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結婚式をずっと作ってきた結婚4年目の私たちがついに結婚式準備を始めてみた話

社会人1年目からずっと、正確に言えば大学3年の秋から結婚式づくりに携わってきた。担当したご夫婦は200組近く。私は数年間、オーダーメイドウェディングの「アートディレクター」という役割を仕事にしていた。

そんな私は同じくオーダーメイドウェディングの「プロデューサー」をやっていた同僚である夫に出逢い、結婚した。私も夫も、結婚式に憧れて入社したわけではなく、会社の哲学や職自体の魅力に惹かれて入社し、退職した今は夫婦ともに結婚式づくりはほとんどしていない。

結婚式を伸ばし伸ばしにしてきた理由はいくつかあるが、簡単にいうと「結婚式を急いでやる」理由が見つからなかった。大変だし、お金もかかる。日々は忙しいし、急いでやる必要もないよね。。その繰り返しで、なんとなく先延ばしにしてきた結婚式。

あんなにも結婚式は素晴らしいと涙を流し体感し、お客さまにも伝えてきた私たちですらこうなってしまうのだから、結婚式というものはなかなかにつかめないイベントだ。「結婚式は素晴らしい」頭では重々分かっていながら体が動かない、そういう感じだった。

結婚式をやろうと思った理由

重い腰をあげてついに結婚式準備を始めた理由はいくつかある。大きな理由の1つは、昨年大切な友人と祖父が亡くなったこと。その友人と祖父が私の結婚式にいないという未来を、私は想像もしていなかった。その友人は当然来てくれるものだと思っていたし、祖父は元気だった。

人は、大切な人は死なないと思っている節があるのかもしれない。きっと、死んでほしくないという願いを込めてそう思っているのだろうけれど現実はそう願い通りにはいかない。人は前触れもなく唐突にこの世からいなくなるという、当たり前かつ目をそらしたい現実に触れた昨年だった。もちろん、自分も例外ではない。特に私なんて注意散漫なので、ある日突然交通事故にあったりしそうだ。

描いていた未来がいとも簡単に成されない現実を目の前にすると、なんだか無性に悲しくなる。だから私は、自分も含め大切な人が元気に生きているうちに結婚式をやっておきたいなと、急に焦る気持ちになり始めた。

昨日までやる気がなかったことに急にやる気が芽生え始めるのが私だ。急にスイッチオンになった私に対して、夫は当然、エンジンがかかるのに時間がかかった。あんなところに行ってみよう。犬を飼いたい。こんな家に引っ越そう。あらゆる突飛な思いつきを唐突に提案する私に対して夫はいつもノリ良く賛同してくれるのだが、今回は時間がかかった。それでも結局前向きに一緒に隣を歩いてくれる。私は夫のノリの良さが好きだ。

ふたつめの大きな理由は「なんとなく今だと思った」から。過去は変えられないし、未来も見えないのが人生における不動のルール。生きることは不安に満ちていて、安心したいが故に目に見えるもの、論理的なもの、そういうハッキリしたものを私たちは信じたがる。けれど歳を重ねるごとに目に見えないものほど大切なような気がしてきて、私も夫も、目に見えない感覚的な部分は大切にしている。

「今だろうな」そう思ったその感覚ゆえに、結婚式を計画するに至った。そもそも結婚式なんて定義も正解もない行事なのだから、やる理由もそんな曖昧な感じで良いのだと思う。正解っぽいものはあるが、多数派に従わなくたっていい。

思いっきりコロナな世の中だったが、それよりも大切な感覚に感じてしまったのだから仕方なかった。コロナのことばかり気にしていてはコロナになりそうだ。とはいえもちろん来てくださる方に対しての配慮、感染対策など最大限手を尽くしながら、状況次第では落ち込みすぎずに軽やかに延期しよう。そう決めて結婚式を計画し始めた。

結婚式準備を始めてみて驚いたこと

どちらかというと結婚式は楽しみにしていた方だが、一番驚いたことは「準備が楽しくない!」ということ。笑

私たちはワガママでこだわりの強い面倒な夫婦なため、誰かにプロデュースをお願いするということに気が引けた。担当プロデューサーさんに申し訳なさすぎる。一応は結婚式づくりも出来てしまうためセルフプロデュースという形をとったのだが、モチベーションの差、仕事との両立、意見の食い違いなどなど、今まで自分たちが相談にのってきたようなごく当たり前に溢れる事態が自分たちにも起きているのがおもしろかった。喧嘩してプンスカしている自分と別にもうひとりの自分が「私たちでもそうなるのか〜」と興味深く自分たちを観察していた。

