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泡沫 1-2

「ていうか、つばささん!この子の相談に乗ってあげてくださいよ!」
 揚げたての唐揚げを頬張ったせいで、人知れず舌を火傷していると、女性陣の誰かが声を上げた。声の方に目を向けると、その女性に指さされた相手が目を丸くしていた。
「この子、ずっと付き合ってる彼がいるんですけど、なかなか結婚してくれないんですよ。何かアドバイスしてあげてください!」
 とんでもない無茶ぶりだった。
「そうだ!先月一緒に旅行行ったんでしょ、何もなかったの?」
「そうそう!その話、聞いてない!」
「いや、何も・・・」標的にされた彼女は、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。

「男は決められないんだから、女がちゃんとクロージングしないと」
「旅行中も結婚の話題、出なかったの?」
「こまめに、結婚したいなってアピールしていかないと!」
「街で夫婦見たら、いいなーって言うとか」
「ジュエリーショップに連れていくとか」
「そうそう、日頃の積み重ねが大事」
 ひとり、ぽかんとしながら彼女たちを見ていると、右隣の女性が手のひらを上に向け、自分の前から標的の彼女のほうへとすっと動かしながら「つばささん、既婚者の意見をお願いします!」と言った。
 ああ、巻き込まれた。

 当の本人を見ると、彼女は、こちらにも申し訳なさそうな顔で笑っている。その表情を見たら、彼女との間に妙な連帯感が生まれたような気がした。
「えーと…」早めにこの話題を切り上げるには、どう言うのが良いか。「わかんないですよ、話がいつ、どう始まってどう進むかは。何がきっかけになるかなんてわからないですからね。長年付き合ってるなら、なおさら」
「えー。そんなんじゃ、ダメですよ、つばささん」あっけなく一蹴された。
「もっと具体的にお願いします、彼女、悩んでるんですよ」
「どういうクロージングが一番効果あるんですか?」

 知るか、と思いつつ言った。「ナイーブな話題ですからねえ、こればかりは…逆効果になったら怖いな。多分、ふたりともそういう気持ちになる瞬間っていうのが、あるときふっと湧いてくるんだと思いますよ。その『感じ』っていうのは、あくまでふたりだけのもので、周りには分からないんじゃないかなぁ」
 我ながら良い回答だった、と思った。

 が、予想外にも場はひどく盛り下がっていた。「ふうん」と興味なさげに誰かが言ったが、それすら誰が言ったかも分からないくらいに小さな声だった。
 やってしまったな、と思いながらふと視線を感じて顔を上げると、標的となっていた彼女が、こちらに静かな目を向けていた。周りは皆、冷めた目で料理に箸を伸ばし、次のドリンクを頼むことで空気を変えようとしている中で、彼女のまっすぐな目線だけが際立っていた。
 彼女を見つめ返した。そして、他の人に気づかれない程度に、彼女へ向けて微かに頷くと、彼女も微かに口端をあげて答えてきた。十分だ。

 左側で笑い声がわっと沸いた。自分も知っている、20年前のアニメのテーマソングの話題だった。「続きなんだっけ?」「~じゃない?」「違うよ!」「それ別のアニメだよ」どうやら、続きの歌詞が思い出せないらしい。
「それ、知ってますよ、こうですよ」と歌いながら強引に話題に入ると、「そうそう、それだ!」と言って、彼らはいとも簡単に自分を話題に巻き込んでくれた。
 その日は、もう右側の会話に入ることはなかった。

 週が明け、慌ただしい月曜午前を終えてインドカレー屋から自席に戻ると、社内メールが届いていた。例の彼女だった。
『つばささん、先週はありがとうございました。お話出来て楽しかったです。良かったら、今度一緒にお食事しませんか?仕事のことや、いろいろご相談させていただけたら嬉しいです。ぜひ、ご検討ください。』
 大量のパソコンの隙間から、彼女の席の方を窺った。ピンクがかった栗色の長い髪を、キャメルのカーディガンの上にふわりと垂らした、小柄だがしっかりとした肩が見えた。

 その髪が揺れるのを見て、ひとつ、深く息をついた。漫画の登場人物だって、もっと冷静だろう、職場の女性からの誘いに心が躍っていることを自覚する。
 全く、普段から人付き合いをしない奴は、これだから困ったものだ。すぐに返信ボタンを押す。

『こちらこそ、ありがとうございました。自分も、お話したいと思っていました。是非、お食事に行きましょう。食べたいものとかありますか。お店探しておきます。』
 ゆっくりと時間をかけてメールを打ち終え、送信ボタンを押すと、気を取り直して午後の業務を始めるべく得意先のファイルを手に取った。すると、隣の席の社員がびくっと身体を震わせて目を丸くした。
「何かありましたか」
「え?いいえ」
「急に動いたからびっくりしました」
「あっ、すいません」

