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姉の夫が交通事故に遭った

あさちょこです。

普段は、不妊治療の経過の話を書いていますが、時々、日常生活から得た雑感も書いていこうかなと思っています。今日は先週〜今週にかけて感じたことです。

姉の夫が交通事故にあって、病状説明を聞きに行った


10日ほど前のことだが、姉の夫が交通事故に遭った。

私の家族の中で医療職なのは私だけ(ちなみに大卒なのも私だけ)で、
病状説明に私が駆り出されることになった。

姉や姉の夫には、色々思うところがあって、あえてあまり近い関係にならないようにしていたので、色々複雑な気持ちを抱えたまま病院に到着。

話の内容をまとめると、

  • 脳の機能の回復は難しく、意識はもう戻らない。

  • 感染症などが命取りになり、余命は1年ほどと予想。

  • 今後の医療をどうするか、家族で話し合ってほしい。

ということだった。

当日、姉の家族の様子を見ていて感じたこととしては、

  • 色々思うところはあるものの、姉はきちんと感謝を口にできる人で、それは本当に素晴らしいと思う。

  • 甥っ子は19歳なのに、物事を整理して考えられて、慌てる姉をリードして、落ち着かせるような発言も多く、それも素晴らしい。

  • 姪っ子は16歳。ほとんど言葉を発しないけど、一通り話を聞いて「明日は遅刻したい。欠席はしたくない」、など、直近の希望をちゃんと言葉にできて素晴らしい。

3人のやり取りを聞く限り、3人とも3人らしさを認め合っているようで、それぞれの形の絆があって、暖かいなと思った。

病院で、姉がぽそりと、「パパの人生なんだったんだろ?」って言ったけど、こういう家族を作れたこと、あなたが今所属している小さなコミュニティ(=家族)を作れたことが、パパ(=私の義兄)の人生の最大の意義だったんじゃないかなと思う。

私はそんな小さなコミュニティを作ることにさえ四苦八苦している。そのことを考えて、心の中で勝手に苦しくなった。

一方で、病院の中で見たポスターの⚪︎⚪︎科副部長が大学の同級生で、⚪︎⚪︎科部長も1つ上の先輩。イギリスまで行って博士号をとったのに、小さなクリニックのパート医師である私って、どういうこと?という気持ちにもなった。

とはいえ、今の私には、子供たちの様子や感情に目を配り、できるだけの愛を伝えていくことだけでもう必死で、仕事の重責など負える気がしない。

病状説明を聞きに行くために、実母に子供達の世話〜寝かしつけをお願いすることになり、それだけでも子供達の負担にはなったと思う(娘は「おかあさんがいい…」と言いながら泣きながら寝たという。

結局、私が欲張りということなのか。
それとも女の人生が難しいということなのか(ポスター副部長も部長も男性)。

ちなみに義兄は、普段から「過剰な医療は不要」との意思を明確に示していたようで、できるだけ自然に近い形で最期を迎えさせたい、ということで家族の意見は一致したよう。

義兄の事故は、私が義兄のようになったときに、私が生きてきたことの爪痕を、社会に、家族に、どのように残しておきたいのかを、考えるきっかけをくれたのだなと思う。

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