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自分の世界を発信してみるという試み


新しいことを始めてみる。

それだけでもなかなか足が前に出ないのに、タイトルがやたらと太字で大きくて、緊張感がある。小さな頃から前に出ることは得意じゃない。私自身は陰でこっそりと注目されないようにしながら、自分が生み出したものだけ世界の光を浴びてくれればそれで良い。それが良い。そういうポジションが好きなのだ。それでも私の身体は、あなたという世界を外側に表現しなさいと言ってくる。きっと、人間とはそういう生きものなのだと思う。食べて寝て動くだけでは満足できない、欲深くて美しい生きもの。自然は偉大だけれどそれに負けないほどに、人が何かを表現するということは美しい。世界が美しいと思う理由はここにある。

全身にふわふわと泳ぐ思考や感覚は生き物のようで、消えてしまわないうちに言葉という形におさめる。そういう感覚がある。その作業自体が自分を浄化し、自身の哲学を洗練させてきたのかもしれない。おそらく小学生頃から本能で続けている「書く」ということ。何年も続けてきたその行為そのものに価値を感じてならない。誰かに伝えるための文章もあるけれど、私が書く目的は本来、評価されるためではない。誰かに何かを届けたいわけでもない。明日からの自分が自分を見失わないように続けている習慣。最も近くて最も複雑な自分という世界を創り上げるのは、他でもない自分。私にとって「書く」という行為は、自分を創造する作業のひとつなのだと思う。だから私は書き続けている。

せっかく続けているならばたまには晒してみるという試みがこの場。なにか新しいことが起こるかもしれない。私にとっての「書く」ことの意味も更新されるかもしれない。まぁ、何も起こらなくても良い。書くということに意味があるのだから。

そうは言うものの、脳内を人目に晒すとなるといつもの何倍も書くことに時間がかかってしまう。人目にふれるならばいつもより出来るだけ丁寧に書いてみる。伝えること、届けることも意識することになると思う。頭の中、私の世界の見え方、哲学、生き方、働き方、お仕事のこと、いろんなことを書いてみようと思ってます。どうぞよろしくお願いします。

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