの中に含まれる意味合いはいくつかあ

        KOTO創業3年目までの道のり

          たった一人からたった二人へ

          1年前一人で立ち上げたクリエイティブチームKOTOのメンバーは現在二人。独立してからは6月で3年目に入る。前職時代、私はいち企業の社員だったので、もっと多くのチームの一員だった。 二人 というと「たった二人のチーム」とも思えるが、この「たった二人のチーム」に辿り着くまでが大変で「たった二人のチーム」に私はものすごい奇跡を感じている。 人ひとりにはあらゆるものが凝縮されており「これが大切」「こうやって生きたい」「これはしたくない」「こんな人でありたい」様々な切り口の価値観が描

          たった一人からたった二人へ

          「生きる」ということ

          長くて100年と少し、生きるということを始めます。 準備は良いですか? もしくは、やめておきますか? こんな丁寧な確認もなく、 生きるということは気づけば唐突に始まって、 嫌だとしてもいつかは必ず終わりを迎える。 「生きる意味が分からない」 そう思い悩むことはよく聞く話で 私も時折そう思う。 家族や友人が悲しむとかそういうことを除いてしまえば 生きる意味も必要も、ない。 それは良いことでも悪いことでもない。 教科書に書いてあるわけでもなく、産んだ親ですら答えを持って

          「生きる」ということ

          心身健やかに良いものを生み出すという働き方。

          「こんな働き方では子供がつくれない」 「もっと家族との時間を大切にしたい」 そんな当たり前に大切なことたちが叶わないという理由で一緒に走ってきた大好きな仲間が、目の前で大好きな仕事を辞めていく姿。 私が「心身健やかに、良いものを生み出す働き方がしたい」と思う原点だ。 絶対どうにか出来るはずなのに、どうにも出来ない無力な自分が悔しくて、大切なことを大切にできない働き方がごく当たり前に溢れる世の中に疑問を抱いた。 私は「世の中を、より美しく」をフィロソフィーに掲げるクリエイティ

          心身健やかに良いものを生み出すという働き方。

          なくても死なない、美しいもの

          好きな言葉がある。「人はちっぽけな生きものだが、花のうつくしさに胸をふるわせる生きものだ」岩崎 俊一さんのエッセイ「大人の迷子たち」という本の一文だ。 就職活動をしていた大学3年の私が掲げた希望職種のイメージは「特になくても生きていける美しいものを作る仕事がしたい」という曖昧なもの。例えば究極、人は食べることが出来て、寝る場所があれば生きていける。「これがないと死んでしまう」と直接的に命に関わることよりも、もっと心を潤すような、癒やすような、究極なくたって生きていけるよ

          なくても死なない、美しいもの

          自分の世界を発信してみるという試み

          新しいことを始めてみる。 それだけでもなかなか足が前に出ないのに、タイトルがやたらと太字で大きくて、緊張感がある。小さな頃から前に出ることは得意じゃない。私自身は陰でこっそりと注目されないようにしながら、自分が生み出したものだけ世界の光を浴びてくれればそれで良い。それが良い。そういうポジションが好きなのだ。それでも私の身体は、あなたという世界を外側に表現しなさいと言ってくる。きっと、人間とはそういう生きものなのだと思う。食べて寝て動くだけでは満足できない、欲深くて美しい生き

          自分の世界を発信してみるという試み