そうだ!東海道五十三次歩いてみよう。 (episode4 当たり前化された幸せ)
今回語られるのは4日目のお話。ついに舞台は静岡県へ。前回最大限に削られた足はどうなったのだろうか。それでは、はじまりはじまり。
5月6日朝6:10。ネカフェの料金が繰り上がるのを避け、急いで精算をして愛知県は豊橋駅から歩行開始。前日の出発時間が遅かった反省を生かし、とにかく早起きをし、涼しいうちに距離を稼ぐ作戦にでる。やはり足裏は痛いものの、わずか4時間半の仮眠でも足は軽くなった。すると歩き始めて2時間。
ついに静岡県の文字が!!!人間本気で歩けば、3日と2時間で京都から静岡まで行けることが立証された瞬間だった(笑) 僕は単純な思考回路だったため、この静岡県の文字を見ただけでチカラがみなぎってきた。そしてコンビニのイートインで朝飯兼昼食をとり、一気に歩みを進めた。本当は大学生インスタにあげがちランキングトップ10にはランクインするであろう、「さわやか」のハンバーグ(※画像は拾い画)を食べたいと思っていたが、
僕が湿布臭い、ボードが邪魔、そして開店前に関わらず半端ない行列、というトリプルパンチからあえなく断念した。
そして僕は炎天下の中、"さわやか”な風が吹きわたる浜名湖を通過した。
歩いてると宿場町だったり、随所に歴史的なものがあり久しぶりに"東海道五十三次”を歩いている実感を得た。この日も炎天下だったため、熱中症になりかけていたが、僕のボードを見て興味をもった方々から冷たい飲み物と塩分飴の差し入れをいただき、休み休み前に進んだ。そして歩き始めること9時間。ついに本庄早稲田100キロハイクの往復を除いた、純粋な東海道五十三次の東京までの折り返し地点となる浜松駅に到着。
やはり都市部にくると話しかけてくる方は急増。ヤバーい!と面白がって声をかけてくるギャル達や、自転車で旅をしているおとうさん、夜道は危険だから刺し殺されないようにとガチなアドバイスをくれたおじいさんと多種多様だ。こういう交流こそが旅の醍醐味だと僕は思う。駅前広場で座って色々な方と話しながら十分に休憩をとった僕は東京へ向けて再出発。
実はこの日のゴール地点を決めてなかった僕はとにかく東へ進むことだけを意識した。つまり夕日を背にひたすら前に歩くということ。ここまでの歩いた距離が約250km。これだけ歩くと人間の中の本来の感覚が取り戻されるのか、星の位置や風の向きで方角や海が近いかがなぜかわかるようになる。(これガチです笑) そのため、ほぼマップを見なくとも行きたい方向に進める、マップを開かないで済むのでスマホの充電の減りも抑えられるという正のスパイラルが生まれた。そして横に広い浜松市、磐田市と次々と市を横断した。
そして日が落ち始め、今夜の宿をどこにしようかルート上にある静岡県内のネカフェを検索し始める。しかしこの時、僕の頭をある欲求がよぎった。
「、、、、、湯船に入りたい、ベッドで寝たい。」
その刹那、僕はホテルを検索してカード決済を完了させていた。湯船とベッドという"当たり前化してる幸せ"を金のチカラで手に入れた。
そこからは簡単だった。俺にとってのオアシス(=ホテル)に向けて、猛進するだけだった。真っ暗な田んぼ道を車のテールランプをたよりに歩いた。目的地の掛川駅付近では道がなくなったり、「トラクターでしか通らないだろ」と言うような雑草地帯をGoogleマップに歩かされて、誰もいない大自然の中で「ふざけんな!!こらぁ!」と絶叫したのを今でも覚えている。それでも負けずに進んだ。歩いたというよりは気づいたら走っていた。(あれ昨日足限界だった俺どこいった?笑)
そしてついに、、、
掛川駅に到着。「オアシスは目の前だ。」しかし、はやる気持ちを抑えてレイトチェックインの時間まで駅の中にあるお食事どころで休憩。
これまた染みた。基本的にお金を節約していたため食事はコンビニ飯だった僕にとっては贅の極みだった。美味しすぎて涙がでた。ごはんを食べて泣いたのは初めてだったかもしれない。そしてついにチェックインの時間が訪れる。
完全に気が抜けた僕に再度激痛が襲い掛かり、足を引きずりながらホテルへ。フロントのボーイさんは僕の姿を見るやいなや「京都からヒッチハイクですか?」と投げかける。それに対して「いや歩いてです。今日で京都駅を出発して4日目になります。」とサラッと回答。それには思わず驚いたようで、うちでゆっくり休んでくださいとすぐに部屋に通してくれた。
そして、「使い捨てのスリッパ」をもらった。
こうして僕はその日憧れてやまなかったオアシスにたどり着いた。しかし、もう僕の足は限界をとっくに越していた。指の皮は全てめくり上がり、足の甲は信じられないくらい肥大、そして足裏を庇うように歩いていたのが原因で左足首は捻挫気味だった。当時の写真がこちら
そのため浴槽やベッドへの移動だけでも、一苦労だった。こうして僕は明日以降の旅に不安を抱きながら、湯船やベッドを享受するという壮絶な幕切れを遂げた。
4日目:愛知県(豊橋)-静岡県(掛川)=68km 通算歩行距離273km
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この日感じたのは
"当たり前化された幸せ”に気づけていないということです。
湯船がある。ベッドがある。食べ物がある。スマホを開けばマップがある。これって"当たり前”なのでしょうか?それから僕は”当たり前"について考えました。自分が当たり前に享受していたものって、世界の他の誰かにとっては当たり前ではないかもしれないし、自分が粗末にしているものが、誰かにとっては命に関わるほど大切なものかもしれない。僕の当たり前が、あなたの当たり前とは違うように世界には生きている数と同じだけの"当たり前"があると思います。だからこそ、他人に自分の"当たり前"(=価値観)を押し付ける行為ってどうなのでしょう。答えは一つではないと思います。もしこの記事をここまで読んでくれた方にはこの問いについて考えて、僕に考えを伝えて欲しいです。
そして、”当たり前化された幸せ”に気づけてないこと、これは仕方がないことかもしれません。人は失った時に初めて、その何かの大切さに気づくから。ただその失った経験から人は学ぶことができると思います。もし学び実践できれば、あなたが”当たり前”だと感じているものの中から幸せを見いだせると思います。もしそれでも実感が湧かなければ、僕のこの旅のように普段の生活からかけ離れた環境に身を置くのも一つの手段かもしれません。いずれにせよ、この”当たり前に幸せを見出す力”、つまり「幸せに対する感度を高める」ことはあなたの人生を楽にしてくれると僕は思います。すなわち、この感度が高い人ほど人生の幸福度は高いと思います。僕自身、まだまだ身の回りに気づけてない幸せが沢山あると思うので、これからの様々な経験を通して、幸せに対する感度を高められるようにしていきたいと思います。
今回はついつい締めが長くなってしまいました。ここまで読んでくれた方本当にありがとうございます。次回更新もお楽しみに。
次回episode5「土砂降りの決戦、そして救世主現る?」