相談相手のいないセルフプロデュースという形

セルフプロデュースとなると相談相手がいない点も辛いところ。プロデューサーやプランナーは、実務的なプランニングをするとともに、新郎新婦の相談相手・アドバイザーとして、多角的にサポートしている。そんな存在が私たちにはおらず、全ての決断は自分たち次第。アイディアをくれる人もいない。

「自由でいいじゃん」と思えるかもしれないが、実際やってみると楽しさよりしんどさが勝ることが多々。客観的意見が欲しくなる。なんなら誰か決めて欲しい。いや話を聞いてくれるだけでも良い。一度、私の恩師である先輩にオンライン上で相談させてもらったところ、初めて「あ、楽しい」と思えたくらい。笑 あの時の先輩は後光がさして見えた。大変忙しい中相談にのってくださって、深く深く感謝している。

もちろん楽しいこともある。でも、楽しくないことも多かった。こんなにお金をかけて、人を巻き込んで、楽しくないなんて最悪だ。自分で企画し始めたのに、もう結婚式なんて嫌!と幾度となく思った。きっと共感してくれる人は多いと思う。

じゃあ結婚式なんてやらない方がマシかといえば、そうでもない。だって、人生はいつでも苦楽がともにある。結婚式のせいではない。仕事も、日々も、全部そう。物事はいつでも人生の縮図なのかもしれないと、妙に悟った気持ちに浸ってみたりもした。

私たちがお客さまに向かって発していた些細な言葉「当日まで一緒に頑張りましょう!」「楽しみですね!」「準備の方はいかがですか?」あれらの気づかいすらしてもらえないセルフプロデュースという形。なんて自己責任的プロジェクトだ。大変だ。もっと人に頼りたい。だから私たちは、同じく結婚式づくりのプロである仲良しの後輩を召喚した。愛称は「サブ」と「みっきー」だ。

結婚式を一緒につくってくれる愉快な仲間たちの誕生

私たちが今まで慣れている結婚式づくりの基本的布陣はだいたいこんな感じ。

メインとなるプロデューサーを司令塔に、ご夫婦や会場と連絡・調整を担当するコーディネーター。主に空間演出を担当するアートディレクターとサポートするアシスタント。装飾など制作物を制作するスタッフ。運搬や手配物などサポートするチームがいることもあった。準備段階では大体このメンバー。当日になるとディレクター、キャプテン、マネージャー、コンテンツやオペレーションをサポートする現場スタッフ、などなど更に関わる人は増えてくる。

私は、結婚式のプロである私たちだからこそ、あまりに完璧に出来てしまってもつまらないんじゃないかと思っていたので、この布陣が揃わない方がむしろ良いと思っていた。だから、私たちの結婚式の布陣はこうだ。

夫:タイムライン作成/オペレーション組み/会場との調整役/クリエイターアサイン/その他発注手配など

妻(私):アイディア役/装飾まわり/二次会構想/クリエイターアサイン/制作物制作/その他発注手配など

サブ:なんか楽しく夫を盛り上げる役/オペレーションまわりサポート

みっきー:夫のモチベーションが低下した時「メンタルブロックはなんですか」と問いかけ、メンタルケアをすること(笑)(笑) / その他実務面など夫サポート

なんだか全体的に弱そうだし、役割の境界線が曖昧だ。この認識がみんなと合っているのかさえ怪しい。要するに、私はぽんぽんアイディアを出す→現実的に実現できるか夫が考える→そのサポートを愉快な仲間たちがしてくれる こんな感じ。なんだか夫のサポートばかりで私のサポーターがいないところが気になるが、まあいい。

世間一般の夫婦においては妻が笑顔でいることが家庭を平和にするとか言うが、ポジティブハッピー星人の夫が笑顔で楽しく生きていることは我が家においては大切なのだ。夫には気楽に楽しくいてもらわなくては困る。ハッピーな基盤があってこそ輝く夫だし、私は彼のポジティブさにいつも救われている。(もちろん夫も私が楽しくいられるよう日々気遣ってくれており、私が世界の終わりの如く落ち込んでいる時には甘いものや花を買ってきてくれるのが夫だ。と補足しておく)

