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KOTO創業3年目までの道のり

KOTO art&creative worksは2021年6月1日で創業3年目を迎えた。カオス以外の何者でもなかった3年前を思うと、実に感慨深い。6月から4ヶ月もたってしまったが、KOTOについて書いてみる。

KOTOができる前

新卒で入った会社を辞めて、フリーランスのような形でしばらく働いていた。本当はどこかに転職するつもりだったが、仕事を受けるうちになんだか止まらなくなってしまった。責任を一人で負うことの不安と、体力的な限界は何度も訪れ、よく一人で泣いていた。糸がプツンと切れて、唐突に号泣する日もよくあった。場所も人手も、リソースがゼロになった私をたくさんの人がサポートしてくれた。あの頃の私にお仕事をくださっていた皆様にも感謝しかない。

困り果てた挙句だめもとでInstagramで制作チームを募集してみると、なんと30人ほどの人が集まってくれた。わざわざ新幹線で来てくださる方もいた。有り難くって有り難くって、どう恩返ししたら良いのか分からないほど。当時支えてくださった皆さまには感謝でいっぱいだ。カオスだったけど、本当に楽しかった。

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KOTOのはじまり

個人で1年ほど活動して思ったことは「ひとりで出来ることには限界がある」ということ。これから先私がやりたいことはとても1人では出来ないだろう。そう思った。

信頼しあえる、価値観が重なる人と一緒に、一人では出来ないことをやりたい。

チームであると同時に、個も大切にしたい。個人。個性。個々の生き方、働き方、哲学、目指したいもの、夢、生活、家族。私は私の個を大切にしたいし、まだ見ぬ仲間の個も尊重したかった。

誰かと一緒に何かに向かうことは、自由を狭めることではなくむしろ世界をもっと自由にすることだと信じて。個と個が重なって大好きなものづくりを続けていきたい。そんな想いで、未来の仲間を想像しながら、チーム名はKOTOにした。

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「art&creative」worksである理由

屋号を考える時、正解がありそうな言葉は避けたかった。様々なクリエイターの話を聞いたり、何冊もの本を読む中で「デザイン」という言葉にはなにか正解があるような気配を感じた。「アート」や「クリエイティブ」は「デザイン」よりも定義が曖昧に感じる。私がやっていることはデザインかもしれないが、時にアートかもしれない。クリエイティブではあるだろう。仲間になった人それぞれが、自分自身で勝手に定義できるような、曖昧な言葉にしたくて、屋号をKOTO art&creative worksにした。

やっていること


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主軸は、クライアントワーク。お客様と一緒につくりあげていくお仕事だ。まとめると大体こんな感じ。↓

●アート・クリエイティブディレクション
コンセプトメイキングなど根幹の部分の言語化、整理から一緒に始めて、ブランド・サービスなどのネーミング、ロゴ、空間、撮影、グラフィック、webなどのクリエイティブを社内外のチームと一緒に作りあげるお仕事。部分的に受けることもある。

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写真はほんの一部だが、様々なお客様とご一緒させていただいており、内容も様々だ。

●空間演出
セットデザイン、美術、プロップスタイリスト、言い方は様々だが空間演出のお仕事も引き続きやっている。少し違うかもしれないが、インテリアコーディネートもここに含めて書いておく。

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KOTOの働き方

ひとり活動時代は、曜日感覚もなく働いていた。仲間がひとり加わった時に「これを仲間にも強いるわけにはいかない」と思ったし、私も好きでゾンビのように働いていたわけではない。できるならもっと爽やかに働きたい。

そこで、働き方を変える努力をし始めた。働き方は習慣なので、そう簡単には変えられない。意識し、努力した。

平日は大体10時〜19時(くらい)で働き、土日と祝日は休む。(生理痛や低気圧がひどい時は無理しない)

