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友達の元カノが子どもを殺した、地元の当たり前
正月なので、久々に実家に帰ってきた。特別遠いわけでもなく、車を走らせて三四十分くらいで着くようような距離だが、あまり家族や親戚の汚らわしい感情をぶつけられたくなかった。
「あいつは障害だから」「老人なんて早く死ねばいい」「精神科なんて気狂いが行くところ」みんな、口を揃えてそう愚痴る。さも当たり前かのように。大人になったお前ならわかるよな?という圧力と同時に、共感を求めている。
祖母はいまだに、19にもなった俺にお年玉を渡してきた。まだ70にもなっていない祖父は、ほとんど寝たきりで会話もままならない。ただ、俺の顔を見れば、きちんと名前を呼んでくれた。何度も、何度も。それだけはわかる。それだけしか分からなかった。
弱りきった祖父の手を握って温もりを感じる。「あけましておめでとう」「2025年になったよ」と、ゆっくりと耳元で話しかけた。『良いお年を』なんて、言えるわけねえだろ、馬鹿。
帰り際、祖母は名残惜しそうにたくさんのお菓子を渡してきた。袋にも詰めきらないくらいの。「またくるね」とだけ言った。また会えるかは分からない。不思議と悲しくはなかった。ひとりの人間の生き様と死に様、目を背けずに焼き付けるんだ。いい機会だ、きっと。
そうしてふと思い出す。地元の友達は何しているんだろう。そう思って、小学生の頃から付き合いのある友人「K」に電話をかけた。
最初はくだらない仕事の愚痴。彼は地元でも悪評高い底辺高校を卒業後、介護士として働いている。「もう辞めようと思っている」と時折口にした。
「最近連絡つかないんだけど、Cちゃん今どうしてる?」
Kの方から振られるとは思ってもいなかった。
「Cちゃん」は同じく小学生の頃から関わりのある女の子で、その子は中学の途中から学校に来なくなった。小学校の頃は毎日のように遊んでいたし、顔立ちも整っていてダンスもできて、将来はアイドルにでもなるのかな、なんて思っていた。
「今、新宿でコンカフェ嬢やってるよ」
俺が知っているだけの情報を渡した。なんだかんだで通信制の高校を卒業して、今は普通に大学に通っている。けれど、解離性障害が酷いのか精神科には通いっぱなしだし、小中の記憶もほとんど無いと言っていた。思い出してはくれたけど、俺のことすら8割忘れかけていたと思う。
その後すぐに、中学時代に関わりのあった共通の知り合い「S」の話題が出た。そいつは中学卒業後、よくある地元の不良グループとつるみながら、建設の仕事をやっていた。俺も一時期同じようなグループにいたので、そこら辺のことは知っている。Sが当時付き合っていた、ギャルっぽい見た目の派手な女の子はどうなったのか、と聞いてみた。
「ああ。その子、妊娠して家で子供産んで、放置したから捕まったよ」
あっけらかんとKは話した。
俺の地元ではそんなもんか。それを聞いて、S自身の近況も知りたくなった。心配というより、興味が勝った。Kにコンタクトをとってもらって、電話を繋ぐことになった。
「ひさしぶり」
俺の声を聞くなり、「朝霧じゃん!」と即座に反応した彼の無邪気さは変わっていないようで、どこか安心した。彼もまた、あっけらかんと話し出す。
「彼女とはもう別れてんだけど、何回も署まで呼び出されたよ。めんどくさかった」
吐き捨てるようにSは言った。変な感覚だった。
それからSの話す内容は少し変わって、「俺は月にウン百万は稼いでる」だの「今度は九州まで飛ばなきゃいけない」だの「最近指を切り落とした」だの、よく分からないことだった。彼の両腕には、よく分からない刺青がいくつも入っていた。ああ、こんなもんか。
「九州といえばさ」
KとSがほとんど同時に思い出したように呟いた。これもまた、高校時代からほとんど連絡を取れていない友達「M」のことだった。MはKと同じ高校に通っていたが、突然母親が彼氏と一緒に行方をくらまして、そのアパートにずっと1人で住み続けていた。幸いにも、家賃や光熱費の催促は来たことがないと言うので、おそらく母親が払ってはいるんだろう。
働き口のない彼を心配して、友人数人で何とかツテで頼み込んで働かせたりもしたが、何の仕事も続かなかった。結局、俺の助言で精神科にかかり、発達障害の診断を受けて生活保護を受けていると又聞きした。
「Mも今福岡で働いてんじゃね。知らんけど」
そいつらの中では、博多の風俗が一番良いらしい。そこでたまたま再会したから、多分そうだと。よく分からないが、それがコミュニケーションツールみたいになったのは、少し哀れに感じてしまった。そうして今度は俺とKへの質問ターンが回ってきた。
「んで、Rはどうなったん?」
「R」と呼ばれたそいつは、元々は俺とKの友人で、端的に言えばバイク仲間だ。俺はバイクになんて興味も無いし、なんなら免許すら持っていない。でも、原付くらいなら運転できるし、彼の後ろに乗ってぶっ飛ばす風の勢いを感じるのも好きだった。