夫のあまりのモチベーションの低さに尻を叩きすぎて叩き方のバリエーションもなくなってきた頃に彼らが出現してくれてからは、夫は急に楽しそうに、生き生きし始めた。私の非現実的なアイディアに厳しいダメ出しをし始めてきたりもして調子が良さそうだ。ついこの間までの立場が逆転してきたようで悔しいが、あちらが正論なことが多いので大人しく従い、時には議論する。この人はとにかく仲間とつくることが大好きなんだなぁと微笑ましく思う気持ちもありつつ、今までの苦労を思うと若干複雑な気持ちだがとにかくひと安心だ。

本気を出した夫は無駄なく速やかに物事を推進してくれるので、アイディアしか出ず無駄の多い私より500倍頼りになる。楽しく夫を盛り上げておくれ、、と心の中で後輩たちに念をおくる。

定期的に皆で集まっては、タイムラインを詰めたり、コンテンツを話し合ったり、雑談したり、なんだか楽しくなってきた。
サブは、仕事じゃないんだからゆるく楽しくという理想的スタンスを持ちながら、必要な時は的確かつ本質的な問いを場に投げてくれる。いてくれるだけで場に笑いがおこるギャグ線の持ち主でもあるので、打ち合わせすら楽しくなってしまって有り難かった。

みっきーは、夫と同じくハッピーポジティブ星の生まれの人なので終始楽しそうに物事の明るい面を見出してくれる。一緒にいるとこちらまで楽しくなってくるし、夫を深く理解しサポートしてくれる頼れる存在だ。みんなもそれぞれ忙しい中、感謝の気持ちでいっぱいだ。どちらかというと地獄寄りの暗さの私たちの結婚式準備に、彼らのおかげで光がさした。本当にありがとう。

毎回の打ち合わせが楽しかったのは本当なのだけど、残念ながら楽しそうな写真が一枚もなかったので微妙な写真で許して欲しい。

夫がやる気になり始めたと同時に、私の仕事が繁忙期に突入してしまい、今度は私がほとんど何もできない事態になった。その間夫はできることを進めてくれながら、私を責めることは一切なかった。なんなら家事も料理もままならない私に代わって幅広くサポートしてくれた。粗を見つけると詰めがちな私に対して心の広い夫を私は尊敬している。何故怒られなかったのかは謎である。普段は私も割と心広めなタイプだと自負しているが、こんなにも優しい夫に対してはそうはいかなくなってしまうのが夫婦間におけるミステリーだ。それでもどうか優しくして欲しい。共感者が多いことを願う。

開催1ヶ月前、延期確定

そんな風にして私たちなりに頑張って準備を進めていたにも関わらず、コロナの猛威によって開催1ヶ月前に延期が確定した。もともとコロナ真っ只中に計画し始めたため、状況によっては延期することは覚悟の上だったし、そのようにアナウンスもしていた。とはいえ、あと1ヶ月と迫った中での延期確定はやはりほんのり悲しい気持ちになるものだ。

素敵なweb招待状を後輩のデザイナーに作ってもらい、回答していただき、休みを取っていただいたりと、ゲストの皆さまにも申し訳ない気持ちだ。落ち込もうと思えば落ち込むのは簡単な状況の中、母と電話で話していると「じゃあその代わりに食事でも行こうか!」なんていつも通りポジティブ全開なので、なんだかほっとする。きっと母なりに気を遣ってくれているのだろう。母、有り難し。うっかり悲しい気持ちに浸ってコロナやメディアを呪うところだった。危ない危ない。メディアの真相は分からないが、コロナは多分悪気はない。

開催は1年後くらいだろうか。インフルエンザはなくならないのにコロナがなくなるとも思えないが、一旦は延期するしか出来ることがなかった。何かあるとすぐSNSに投稿してしまう私が結婚式についてだけは沈黙を守っていたが、1年後ともなると何かしら書きたくなってしまう。ネタバレしない程度に、いやネタバレしても別に良いか?そんな気持ちでnoteに結婚式のことを書いている。まだ当日は迎えていないが、今この気持ちを記録として残しておくことにした。

プロだからこそ完璧を目指さない結婚式

「結婚式のプロの二人が作る結婚式、楽しみです!」なんて声をいただいて恐縮かつプレッシャーだが、私は完璧さより手作り感、手触り感があるくらいで良いと思っている。(夫は完璧を求めているかもしれない笑)結婚式のプロが完璧に仕上げてしまったら予想通りすぎる。人員も足りていないから物理的にも厳しい。とはいえ雑につくっているわけではないのでそこは誤解しないでいただきたい。