 数日後。定時をすこし回ったところで会社を出て、駅の反対側の花屋へ向かった。例の彼女との待ち合わせだ。
 花屋の前で、ミニブーケでも用意するか、いやそれはさすがに、と迷っていると、人ごみの中から軽やかな足取りで、レモンイエローのニットと青い小花柄のフレアスカートをふわふわさせながら彼女が走ってきた。

「おつかれさまです、お待たせしました」
 揺れる髪を押さえて、彼女がにっこりと微笑んだ。仕事中には、取引先ウケするだろうな、と思うような快活な笑顔だと思って見ていたが、オフタイムだと気楽さも相まってか、可愛らしさが増して見える。新発見だ。

 予約した店は、喧騒を離れ住宅街に入る一歩手前の、創作イタリアンレストランだ。
 ピアノやチェロなどの楽器と、大小様々な観葉植物が雑多に、だがセンス良く配置されている。その合間で、品のいいヴェネチアングラスに入れたキャンドルが、優しく光を放っている。

 席に通され、彼女がピーチウーロンを、自分が白のサングリアをオーダーした。2、3品のタパスを注文し、ウェイターが下がると、彼女がぺこりと頭を下げて言った。
「今日はありがとうございます、お店まで取っていただいちゃって」
「いえいえ、こちらこそ」
「素敵なお店でびっくりしました、普通に居酒屋とかかなって思ってたんで」
「あっ、その方が良かったですか?」
「いえ!そうじゃなくて、なんか、つばささんは居酒屋のイメージがあって」
 ごめんなさい、変な意味じゃないです、と彼女が困ったように笑った。フランクなのか、思ったことをそのまま言ってしまうタイプなのか、よく分からないが面白い子だ。

「こないだの、ランチの店選びの話のせいですね。確かにあれだけ聞いたら、夜は居酒屋しか行かなそうですよね」
「イタリアンとか食べるんですね」
「もちろん」さすがに笑った。「パスタもピザも好きなんですけど、昼ごはんにしては、腹もちがね。量重視なので、男性っぽい店選びになるんですよね。夜は、本当は居酒屋よりもこういう方が好きなんです。歳のせいかビールも飲めなくなってきたし」

 ドリンクと、お通しでタコのマリネが運ばれてきた。じゃあ、乾杯、と言ってグラスを合わせると、一瞬の沈黙があった。
「毎日ひとりでランチ行けるって、すごいですよね」ピーチウーロンの長いグラスを置いて、彼女が言った。「わたしも、たまにはひとりで行きたくなって、そういうときは仕事が片付かないふりをして、お昼休みをわざと30分くらいずらすんです。そうでもしないと、ひとりで出られないです」
「ああ、そうですよね。今日はひとりで食べたいんですって口に出して言うと、なんかものすごく意味深に聞こえちゃいますもんね」
「めちゃくちゃ悩んでそうですもんね」

 彼女は声を出して笑った。が、その笑顔はすぐに動きを失い、ただ張り付いたように変わった。「この前の飲み会でも話に出たんですけど、結婚の話がね、みんなやっぱり話題にしやすいみたいで。一緒にランチ行くと、大体恋愛の話になって、最後には、で、どうなの?ってわたしの話になるし。そんなときにひとりでランチしたいなんて言ったら、彼のことで何かあって、悩んでると思われちゃうだろうな」
「ああ…」
 失礼します、と言って、ウェイターがサラダやグリル料理をてきぱきと並べた。香ばしいチーズの香りが食欲をそそる。

 ふう、と一度肩で息をして、彼女は取り分けたミートグラタンを口に運んだ。「美味しい」と素直に声を出す。「これ、なんですか?サクサクしてる」
「レンコンですよ」
「グラタンにレンコンって珍しいですね」
「ここのお店、クリームグラタンのほうには、里芋が入ってるんです」
「えっ、美味しそう」
「斬新ですよね」
「意外ですけど、でも、言われてみればすごく合いそう」
「時々、無性に食べたくなるんですよ。ただ、ランチで来るには遠いし、なかなか来られないです。それに、好きなメニューであればあるほど、時間をかけて、できれば美味しい酒を飲みながら味わいたい。本当に美味しいものを美味しいと思うには、それなりの時間や、心の準備も必要なんですよね」
 すこし説教くさくなったか。彼女は笑顔も、勢いも収めた真顔でこちらを見ていた。空気を変えようと、サングリアを飲み干してドリンクメニューを手に取った。

「次、何飲みますか」と彼女に声をかけると、彼女は自分のグラスを指さした。
「つばささん、何飲んでたんですか」
「白のサングリアです」
「同じもの、飲みたいです」
「じゃあ、デキャンタでもらいましょうか」ウェイターを呼び、サングリアのデキャンタとグラス2つをオーダーした。

(つづく)

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