Rと出会った時、既に彼は自衛官としてそこそこ真面目にやっているようだった。
「アイツなら、車かち割って金盗んで捕まったで」
また、Kは当然かのように答えた。……それは少し前に俺がニュースで見た。Rは元々冗談半分で、そんなことを口にするようなタチではあったが、同じ地元の同じ年齢の「別の誰か」であってほしい、なんていう願望は、見事に打ち砕かれた。
その後は鑑別所に送られて、地元から少し離れた少年院に送られたらしい。もう出てきてるだろうな、と笑っていた。変な気分だった。
また、Rの先輩の話になった。実際そこまで深く関わったことはなく、比較的大きな暴力団の下っ端だった。「若衆」とか言っていたっけな、分からない。そいつもまた、名前を調べればネットニュースにいくらかヒットするような事件を起こして、消息不明。辿りたくもないが。その辺りで俺は、適当な理由をつけて電話を切った。
その少し後、なんだか嫌な予感がして、ほんの2年前くらい、都内に住んでいた頃に知り合った友人に電話をかけてみた。まあ、久々なのもあってか、案の定応答なし。共通の知り合いもいないので、仕方なく彼の名前でネット検索をかけてみた。
予感的中。公園で恋人に数時間に及ぶ暴行、全治数週間の怪我を負わせたとしてーー、
読むのをやめた。まあ、そんなもんか。
高校以降に出会った、比較的真面目なほうの友達に連絡して心の均衡を保とうと思った。このままでは感覚が狂う。地元の知人に大卒なんて誰一人としていない。大袈裟かもしれないけど。そこそこ普通に全日制の大学に通っていた東京の友達に電話をかけてみたが「ごめん。入院中だから通話できねえ」とだけ返ってきた。前々から咳が止まらないと相談を受けていたし、心配になって「肺炎か?」と聞いてみた。
「いや、精神病棟にいる」
どうやら彼は、元々持っていた躁鬱が悪化して主治医から入院を勧められたそうだ。まあ任意だし、ある程度の自由はあると言っていた。彼が躁鬱になったのは、おそらくは受験期のストレスだろうな。最近やけにテンションが高いな、なんて思っていたが。なんだかまた、現実味を失った。
「退院したら飲みに行こうや」
みたいなことを言って、会話を終えた気がする。
高1くらいのときに英検1級をとって、プログラミングやIT分野に精通していたあいつも、気づけば市販薬ODの常習犯で、大麻だけに飽き足らず、アッパーに走って連絡が途絶えた。最後の会話は「自分はエアコンだ」とか言い続けていた。
解離が悪化したのか、つらい記憶以外は何も知らない別人格とも話してみたが、「自分の人生が欲しい」「俺が使えるお金が欲しい」「自由にお菓子を買ってみたい」とか、人間が本来持つべき当たり前の欲求で、何も言えなくなった。
それ以降も何度かコンタクトを取ろうと試みたが、「コイツの肉体を殺す」「羨ましくて堪らない」と書き残して更新は途絶えた。
統合失調症の身内が、本当に数年ぶりに外泊許可が下りたとの事だったが、案の定、彼女の帰る家は無かった。ので、3日間ほど俺の実家で預かることになった。彼女の娘は、俺に万札を数枚、渡してきた。「こんなにも受け取れないです」と中学生ながらに押し問答をしたが、負けた。
俺の実家は築60年近くの古い家なので、なんて書いてあるのかすら分からない御札がぽつぽつと貼られていたりする。それらを目にした彼女はヒステリックに叫び始めて
「神なんていない!!今すぐに剥がせ!!!」
と半狂乱で俺のことを揺さぶった。呆れながらも「わかりました」と言って丁寧に御札を剥がした。そうしたら情緒は一変して、「あなたはいい子だね。きっと賢いから、浦和一女に行きなさい」とまで言われた。うるせえ、俺は学校なんて行ってねえんだよ。と思う心を押し殺しながら「ありがとうございます」と苦笑いした。
またしばらくして彼女は錯乱して「お前は誰だ!!ここはあたしの家だ、早く出ていけ!!」と怒鳴られて「すみません」と残して部屋を出た。
この人の娘があんな大金を寄越してきた理由がわかった気がした。
ここに出てこない友人たちはみんな、もう、触れてはいけないような暗黙の了承がある。もう二年半くらい、家から出られないと嘆いている友人のことを思い出した。死んでないといいな。だとしても、死んだら会えるから別にいっか。
……ああ、そういえば。今度夏が来たら彼の三回忌になるのだろうか。また、彼女は「彼に会いたい」と言うのだろうか。自殺してまで、他人を一生苦しめるんだね。
祖父と一緒にザリガニ釣りをしていた頃を思い出す。怖くて触れなかった俺に、掴み方を教えてくれた。ああ、来年には喪中なのかもな。なんて考える捻くれた俺を、どうか許してください。
来年の分も、今のうちに言っておくことにします。
あけましておめでとうございます。
来年もよろしくお願いします。良いお年を。