そもそも主役なんていうのも似合わない。人前で喋るのも極力避けて生きていきたいし、できるだけ目立ちたくないからドレスコードも白とかベージュとかその辺りの色にしようと思っていた。学生の頃から何か企画するのは好きだったが、当日になると出来るだけ企画者だとバレないようにひっそりとしていたのを思い出す。私のこの習性は謎だが、子供の頃から変わらない性質だ。夫は人前に立つのは得意なので、どうぞ夫に注目していただきたい。

それならもはやドレスなんて着るなよと思われるかもしれないが、日頃からお洒落するのは好きなのでドレスは着させてほしい。笑 

開催1ヶ月前なのに作るべきものもほとんど出来ていなかったので、延期になって良かったのかもしれない。そう思うことにする。出欠のコメント欄に「なにかあれば手伝うよ!」と書いてくださった方、挨拶程度に書いたつもりかもしれないが、残念ながらしっかり確認しているので唐突に私から連絡がとんでくるかもしれない。

数年間結婚式をつくり続けてたどり着いた結論

何故やるの?何が正解?そもそもやる必要はあるの?規模はどのくらいがベスト?どこに頼めば良い?ご祝儀?会費制?都内か、もはや国外か?いろんなハテナが浮かぶ正解のないイベントが結婚式という魔物。さらにはコロナという強敵も加わって魔物中の魔物だ。正解が分からないから、フォーマットとなる伝統に従ったり、式場でアレンジしてもらったり、プロデュースしてもらったり、出来るだけ新郎新婦が手間なく作れる選択肢が現社会には用意されている。費用感も様々だ。

仕事が忙しい人、お子様がいるご夫婦など、結婚式ばかりに時間を掛けていられない人は手間なくやるのが良いと思う。コストをかけようが削減しようがどんな形であろうと、大好きな人がそこに集まって、お祝いしてもらうなんてもうそれだけで最高なのだ。家族だけだって良いし、二人だけでもいい。久しぶりの友人に会えたり、お互いの友人が一同に集うのも嬉しいものだ。だって、こんなに大集合するなんて、次はお葬式かもしれない。もちろん、やらなくたって良い。夫婦が納得していれば、全部正解だ。

結局のところ結婚式ってなんなんだろう。私が数年間結婚式をつくり続けてたどり着いた個人的な結論は、語弊を恐れずにいうと人生で最もワガママが許されるイベントが結婚式なのだということ。今回自分自身の結婚式準備を通して、というよりも、何百もの結婚式を見てきてたどり着いた結論だ。沢山の人を巻き込み、招待して、ご祝儀もいただいたりして恐縮してしまいそうになるが、私はいつも「新郎新婦がどうしたいかが大切です」と伝えてきた。

それなのにいざ自分の結婚式となると、いかにゲストお手数をかけないか、場所も都内ではなく少し変わった形で分かりづらく、大丈夫だろうかと、もはや開催自体どうなのかなど悩みに悩んでしまった。このハラハラ感はきっと開催当日まで続くのだと思う。

貴族でもないのに、たった1日のために何百万もかけてつくるイベントなんてどう考えたって頭がおかしい。私は庶民だ。結婚式でもなければ着る機会のない心躍るドレスを選んで、家族友人に予定を調整してもらって、プロに素敵な写真や映像を残してもらい、大好きな人たちが一同に集い、食べて飲んで笑って泣いて。やらなくたって死なないからこそ、最終的にやる理由なんて「やりたいから」くらいしか残らないと思うのだ。そうでもなければ、やらない理由はいくらでもつくりだせる。

もともと大変なイベントなのに、さらに難易度が爆上がりしたこのコロナの時代。それでも、それぞれが各々の答えを見つけながら、どうか結婚式という美しいイベントを諦めないで欲しい。そんな願いを込めながら、今の気持ちをここに記す。たくさんの結婚式をつくり、見てきたが、結婚式という不可解なイベントは美しい。負けそうになることはあるかもしれないが「ただただやりたい」「夢だった」そんなくらいの動機で充分だ。延期になった私も、あらゆることに配慮はしながら、負けじと頑張ろうと思う。

最後に、延期の連絡をさせていただいた際、ゲストの皆様、関わる皆様のあたたかい言葉に救われる気持ちでした。せっかく予定を調整してくださったのに申し訳ないと、もっと暗い気持ちになっていたかもしれません。コロナ禍の中、参加したいけれど色々な事情で悩んで考えていただいた方も、もうその気持ちだけで充分嬉しすぎました。心からの感謝をぎゅっと込めながら、次回開催の準備をしていきたいと思います。

photo 
1・5・6枚目 Tsukasa Ishikawa
4枚目 Masato Kubo

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