こんな感じが基本になった。もちろんプロジェクトが佳境の時には土日稼働することもあるが、ゾンビ時代からすると大きく進化した。

仲間の誕生

KOTOを創業して8ヶ月。仲間は唐突に現れた。家庭料理家として食の活動、発信もしつつ、PMも担ってくれた藤原沙織。彼女のおかげでカオスそのものだったKOTOは整い、丁寧につくる物理的心理的余裕が出来、質も上がった。よくぞこんな小さなKOTOに入りたいと思ってくれたなという驚きと感謝でいっぱいだ。何より、一人ではないというのは心強かった。(写真は私の夫と愛犬も一緒に。KOTOは家族に支えられながらここまでやってきた。ありがとう。)

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二人目の仲間

創業して3年と2ヶ月。つい最近参画してくれたニューメンバー。増田陽子。彼女もまたバリバリPMをこなしつつ、執筆編集でも活躍する予定。スローな喋り方からは想像できない速さで様々な事態に対応しサポートしてくれる。鎌倉の古民家で、珈琲屋の嫁としても活躍している。カオスな私を面白がってくれて有り難い存在。

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ここに全員は書き切れないが、KOTOを支えてくれる人は他にもいる。最近はアシスタント業務で支えてくれるメンバーも増えた。KOTOは沢山の人に支えられてここまでやってきた。感謝は尽きない。

これからやろうと思っていること

構想から気づけば早2年経ちそうになっているが、煮詰めているものもある。KOTOももう3年目。私の考える、KOTOの考える「美しい」をもっと表現していきたい。亀のスピードで進めているが少しずつ進めている。必ず世に放ちます。(どきどき)

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最後に

結局KOTOって何をやるチームなの?でいうと、PHILOSOPHYに沿うものであれば何でもOKと思っている。適当な訳ではなく、大切なことはhowよりもwhyだということ。色々やっているようだけど、軸はいつも変わらない。


「世の中を、より美しく」

「美しい」とはなんですか? 
こんな問いを投げられた時、
きっと人それぞれ答えは違うはず。 
全人類共通の「これ」といった定義を決めることは難題です。
だからこそ、一生をかけて哲学するに値する
私たちは「美しさ」という概念そのものに、
可能性を感じています。

私たちが出来ることなんてちっぽけです。
それでいいし、それが自然だと思うのです。
小さくても、美しい循環かどうかが重要です。
手の届く範囲で 大切なものを大切にしながら
私たちなりに「美しい」と信じるものを届けます。

日々は美しく、働くことも、休むことも、
あなた自身も、世の中も
もっともっと美しくあれるはず。
誰しもがそう信じて生きてみたら
世の中はほんの少しでも、
今より美しくなるかもしれません。
綺麗事だと思うでしょう? 
信じてみたら、何かが変わるかもしれません。

「うつくしい」は愛しいとも書くようです。
私たちが生み出したコト・モノに出逢い
世の中を、より美しく、
愛しく思えていただけたら嬉しいです。

世の中をより美しくするのは
デザインかもしれない。
アートかもしれない。
食かもしれないし、
言葉かもしれない。
一杯の珈琲かも分からない。
経営やビジネスかもしれない。
誰かの存在そのものだって世の中を美しくしている。

だからKOTOには、食の人もいれば言葉の人もいる。様々な形で私たちが信じる美しさを生み出したい。

私はひたすらに、美しいとは何なのか考えているし、美しいものをいつも求めて生きている。迷った時には、それは美しいのかどうか、と自分に問いかけて決めることも多い。美しいという言葉をあまりにも言いすぎて、周りの人間は聞き飽きたかもしれない。(笑) しかし、いつまでも飽きないのが「美しい」の怖いところ。私は 美しい という概念に取り憑かれているのかもしれない。

一度きりの人生。私らしく、意味を感じることに励む人生はきっと美しいと思いながら、私はKOTOを育てている。


Photo
6.8.10枚目 Kuppography
7.9枚目 和気徹也
11枚目 Ayato Ozawa
12枚目 Jun Kurasawa

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