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どんなに闇が深くても

問題の渦中で苦しければ苦しいときほど、この手法で…このセッションで…この次こそは…って、短期間でコロッと変われたり、大きく意識が変わって問題が問題じゃなくなるような劇的な解決方をと毎日毎日探してた。

意識や観念や思い込みを入れ替える訳なので、何か衝撃的なショックを伴うようなことを経験して変わる場合を除いては、実際にはどうしても時間が必要なのかもしれない。

渦中にいるときは苦し過ぎるからか、どうしても早く早く抜け出したいというのと、こんな社会不適合者な状態でいることの罪悪感からもどうしても焦りが出てしまって、日々コツコツ的なメゾットや焦りや罪悪感は遠回りや問題を悪化させることにしかならないってアドバイスが頭のどこかでは分かる気がしても、どうしてもそんなに悠長に構えられなくて焦ってもがいた何年間だった。

遠回りのようで、筋肉のように日々コツコツが一番の近道だったり、もし急に意識が変われたとしてもそれはどうしてもモロいもので、時間をかけてゆっくり変化したものは強いとかもあるけど、あのもがき苦しんだ時間やその中で、調べたこと、読んだ本、受けたセッション、受けた講座、気づいたこと感じたことやってみてダメだと思ったことも全部全部、その時その時に必要なことで意味もあって、その時点の自分では気づけてなかったけど、苦しんでるだけで何の進歩もなく時間だけ過ぎてるようでいて、ちゃんと小さい変化の積み重ねをやってきてたんだと、苦しみながらももがき続けてくれた自分に今は感謝できることがかなりありがたい。

そもそも元々は自己否定、罪悪感、自分責めの思考しかない完全ネガティブ思考人間だったから、今の心の平和な感じは夢に見てたこと。

強迫性障害は本当にキツくて耐え難いものだと今も思うけど、でも強迫性障害がなかったら、今も仕事漬けで、自己否定、自分嫌いでとにかく自分に重荷を課して課して休ませず、もっと方法があったんじゃないかと責めてはキリなく頑張らす日々を続けてると思ったら、それはそれで考えただけで吐きそうなくらい。

自分を嫌いというのは本当に辛いし悲しいことだと思う。

とは言っても、大きな流れは全部自分で選んで決めてきた魂の成長のためのストーリーということなので、そういう体験で感じた感情や生じた問題、重ねた時間や経験は一つも無駄なことはなく、それらからもたらされた色々なものが、未来に輝きを生んでいく種になるんだと今は信じられるようになれた。

これも、いろんな葛藤や疑心暗鬼にとらわれてばかりのようでも、ちゃんと過程の中で時間をかけて、色んなパターンで潜在意識に情報が落ちて書き換わった、時間と回数の賜物だと感じる。

こんな風にポジティブなのか前向きなのか、昔なら絶対にできなかった楽になれる考え方ができてることだけでも、数年間から考えたらほんと奇跡。

今は、少しでもホッとできる考え方を選択する自由は自分にあるという意味が分かってきて、自分がホッとできる考え方を選んでいい!って思うだけで随分癒やされて、呼吸と心が楽になれて安心できるのが分かるくらいになれてきた。

だし、あれだけ強烈だった自分責めや罪悪感もなくなって、心底嫌いで消えたほうがいいって思ってた自分にも、嫌悪感よりよく頑張ったなって思えるまで変われた。

変われるまでは、何を聞いても読んでも言われても、自分だけは例外で、自分に受容的になれることはないんじゃないかと不安もあったけど、やっぱりみんなそれぞれのペースやタイミングで、必要な感情体験とのバランスもありながら、そのときが来れば変われるんだと思う。

これからは、これまで人にしていたみたいにまず自分に気を配って、丁寧に寄り添って自分を思い出していくし、もう絶対にどんなときもどんなことも否定したりせずに面白がって褒めるぞ〜

って決めた!!

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