見出し画像

たった一人からたった二人へ

1年前一人で立ち上げたクリエイティブチームKOTOのメンバーは現在二人。独立してからは6月で3年目に入る。前職時代、私はいち企業の社員だったので、もっと多くのチームの一員だった。

二人 というと「たった二人のチーム」とも思えるが、この「たった二人のチーム」に辿り着くまでが大変で「たった二人のチーム」に私はものすごい奇跡を感じている。
人ひとりにはあらゆるものが凝縮されており「これが大切」「こうやって生きたい」「これはしたくない」「こんな人でありたい」様々な切り口の価値観が描かれ、ひとつの世界観が出来上がっている。「私はこんなものが素敵だと思っていて、こんなことをやりたいんだ」「いいね!私も一緒にやりたいな」言葉に書くと簡単そうなこんなことが、現実世界では案外難しかったりもする。「やろう!」となっても方向性の違いやなんかで上手くいかないことは珍しくない。

人はたった二人集まるだけで、求めてもいないいろんなことが起きたりもするのだ。例えば、夫婦という「たったふたりのチーム」は分かりやすい。「たったふたり」なのに二人集まっただけであらゆることが起きて、時に一人の方が楽なのではと思うこともある。
生きる中で誰しもが経験する最小単位のチームが二人。人が二人集まる。それは簡単なことではなく、奇跡のようなこと。簡単なことではなくとも、苦楽を共に味わえる人がいるということは心強く、価値観を同じくして生きる存在は時に救いになる。

喜びは誰かと分かち合うのが好きだ。空が綺麗だという何気ない喜びすら「今日は空が綺麗だね」と、誰かに伝え共感してもらえるだけで、昨日まであったもやもやがぱっと晴れやかに、生きていることがなんだか美しいような気もしてくる。全てを完璧に出来る人間になれる気もしないし、なろうとも思わない。私は本当に欠落の多い人間だ。誰しもがそう思っているかもしれない。キラキラと楽しそうに、完璧に見える人ですら、自分に満足しきっている人なんてきっといない。だから、苦しいことがあれば是非誰かに頼りたいし、助けを求めている人がいれば、私も力になりたい。
たった一人では花束をいくつかしか作れないかもしれないが、もう一人いれば、もしかしたら花畑なんかも作れてしまうかもしれない。私一人では想像の範囲内のことしか出来ないが、違う世界観をもつもう一人がいれば、想像以上のものが出来上がるかもしれない。だから、私は一人ではなくチームでやっていきたい。いつも、何度でもそう思う。

一人でやってもチームでやっても、それぞれにそれぞれの大変さがある。それならば一人では出来ないことが成し得るチームで。
仕事は楽しいことよりも大変なことが多い。それならば好きなことで苦労したい。
人生は辛く厳しいことが多い。それでも生きることは美しい。
くるしいことがあれどそういったことは悲観せずそのまま受け入れた上で、明るく捉える。そんな考え方が好きだ。世界の切り取り方で目の前の事事は大きく変わる。

たった一人からたった二人へ。
たった二人だけど、大きな進歩だ。
周りからすると小さく見えるけれど
私からすると大きな一歩。

焦らず、無理なく
誰かに合わせず
健やかに
着実に
誠実に
自分たちが美しいと信じるものを
美しい循環で生み出し
KOTOを育てていきたい。


この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?