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「生きる」ということ

長くて100年と少し、生きるということを始めます。

準備は良いですか?
もしくは、やめておきますか?

こんな丁寧な確認もなく、
生きるということは気づけば唐突に始まって、
嫌だとしてもいつかは必ず終わりを迎える。

「生きる意味が分からない」
そう思い悩むことはよく聞く話で
私も時折そう思う。

家族や友人が悲しむとかそういうことを除いてしまえば
生きる意味も必要も、ない。
それは良いことでも悪いことでもない。

教科書に書いてあるわけでもなく、産んだ親ですら答えを持っているわけでもない。生きる意味は自分で決めて生きることが「生きる」ということなんだと、いつからかそう思うようになった。意味があると期待するから落ち込むのであって、意味なんてない。

意味なんてないんだ。



人生は辛く厳しいことが多い。
それでもやっぱり人生は美しい。
だから私は生きることが出来ているのだと思う。
だから私は、生きることが割と好きだ。









令和二年の1月。
大切な人がこの世を去った。
35歳の若さで。
私より6歳程年上だった。

彼女は私と同じ、ものづくりを愛する人だった。人として好きとか、つくるものが好きとか、そうゆう安直な理由ではない、なにかもっと深い感覚で大切な人だった。


一緒に、深海の世界をつくったことがある。私には到底思いつかないような素材やつくり方を考案してくる彼女を前にして、私の世界は輝いた。「こういうものが作りたい」と伝えると、彼女は私には思いもよらない方法をいつも提案してくれた。

何かを生み出す時の彼女はパワフルで、輝いていて、生命の美しさとはこういうことだと感じるほどに、彼女が楽しそうに作る姿が好きだった。そんな彼女と一緒につくる時間は楽しくて仕方なくて、私にとって掛け替えのない時間だった。つくる喜びを彼女と分かち合う時間を心から愛していた。
失いたくない大切な時間だった。
彼女との出逢いは間違いなく私の人生の宝だ。



彼女とは前職で一緒に働いていた。
彼女が辞めるか悩んでいた時
涙しながら嫌だと言ったが、それでも彼女は新しい世界に飛び立った。
働く場所が離れてからも、崩れ落ちそうな時、何度も何度も支えてくれた。


仕事を辞めるかどうか悩み、役割やポジションとしてのフィルターをかけて見られることが苦しい時があった。私を知る人が誰もいない場所に行きたくて、一人アメリカに唐突に、不安ながらに旅に出た時も日本にいながら支えてくれた。「ここにいくといいよ」「宿には着いた?」と隣にいてくれるかのごとくサポートしてくれたのが彼女らしく、全てから一度目を背けたかった当時の私にとっては数少ない支えだった。
思い起こせば、助けてもらったことばかり。
私は彼女に何か出来たのだろうか。


最近の私は、HP作成のために独立以降の案件を整理している。必然的に、普段蓋をしている彼女との思い出が蘇る。
独立以降死ぬ思いで積み上げてきた実績は、私だけの力じゃない。
これらほとんど全てが、あなたがいたから出来たものなんだよと、心の中で話しかける。

大量の布を染める作品を一緒に作った。
想像通りの色が出なくて、やっとの思いで理想の色が出た時には一緒に涙した。あの綺麗な水色は、私ではなく彼女が試行錯誤し、生み出した色。

あれも、これも、私ではなく彼女が作ったものなんだ。独立してしばらくは、彼女なしでは頑張れなかった。彼女がいたから、今がある。私一人で出来たことなど何一つない。

遺影も、私と一緒に作ったお花に溢れた中で撮った写真だった。


幼少期からの長い付き合いではない。
それでも、時には家族以上に一緒に時間を過ごし、家を行き来し、笑って、泣いて、真剣に話し合って、必死に作って、彼女と過ごした数年間は濃密すぎる時間だった。

深い優しさをもって自分を犠牲にしてでも困った人を助ける人。
アメリカに長くいたからか日本語が下手なくせに、義理と人情に溢れた人。
強く明るく一生懸命で
おちゃめでまじめで
魅力溢れる人。
何より、人にも自分にも嘘をつかない
在り方が美しい人だった。
心から尊敬する、大切な人だった。
心から、大切に思っていた。

彼女と作った作品も、
彼女と使った道具も、今も私のアトリエにある。

私を支える言葉

「理想担当でしょ」
ある時彼女が私にかけてくれた言葉。
私は理想が高い。
好きでそうしているわけではないのだけど、どうやらそれが私の性質なのだと理解している。私の理想は高いから、たいていは本気で努力しないと辿り着けないものばかり。そんな自分に疲れることが私の日常だ。繰り返すが、好きでこうなったわけではない。理想が高い割にそこに辿り着くまでのプロセスが下手だったりもするからまた嫌になる。私は器用なタイプではないのだ。

ものづくりは一人ではできない。
私はすぐ人を巻き込む割に、どこまで人を巻き込んで良いものかいつも迷う。さらには私たちが生きるこの世の中では、人を動かすには、自分が仕事として動くには「お金」というものが必要であるという、自然の摂理にはないルールがある。自分で一応は事業をやっていながら、私はこの世界のそんなルールに未だ慣れていない。仕事なので慣れようと努力しているが、自然にない物事に違和感を覚えてしまうのは人間も自然の一部だからなのだろうと思う。

