「完璧にできなくてもいいよ」だとやりづらい
「完璧にできなくてもいいので。無理そうなら遠慮なく言ってください。」
先々週は、大学のゼミの中で私が発表を担当する予定でした。
しかし、発表の日を前にして鬱になり、当日休んでしまう可能性が高そうだ、ということで教授に連絡を入れました。
そんな時に教授がかけてくださったお言葉。
優しい。ありがたい。
そう。教授は優しい方なんです。
でも、そうじゃない。
自分が完璧主義であることは自覚しているし、教授もそこは見抜いている訳なんですが、私の今の辛さの原因はそこじゃないんです。
ただ単に体調が悪いんです。
確かにプレッシャーもあるし、まだスライドの準備ができてなかったというのもあるけど、一番は体調が悪いから。
体調さえ良ければできるんです。
体調が良い時は発表を楽しみにして準備に取り組めているんです。
「できなくてもいいよ」
教授の優しさには心から感謝しているのですが、私が欲しい言葉はそれじゃなくて。
「発表は体調が良い時でいいから。このくらいだったら、あなたならできますよ。」
そう言われたかったんです。
だってさ、「できなくていいよ」って言われたら余計にできていない部分に目がいっちゃうじゃん?教授も、私自身も、お互いに。
「ここはできてない。けど、それでも良いよね」って、ネガティブな部分を意識してしまうじゃないですか。
「このくらいだったら楽勝でしょう?」って言い方だったら、最低限満たすべきラインをお互い確認しつつ、教授から認めてもらえていると感じることができるはず。
「いつも見てくださっている教授がそう言うのなら、きっとできる!」
って、モチベが上がる気がしませんか。
教授にはいつも感謝しています。
けれど、「体調さえ良ければできます!」と、ちゃんと伝わればいいなと思ったのでした。
私は、できないことはできないと、事前にちゃんと言えますよ。
そして、自分自身も、「できなくてもいい」じゃなくて、「このくらい(最低限のライン)なら楽勝だろう」と思って物事に取り組みたいなと思ったのでした。
結局先々週は体調悪くて休んじゃって、ゼミごとすっ飛んでしまいました。(ごめんなさい!)
でも、先週はなんとか調子を上げて、発表できました!
いや〜、楽しかったです(* ˃ ᵕ ˂ )b
元気があれば、私、できますよ!!
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