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「そりゃ縁切り神社しかないよ」と言われてひとり、安井金比羅宮に向かった話

「あんた、安井金比羅宮って知ってる?」

今年のゴールデンウィークに突入する、ほんの少し、数日前のこと。
中学時代いわゆるまぶだちで、その後も十年以上にわたって交流が続いている友人が、わたしのド底辺生活の話を聞いてげらげらと笑っていた。むしろ、げらげらと笑ってくれるのは彼女くらいで、その底抜けた明るさにわたしは本当に救われていた。
「散々だったんだよ本当に」
「聞く限り、ほんとに最底辺って感じだねえ」
「会うひとすべて、ちゃぶ台をひっくり返してくるような日々でさあ。あっちに逃げてもこっちに逃げてもほんとに、ダメで」
「そんなだったとはねえ〜。そんな人めったにいないよ、面白い人生してんねえ。笑っちゃダメだけど、不幸ぜんぶ盛りみたいになってんね」
彼女はそう言って、やっぱり笑った。
「泣いていい?」
「泣いたらもっと笑うよ」
「じゃあ、しょげていい」
「どうぞ」
わたしは食欲がなくなってげっそり痩せてしまい、会う人すべてに「痩せ……いや、こけたね」と言われ続けていたが、彼女はそこには言及せずにモリモリとパスタを食べていた。
しょげにしょげて、彼女は笑うだけ笑って、そして少し元気になって解散した後で、一通のラインが届く。
それが、「安井金比羅宮って知ってる?」だった。

行くしかねえ、と思った

安井金比羅宮とは京都にある縁切り縁結び神社だ。
ホームページ曰く、「悪縁を切り、良縁を結ぶ」。
わたしは彼女からその話を聞いて、もうそれだ、それに行くしかないと思った。
そうでもしないと、こころがこころの形を保てない、そういう限界の頃だった。
このままだと会社にも行けなくなってしまう。
そう思ったわたしは、彼女の話を聞いた翌日に、京都へ向かう新幹線の切符をとっていた。

そうしてたどり着いた、安井金比羅宮
わたしにはそれほど怖い場所には思わなかった

お札のついた岩をくぐると縁が切れ、また同じ穴をくぐって戻ってくると良縁が結ばれるという。
わたしはとにかく、「悪意や下心との縁を切ってください」と念じた。
(後になってわかったことだったが、特定の人間との縁切りを願わない方がいいらしい。そんな下調べをする余裕もなくこの場所に辿り着き、知らないままに、それなりに正しい願い方をしたのだった)

普段はたくさんの人が並ぶのだというが、この日はあいにくの雨模様で、昼間だというのにほとんど人がいなかった。

必死だった。
縋れるものには何でもいいから縋りたい。
あの天気の中で、あの場所にいたひとは、もしかしたらみなそうだったのかもしれない。
世の中にはこんなに、どうにかしてくれ、どうにかなってくれ、と死に物狂いでもがいている仲間がいるんだなあと思った。それがあの、お札の数で、だからあのお札はこわいものには見えなかった。
人生の数だ。人生を投げ出さないで、どうにかなれってなんとかしがみついている、そういう思いの数だから、どうかこわがらないであげてほしい。

本当は、切れないでほしいと思う縁もあった。
たとえそれがすごく傷つく縁だとしても、そのままにしておいてくれって思いたいものがあった。
でも、人間関係は繋がっていたいと思っても、切れてほしいと思っても、思うようにはいかないもので、その思うようにならなさにひとは傷つくことがある。
自分じゃどうにもならないってのは、かなり苦しい。
だからあの岩をくぐるっていうのは、どうにもならないことを願い続けるのは苦しいから、その縁のゆくえは自分じゃないものに任せるってことにしてしまおう、ということなのだと思う。

雨の安井金比羅宮を出て、わたしは急にお腹が空いていることに気づいた。
そこで食べたわらび餅の美味しさといったら、言葉が出なかった。

ぎをん徳屋さんのわらびもち

恋の教えは在原業平

昨日切った縁もあることだし、一応、結んでおくか。
日頃から信心深くもないくせに、そういうときだけは神様頼りである。
翌日は、下鴨神社、上賀茂神社、市比賣神社に行った。

下鴨神社横にある、賀茂みたらし茶屋さん
みたらし団子発祥の地だとか

下鴨神社といえば、御手洗川が流れている。

「恋せじと 御手洗川に せし禊 神はうけずも なりにけるかも」
在原業平が詠んだ和歌の地である。

「恋はもうしないってどんなに誓ったところで、神様はそれを聞き入れないし、恋には落ちてしまうし。」
わたしは在原業平がとてもすきだ。平安きってのプレイボーイだった男。
恋しないって思うんだよね。だって本気の恋ってぜんぶのエネルギーを使うし、満身創痍なんだもの。もう絶対しません。っていくら思ったところで、恋に落ちるときは不可抗力。
在原業平でさえそう思うのだから、現代のわたしたちだってそれで良いのだ。
でもそれって、希望じゃない?

恋ってぴかぴか光ってるものだから。一度落ちてしまったら恋は、後生ずっと、恋そのものが失われても光ってるはずだから。
そして今はもう絶対恋なんかしないって思っていても、また光は降ってきてしまうの、かも。

市比賣神社のおみくじはとっても可愛い
女性の願いごとを聞き入れてくれるらしい


そうして、わたしは来たときよりもずっと晴れやかな気持ちで京都を出発。
東京に向かう新幹線の、なんともまあ、心地よかったこと。

くどうれいんの『うたうおばけ』は愛読書
今度そのこともブログに書きます

安井金比羅宮に行こうか迷っているひとがこのブログに辿り着いたときのために書いておきます。

行くかいかないかは自分で決めたらいいと思います。
なんじゃそりゃって思うかもしれないけど。
今までもわたしは京都に行ったことがあったし、安井金比羅宮の存在は知っていました。それでも行こうと思ったのは、この時が初めてだった。
行くべきときに、足が向かうんじゃないかなあ。
でもそれは、特別なことなんかじゃなくて。ひととひとの出会いもそう、会うべきときに出会う。別れるべきときに別れる。本もそうかも。読むべきときに本棚からひょっこり現れたりする。趣味もそうだし、進路とかもそうかもしれない。
興味本位で行くのはやめたほうがいいけど、行くべきときじゃないひとが行ってもなんの収穫も得られないんじゃなかろうか。
ちなみにアクセスはそこそこ良かったです。京都駅からバスで行けるし、清水寺も近いし。

ではまた更新します。今日は雷雨がすごいね。


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