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心身健やかに良いものを生み出すという働き方。

「こんな働き方では子供がつくれない」
「もっと家族との時間を大切にしたい」

そんな当たり前に大切なことたちが叶わないという理由で一緒に走ってきた大好きな仲間が、目の前で大好きな仕事を辞めていく姿。
私が「心身健やかに、良いものを生み出す働き方がしたい」と思う原点だ。
絶対どうにか出来るはずなのに、どうにも出来ない無力な自分が悔しくて、大切なことを大切にできない働き方がごく当たり前に溢れる世の中に疑問を抱いた。

私は「世の中を、より美しく」をフィロソフィーに掲げるクリエイティブチームKOTO art&creative worksでアートディレクターとして活動している。

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KOTOでは、6月からチーム内で食の取り組みを2つ始めることにした。

1つめは、週一ミーティングのランチを交代制で作ること 。
2つめは、週に一度フードコーディネーター・薬膳アドバイザーである藤原より「KOTOの台所通信」をチーム内に発行すること。「豆と仲良くなろう」「調味料の選び方」「平飼い卵って何?」「旬野菜は良いことだらけ」など、チーム内で食に関する困っていること、知りたいことからテーマを決めて藤原がそれに答えていくような内容になる予定だ。

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記念すべき第一回目のランチ

これらの食の取り組みは「心身健やかに、良いものを生み出す働き方」を目指したいという想いから。こんなことをしても何の収益にもならないのだけれど、想いがあるなら形として行動していきたくて始めた取り組みだ。少しずつでも良い。出来ることから、私たちのペースで。愛情たっぷりに人の手で作られたごはんは心を満たし、添加物を避けた栄養のある食材をとることで、身体が本当の意味で満たされる。「心身健やかに、良いものを生み出す働き方」を目指すなら、食は無視できない大切な要素だ。

「心と身体を自分自身で守れるように」

数年間目標にしていた"自分のチーム" KOTOは、2019年に私ひとりで正式に立ち上げ、今年からひとり仲間が増えた。
私がアートディレクター。プロジェクトマネージャーとして藤原が加わり、二人体制が始まった。彼女はフードコーディネーター・薬膳アドバイザーとしての肩書きも持ち、「頑張る人が輝き続けられるよう、食で支え、サポートする人」になることを目指している。
彼女は空間づくりの大手企業で新卒から夢中で働き、身体を壊したことをきっかけに食や健康のことを勉強し始め、食関連の各種資格も取得している。
バックグラウンドが似ていることもあり、働き方や大切にしたいことの価値観が淀みなく合致した。「麻子のつくる作品の世界観をもっと世に広めたい。私自身もKOTOの一部としていずれ食で人を支えることをやっていきたい」と言ってくれた。私の目標が彼女の目標になり、彼女の目標もまた私の目標になった。

「自分を守れるのは最終自分しかいない。だから、心と身体を自分自身で守れる人を増やしたい」それが彼女の想いであり、KOTOの大切にすることの一つになった。だからこそ週一で集まるランチも藤原が作るのではなく、交代制にしている。

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生き方も働き方も、視野を広く考えたい

ずっと、いつか自分のチームをもちたいと思っていた。
もし自分のチームが出来たら「大切なものを大切に出来ないから」なんて理由で、大好きな仕事を諦める人を出したくない。

心身ともに健やかに、美しいものを生み出す人は世の中に確かに存在し、そんな人たちに憧れた。世界は広く、働き方はひとつじゃない。必ず、良い方法があるはずだと信じていた。なければ自分でつくれば良い。そういった会社やチーム、働き方の美しい国がないか、アンテナをはり続けた。
働くことは大好きだ。生き甲斐と言っても過言ではないほどに。けれど仕事と同じくらい、家族も、暮らしも、仲間も、自分自身も、関わる人皆大切なのだ。それはそんなに贅沢な願いなのだろうか?クリエイターは過酷に働かなければ成り立たない職業なのか?家族を大切にできないことは仕方ないのか?

