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愛を信じるということ/売野機子「ルポルタージュ 追悼記事」

「恋愛」って不思議な言葉だ。

恋と愛はぜんぜん別のものなのに、どうして一緒くたにされてしまっているのだろうか。

金曜日の真夜中、ふらつく体とシャットダウン寸前の頭で「ルポルタージュ 追悼記事」の発売日を思い出した。渋谷のTSUTAYAは便利だ、深夜でもやっているのだから。帰りしな、電車の中で、衝動を抑えきれずにビニールカバーを外した。講談社のカバーは密着性があるので外しづらい。勢い余って、隣に座る人に肘を当ててしまった(ごめんなさい)。そのまま、終電近くの電車に揺られながら最終巻を読んだ。

幻冬舎で連載されていた「ルポルタージュ」を含めると、全部で6巻。売野機子先生の作品で、これほど長い連載は「MAMA」以来。(MAMAもとても良い。いつか自分がやさしい気持ちのときに感想を書きたい)

2034年、恋愛をしなくていい時代。むしろ恋愛はダサい、それを“飛ばし”て結婚するのが主流になった。多様化を認めた結果、大多数の人間にとって生きやすい社会が実現した。

そんな中、凄惨な事件が起きる。恋をしないで結婚相手を見つけるシェアハウス「非・恋愛コミューン」で、テロが起きる。新聞記者の聖は、事件の遺族たちへの取材を通し、自分を見失い、そして取り戻していく。


恋をしている姿は、みっともなくて恥ずかしいもの。だからみんなバカにする。

人生を支え合うパートナーがいることは素敵(一人は寂しい)。だからみんな結婚する。

恋はダサくて、愛が無いのは怖い。じゃあ恋愛ってなんだろう。


愛を恐れ心を閉ざした女、愛は与えるものだと信じてやまない男、幼少期に愛をもらえなかった青年、愛がわからない自分を知った女性。

みんな愛に悩まされている。愛の形はさまざまだというのに。

そう、愛はいろんな形をしている。一人を愛し抜くのも良い。誰かに愛されていることで、自分を好きになっても良い。全人類、いやもっと広い対象に愛を注ぐこともできる。逆に、誰も愛さないという選択もできる。愛は自由だ。

その人にとっての最適な形を見つけることができたのなら、それは本当に幸いなことだと思う。

聖にとっての愛は「手触り」だった。撫でる、腕を抱く、体を抱きしめられる。今まで軽視していたはずのものに、葉が気づかせてくれた。

葉にとっての愛は「与えるもの」ではなく「する」ものだった。聖やテロ加害者との交流で気づいた。

どうか、他の人の違う愛を笑わないで。自分だけの愛を見つけたのなら、大切に大切に守り抜いて。ページをめくるたび、どこからかやさしいメッセージが聴こえてくる。

恋と愛の違いについて、これほどまでに真摯に真正面から考え抜いた作品が、これまであったのだろうか。

かれらが生きる世界まであと10年とすこし。

私たちは、いや私は、他人に、自分に、愛に、もう少しだけでいいからやさしくなれるだろうか。

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