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一度は行きたいあの場所 〜心惹かれる理由〜

子どもの頃、父はよく海外出張から帰ってくると、たくさんの写真をスライドにして、家で小さな上映会をしてくれました。

それは、家族だけの時もあれば、親戚の集まりの時もあり、またお正月に仕事関係のお客様がいらした時のこともありました。

暗くした8畳ほどの和室の、部屋の真ん中に置かれた映写機から、壁一面に映し出される異国の地は、私にとっては遙か遠い存在で、まるでおとぎの国のようでした。今ほど色彩豊かな写真ではなかったことが、かえって未知の世界への想像力をかき立てたのかもしれません。

お土産に買ってきてくれた、小さなおもちゃや人形を抱えながら、父のその膝に寄りかかり、次々と繰り出される世界を目にすることは、楽しい時間であるとともに、父への尊敬と憧れを感じる時間でもありました。

街や乗り物の様子、人々が着ている洋服や帽子、屋台やレストランで食べた珍しい料理やその香り、そしてどんな仕事をしてきたのか、時に失敗談や危険な目にあった話なども織り交ぜながら、尽きることなく話す父もまた、活きいきと楽しそうであったのを記憶しています。

私の世界への興味の扉を、最初に開けてくれたのは父であり、海外と日本はもっと近い関係になる、だから語学を学びなさい、世界に目を向けなさいと、そう諭してくれたのも父でした。

その後、長い年月が流れ、今は気軽に海外旅行に行ったり、TVやネットで遠くの国の情報も簡単に入手できるようになりました。ニュースでは、かつては知り得なかった戦争や紛争の映像を、また旅行番組やバラエティ番組では、遙か遠い国の日常を、あたかも隣に住んでいるかのような感覚で見ることができます。

残念ながら、父と海外旅行へ行くことは遂にありませんでした。いま父が生きていたら、どこへ行きたいと言うのでしょう。どこの国を私に見せたいと言うのでしょう。

どこの国でもいい、父と一緒に出かけ、同じ景色を見て、同じ食事をし、同じ時間を過ごしてみたかったと思うのです。

そして訪れたその国の魅力について、父は大人の私に何と語るのだろうと、その答えを聞いてみたかった気もするのです。

答えの出ない問いに思いを巡らす時、不思議と寂しさよりは、懐かしさと温かさが心を満たしていきます。そして、遠い昔、スライドを嬉しそうに、少し誇らしげに、何度も何度も映して見せてくれた父の横顔が浮かんでくるのです。

もしかしたら…本当は、かつて小さな和室で、家族でワイワイとスライドを見ていた、あの場所に戻りたいのかもしれません。

二度と戻れないけれど、その決して色褪せることのない、大切な思い出に繋がる場所に、だからこそ心惹かれるのかもしれません。


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一度は行きたいあの場所

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