限りある人生、明日死なない保証なんて誰にもない。後悔のない日々を送ろうと思うと、やることは盛り沢山だ。人生は忙しいが、忙しいこと自体は問題ではない。問題は、忙しさをコントロールできない状況だ。心を亡くす忙しさではなく、心身健やかな忙しさが良い。

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誰のために健やかに在りたいのか

もちろん、私自身が身体を壊した経験もある。とにかく私は働くことに夢中だった。寝る間を惜しむくらいに好きなことが、たまたま仕事だったのかもしれない。社会人になってから、素晴らしい仕事にばかり携わらせていただいてきたので、仕事が大好きだった。誇れる仕事ばかりだ。

働きすぎ、ストレス、そういったことが要因でなるような体調不良はひと通り経験した。ただ、私自身が身体を壊すことはあまり気にならなかったのが正直なところだった。毎日吐くことなんて日常だった。慣れすぎていた。吐血してしまい「そろそろまずいな」と思うこともあった。それでも、良い作品が作れれば私自身が身体を壊すことはさほど気にならなかった。気にする余裕がなかったとも言える。

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作り続けなければ感覚が鈍るし、作れば作るほど「つくる」感覚が磨かれていく。アイディアが寝る直前に湧いてしまったなら、朝方までかかったとしても新鮮なうちに形にまとめておきたい。技術と感覚を磨きたいならとにかく量をこなすこと。知識よりも実践。こういう考えがベースにあって、そんな考えは今もある。事実、限界を越えたボリュームのアウトプットをこなし、私は成長した。短納期の無茶な仕事があっても、それはそれで得るものがある。文句を言うならやらなければ良い。やると決めているのはすべて私の意思なのだ。良いものが出来上がれば、技術が向上すれば、身体の不調なんて気にならない。むしろそれほどまでに頑張って良かったとすら思ってしまう。

そんな私だったので「一生懸命に、でも心身ともに健やかに働きたい」という想いは私自身よりも仲間に対しての意味合いが大きかった。身体を壊し家族との時間も過ごせず、大好きな仕事を諦めていく仲間を間近に見ながら、「つくるもの」がどんなに良くても「つくりかた」が理想ではない状況を変えなければと思い始めた。大好きな仲間がひとり、またひとりと去っていく姿が悲しくて悔しくて、仕方なかった。一緒に涙を流しながら何か良い方法はないか考えても、力不足でどうにもできなかった。私だって、好きで体を壊しているわけではない。できるなら心身健やかに好きなことを頑張りたい。

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photo by 小澤彩聖

人とつくり、美しい循環を

私はひとりでは何もできない。できないことだらけだ。できないことは出来る人の力を盛大に借りたい。だからこそ一人ではなく人とつくることを選んでいる。なにより、大好きな人と何かを作ることはシンプルに楽しい。それはチーム内外関わらず。
人と一緒にやると決めているならば、関わる人全てが幸せな、美しいプロセスでものづくりを続けていきたい。美しいものを生み出す人であるなら、プロセスも美しく。すぐに出来ることではなく、難しいのかもしれない。それでも、それが私の理想であり、行動としておこしていくべきこと。KOTOが目指したい理想の姿。
想いを実践し、こうした場で発信することで同じような考えを持つ人の希望になれたら、そんな嬉しいことはない。

そんな背景があって、私は大好きな仲間が大好きな仕事を諦めなくて良いように心身健やかな働き方を模索し続け、結果的に私の生き方も健やかに美しくなってきている。私自身が健やかであることを、仲間も家族も願ってくれているからだ。もちろん今だって寝れずに忙しい日々だってある。それでも、理想のライフスタイルを同じ基準でもってくれる仲間がいる。仲間が幸せに健やかであること。仲間のために、家族のために、自分自身が心身健やかであること。関わる人すべて幸せな、美しいプロセスで美しいものを生み出すこと。私は、世の中にこんな美しい循環を作りたい。

私は、一人でものづくりをするつもりはない。そもそも、ものづくりなんて一人では出来ないのだ。必ず誰かの支えがあって、出来上がる。過去作ってきたもので、一人で作り上げたものなんてひとつもない。支えてくれる人の存在には、言葉で表せないほどに感謝している。だから、支えてくれる人の大切なものを、私も一緒に大切にしたい。そんなシンプルな想いだ。

簡単なようで、私にとっては難しいそんな理想の未来を、手の届く範囲で、じっくり、焦らずつくっていきたい。

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