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なくても死なない、美しいもの

好きな言葉がある。「人はちっぽけな生きものだが、花のうつくしさに胸をふるわせる生きものだ」岩崎 俊一さんのエッセイ「大人の迷子たち」という本の一文だ。

就職活動をしていた大学3年の私が掲げた希望職種のイメージは「特になくても生きていける美しいものを作る仕事がしたい」という曖昧なもの。例えば究極、人は食べることが出来て、寝る場所があれば生きていける。「これがないと死んでしまう」と直接的に命に関わることよりも、もっと心を潤すような、癒やすような、究極なくたって生きていけるような美しいものを生み出せる人になりたかった。(もちろん、直接的に命に関わる仕事は偉大だ)

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無事に私はオーダーメイドウェディングのアートディレクターという、究極に「なくても死なない美しいもの」をつくる仕事に就くことが出来た。結婚式をやるかやらないかは個人の自由であり、強制ではない。結婚式の装飾だってなくてもさほど問題はない。けれども、ここには書ききれないほどに結婚式という一日は美しく、私がデザインし作り上げた高砂を見て涙を流す新郎新婦も数多く見てきた。※今は独立し、ウェディングから幅を広げて空間装飾などのお仕事をしています。

アートや音楽、ファッション、デザイン。そういった類のものは、なくたって生きていけるのかもしれない。でも、そういうものこそ、私の人生にとっては「なくてはならないもの」なのだ。そういう人は多いだろうし、気づいていないだけで実は全人類そうなんじゃないか、とも思う。美しいものは人生において時に救いになると、信じている。

人生は長い割に、辛いことも多い。神様ったらどういうつもりでそんな設定にしたのか、と思うこともある。気分があがらない時、悲しいことがあった時、私は美しいものに触れるようにしている。無意識的にそうしている人も少なくないと思う。お気に入りの古着屋さん、セレクトショップ、気になっていた展示や映画、音楽。自分の心と身体が美しいと感じるものに浸る。浸るほど時間がなくても、一瞬触れるだけでもそれらは私に生きる力をくれる。もう少しこの世界で頑張ってみよう、と思えるのだ。美容室やネイルサロンで外見を整えたり、美しい空間でコーヒーを楽しめるお店で一息つくのも好きだ。調子が良い時にそういうものに触れれば、世界はますます愛おしい。

真に「不要不急」なこととは何なのか

仕事が忙しいからと、あらゆることを疎かにしていた私たちは「不要不急」を避け、在宅の日々が続き「なくても死なないもの」の尊さに気づきはじめる。今まで、最優先としていた時間は本当にそれほどに重要なものだったのか。

スーパーに行くついでに初めて寄った近所の花屋で花を買い、家に飾ってみる。一輪そこに居てくれるだけで場を彩る花の美しさに目を見張る。通勤していた時間を掃除の時間にあててみる。仕事の合間にできるだけ簡単に素早く済ませていた外食を、丁寧に自分で作ってみる。家族と一緒に食卓につき、「美味しいね」なんて言い合う時間の幸福感を味わったりもする。家族との食事は、週に一度一緒に食べられたらラッキーだ、なんて人もいたかもしれない。なんだかんだとリモートワークで忙しい人もいつもはあまり使っていなかったベランダに机を並べ、太陽の下で仕事をしてみたり。晴れた日には、息抜きに近所をお散歩してみる。今まで目に入らなかった木々や花が心を癒やしてくれる。自分の心と身体の声に耳を傾け、運動してみたり、お風呂にゆっくり浸かってみたり。忙殺されていた時には予想もしていなかった今がある。そんな日々を過ごしている人が増えている。

これらはすべて、別になくたって死にはしないもので、実際私達は生きていた。それでも、こんな時間こそがたしかに私達に必要だと、世界はそう気づきはじめている。「なくても別に生きていけるもの」こそ人生を美しくする可能性をもっているのかもしれない。

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私はというと、終電で帰りソファに倒れ込むようにして寝ていた旦那さんがお風呂に浸かりちゃんと着替え、ストレッチまでしてベッドで寝るようになるという飛躍的な進化を遂げ、なんとも安らかな気持ちで私も眠りにつくようになった。私自身、ろくに食事もとらずに気づけば夜、なんて日も多かった。心身ともにとっくに限界を越えながらも責任に追われてボロボロな日々もあった。毎日トイレで吐き、呼吸は浅く、あらゆる体調不良を周りに気づかれないように気をつけながら。

「不要不急を避ける日々」は、不要不急と勝手に定め疎かにしていた事事の美しさに気づくきっかけを贈ってくれたのかもしれない。一体何が本当の不要不急だったのか考えさせられる。「なくても死なないもの」は本当になくても死なないのだろうか。生きてさえいれば良いのだろうか。

何を信じ、何を選ぶか

私達は全員例外なく100%死ぬ。生まれるぞ!と決意した訳でもないのにこの世に唐突に私達は現れ人生は始まり、明日死なない保証なんてどこにもない。生まれた理由も目的も存在せず、生き方に正解もない。正解がないならば自分が信じる生き方をするしかない。自分自身で考え、自分で自分を支えて生きていく。それでいいし、それが良いと思うのだ。何のために生きるのか分からないと悲観するよりも、生きる目的は自分で選べると考えれば、途端に未来はぱっと明るく見えてくる。選んで良いのなら私は、なくても別に死にはしない、美しいものを生み出せる人を目指し続けて生きていたい。

まるで一生懸命働くことを否定しているようだが、そういうことではない。だって私は、働くことが大好きだ。だからこそ身体を壊すまで夢中で働いてきたし、それほどまでに頑張った自分を誇りに思う。この先も命を尽くして働きたい。ただ、それだけが人生ではないとも思うのだ。働くことは人生を美しくするもののうちの一つだ。それと同時に、一見不要不急なあらゆるものたちが人生を美しくすることもあると信じたい。働くことも、暮らしも、あらゆることがもっともっと美しくなれるはず。私がインテリアに凝る理由も、空間装飾を生業にしている理由も、そういう信念ゆえのこと。

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