仕事は楽しくなければやる甲斐はなく、関わる人には「心身健やかに楽しくやってほしい」という想いが強い。一方で「本当はここまでやりたい」という葛藤がいつもあって、理想をどこまで伝えて良いのか、気が引けて遠慮しかけてしまうこともある。

そんな私の様子を察して「理想担当でしょ」と彼女が言ってくれた時、私はハッとした。
そうだ。アートディレクターとはそういう役割なのだ。理想を描き、人を巻き込み、実現していく人。私はこれで良いんだ。好んで得たわけではない自分の性質を生かせる職が、アートディレクターという役割なのかもしれない。そう思えた、救いの言葉だった。

それから、何度も何度もその言葉に救われた。
遠慮し、妥協しかけた時は、自分で自分に「理想担当でしょ」と心の中で唱えた。
実現の仕方も分からないくせに理想や夢ばかりが頭に浮かぶ私。
そんな私を今でも支える、大切な言葉。

理想を諦めずにつくり上げ、自分の想像を越えるものになった時、生きていてよかったとすら思う。人と生きて人とつくるこの世界が美しいと感じるし、私が私に生まれて良かったと思う。どうせなら私は、私に生まれて良かったと思いながら死にたいのだ。


死ぬこと とは。

生きた年数が大事なわけでもない。

彼女は、私の中に自分を残してこの世を去った。
私だけじゃない。
ありきたりな言葉かもしれないけど、きっと多くの人の中に彼女はいる。
今実体がなくとも存在を感じさせるほどに、彼女の影響力は深かった。

私は、それほどまでに誰かの人生に影響を与えられているか。
私がこの世を去っても、私を感じるようなものを残せているか。


きっと今まで私は28年間、
生まれたからとりあえず生きていた。
母が産んでくれたから、生きていた。
みんなが生きているから、私もそうしていた。
死にたくなることもあったけど、死ぬ勇気なんてなかった。
苦しいことがあっても、生きる方が楽だから、なんとなく生きる方を選んでいた。


生まれて初めて、
大切な人が若くして命を閉じた。


頭が割れそうなくらいに泣こうが
呆然としようが
彼女がこの世を去ったという事実は変わらない。
最後に彼女の顔も見れないまま、
彼女は消えた。
灰すら、見ることは叶わなかった。
知らせを聞く数日前に送ったラインは 未読のまま。

私は生きていて良いのか
美味しいものを食べてもよいのか
笑っていて良いのか
生まれて初めてのことに
よく分からない疑問が頭にいくつも浮かんだ。

どうしよう

と何度も思う。

どうしようもない。

何がどうしようなのか?

私はどうしたら良いのか?

そんなの自分で決めることだと分かっていた。

私に出来ることは特にない。

私に出来ることは生きることしかないのだ。

何をしても彼女がこの世を去ったという事実はどうにもこうにも変えられない。28年も生きていれば、さすがにそんな現実は分かっていた。

じゃあ私も死んでしまいたいか。

そんなこともない。

私はもう少し頑張って生きてみたい。

そもそも私は、死ということにあまり悲観的な考えをもっておらず、
自分のそんな考えに救われている。
死ぬことは誰もが迎えざるを得ない命の終着点であり、良いことでも悪いことでもない。
私は割と冷静だった。
そう思わないと悲しみの渦に飲みこまれてしまうから、そう思うようにしているとも言える。

彼女の死を聞いてまだ数日しか経っていなくとも
美味しいごはんを食べて
友人と家族と笑って話して
驚くほど変わらない日々を過ごしている。
悲しい気持ちに襲われると、悲しみと共に彼女の存在を感じて安心し、この悲しみが時と共に薄れていくことにむしろ恐怖を感じる。
それでも、そうやって私はきっと生きていく。

生きる意味なんてない。
だけどとにかく私は生きようと、決意のような気持ちが芽生えた、生まれて初めての感覚だった。
思えば、生きようと誓ったことなんて生まれてから一度もない。
就職や結婚だけでもたいそうな決断なのに、生きることは自分の意思とは関係なく始まるのだ。おかしな世界だ。

なぜこんな文章を書くのか。
私は人の死をネタに涙を誘う映画があまり好きではない。時に不愉快にすら思うこともある。

不謹慎か?
不謹慎とはそもそも何か。
分からない。
不謹慎 という概念は誰が決めたのか。
意味なんてない。
心配して欲しいわけでもない。
涙を誘いたいわけでもない。
彼女の死をネタにどうこうしたいわけでもない。
そう思われたとしてもそれはそれで良い。

私の中で消化がしきれていないのかもしれない。書くことは心の浄化であり、奥底の自分との対話だ。

意味なんてない。
ただ書きたいから私は書くし、
生きたいから生きるのだ。

この文章を公開するに至った経緯

親友が死んだ
ある見知らぬ人がそんな経験、感情を綴ったブログを読んで、少し救われた。皆が避けるであろうことをあえて世界に公開しようと思った理由はきっとそこだった。

亡くなった人の話題が避けられがちな理由は複雑な感情の背景があるのだと思う。
この文章を書いてから数ヶ月たち、投稿しようかしまいか結論が出なかった。ただ、身近に死の話が多く、その度に頭をよぎるので公開に至った。

避けるも避けないも人によるけれど
私は彼女の存在を消したくなかった。
心に刻んで、残しておきたい。
今私がこうして生きているのは、彼女の支えがあったから。
彼女がいたから、今がある。
なかったことになどしたくない。

生きようと誓った日。
私は、私をとにかく生きようと、誓った。
何かに残しておかないといけない。
そう思った。


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