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できないといったもん勝ちの世界
学校現場では日々何かに追われています。
GIGAスクール構想について教育委員会などからの要望、また市町村ごとに例年慣習となっている研究授業会、ICTを活用するための職員研修など日々の業務に上乗せされるだけで、何かを減らそうとする動きは全くありません。
そんな中、新規の取り組み(ICTの効果的な授業での活用方法など)を提案しなければならないことがあった。
自分は日々ICTを活用して授業を行なっているので提案しろと言われればすぐにでも提案できました。
しかし、中には「まだ活用できていないし、そもそもタブレットの使い方がよくわからない」「まだできていないから難しい」などと提案を断っている先輩教員が何名もいました。
「タブレットなんて使わなくてもべつにいいやんね」「タブレットの使い方分からないのにどうやって活用するっていうんだよ」と裏でもボソボソと。
使い方がわからなくてできないのは仕方ないことだと思います。
全てのことが理解できているわけではありませんから。
でも、提案しろといってきた教員が「できない」といった教員に対して何も言わずに「なら別の人に…」みたいなことをしていることに少し苛立ちを覚えました。
「できない」っていった方が、自分のやりたいことに集中することができるじゃないか!と思ってしまうくらいに。
自分の職場では「お願い事は試され事」という言葉をたまに聞きます。
上手いこと言ったものだなと思います。
結局お願いして試されてるのではなく、単にボランティア要因を探しているようにしか感じられません。
何かのスキルは上達するかもしれないからスキルアップとしてなら意味があると思います。
でも実際はそんなクオリティの前にやるべきタスクに追われ精神すり減らしてやる提案なんてしない方が働き方としてはいいようにしか思えないのです。
「できない」と逃げていても「できます」と言って頑張っていても公務員は同じ給料。
あとは自分のプライドとの勝負になってきます。
ただし、なんでもやろうとした(やらされていた?)結果、パンクして病休や朝来れないなどのことが起きてしまっていました。
そんな熱意のある教師の熱量を搾取して、動いているように見せている職場に吐き気がしてきます。
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