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<後編>知ってた?浮世絵にちょっと詳しくなれるトリビア。人気のジャンル8つをご紹介。

江戸時代に庶民層を中心に爆発的に広がりを見せた浮世絵。

前編に続き浮世絵に少し詳しくなれる、ちょっとためになるトリビアをお伝えします。浮世絵の見方が変わったり、浮世絵がちょっと身近になるかもしれません!

後編となるこの記事では、浮世絵が誕生した初期のころから人気の美人画や役者絵、旅行ブームで大流行した風景画をまず押さえつつ、江戸時代に花開いた浮世絵の多様性のあるジャンルを幅広くご紹介します!

前編では、私たちが思い浮かべる色鮮やかな浮世絵が制作されるようになるまでの紆余曲折や意外な制作方法を紹介していますので、そちらもぜひご覧ください。

<前編>知ってた?浮世絵にちょっと詳しくなれるトリビア。墨一色から始まり極彩色な浮世絵ができるまで。

多様性のある浮世絵。左から相撲絵、擬人画、花鳥画。歌川豊国 1864年、歌川国芳《そめいろづくし》1835年頃、歌川広重《名所江戸百景 蓑輪 金杉 三河しま》1857年

1、当時の人気スター、歌舞伎役者と遊女を描いた役者絵と美人画

浮世絵の「浮世」は言葉の通り、過去の憂う時代から浮き浮きと毎日を暮らそうという思いが込められています。そんな意味がある浮世絵の題材は、流行の最先端をいく風俗や話題のものを多く取り上げました。
江戸の二大悪所」と呼ばれた「歌舞伎小屋」と「遊郭」は人気の場所であり、今でいうと歌舞伎役者はアイドル、遊女はファッションリーダーのような存在でした。そんな彼らを描いた「役者絵」と「美人画」は浮世絵の中でも人気の題材でした。

鈴木春信《中納言朝忠》1760年頃、勝川春章《五代目市川団十郎》1779年

○美人画:時代によって変わる美人の定義

美人画といっても、時代によって美の定義は違うもの。浮世絵における美人画は《見返り美人図》から始まり、スタイルの良い美人画、そしてバストアップの上半身にフォーカスした美人画が流行しました。

浮世絵の初めの美人画といえば、菱川師宣の肉筆画による《見返り美人図》!歩みの途中で後方に視線を送りつつ振り向く姿を描いており、女性の顔や流行の着物、髪型を同時に見せるような演出がされています(画像①)。次に流行するのはスタイルの良い美人画です。鳥居清長の作品はまさにその時代を写したスーパーモデルのような頭身の美人画で人気を博しました(画像②)

その後、喜多川歌麿による上半身だけを描いた美人画が一世を風靡します。歌麿は女性の外見的な魅力だけでなく、女性の細やかなしぐさや表情などに目を向けることで内面の美しさをも表現しようとしました(画像③)。

左から、①菱川師宣《見返り美人図》17世紀、②鳥居清長《美南見十二候 九月 (漁火)》1784年頃、③喜多川歌麿《寛政三美人》1793年頃

○役者絵:定型からファンに支持される個性豊かな表現へ。

初期の役者絵は、役者を類型的に描いていましたが、その後、役者自身の顔に似せた作品、そして、上半身や顔だけを描いた役者絵が流行しました。

最初の役者絵は、鳥居派という浮世絵の一派から始まります。歌舞伎の荒々しい演技を表すために、役者の筋肉を「ひょうたん」のように強調した作風が特徴であるのと、役者自体は人物を差別化することなく、一定の型にはめて描いていました(画像①)。そこで頭角を表したのが勝川派。役者個人の特徴を捉えて描くことで、役者ファンの人気を獲得しました(画像②)。

後に、役者絵がブロマイド的な役割を帯びてくると、顔や上半身をクローズアップした大顔絵大首絵という作品が人気を博すようになります。中でも、謎多き絵師、東洲斎写楽はわずか活動10ヶ月という短い期間であったにも関わらず、役者の個性をデフォルメした作品を手掛け大きな話題を呼びました(画像③)。

左から、①鳥居清倍《市川團十郎の竹抜き五郎》1697年、②勝川春好《五代目市川団十郎の暫》1789年頃、③東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》1794年

2、傍流ジャンルが人気に。風景画の鍵は旅行ブーム

○風景画:火付け役は北斎と広重

江戸後半にも美人画や役者絵は制作され続けていましたが、長年のブームから新鮮味にかげりを見せるように。また、江戸時代中期は寛政の改革や天保の改革により役者絵や美人画の規制が強くなる時期でした。そこで庶民の旅行ブームが相まって、風景画(名所絵)がガイドブックのように親しまれるように。葛飾北斎の《冨嶽三十六景》や、歌川広重の《東海道五十三次》等は当時においても人気で、鮮やかな色彩や色の対比、遠近法による構図などが巧みで、風景の美しさや季節感を表現した作品は、多くの人々に愛されました。

左から、葛飾北斎《冨嶽三十六景 駿州片倉茶園の不二》1830–32年頃、歌川広重《東海道五十三次之内 鞠子 名物茶店》1834年頃

3、浮世絵のジャンルは他にもたくさん!5つの浮世絵ジャンルを紹介

既にご紹介した美人画、役者絵、風景画は非常に有名で、当時においても人気のあるジャンルでしたが、その他にも江戸の庶民に親しまれていたジャンルがありました。長崎絵、判じ物、春画、武者絵といった題材もありますが、今回は数多くのジャンルの中から人気の5つをピックアップしてご紹介します。

○花鳥画

花鳥画とは四季折々の花や草木、植物、鳥獣、虫などを描いた作品です。江戸時代以前からあった伝統的な題材で、浮世絵では風景画に並んで人気の題材でした。北斎や広重も好んで花鳥画を描いており、かの有名なフィンセント・ファン・ゴッホは花鳥画を多くコレクションしていたそうです。

左から、葛飾北斎《露草に鶏と雛》1830–33年頃、歌川広重《鉄線花に鳥》1852年

○死絵

歌舞伎役者が死去した際に、その訃報と冥福を祈って摺られました。基本的に死や仏事を表象するモチーフが添えられますが、役者の当たり役の姿で描いたり、漫画風のものもあったそうです。こちらの作品は当時死装束・喪服によく用いられた水浅葱色(薄青)の衣装で描かれています。

左から、歌川豐國《俗名 四代目尾上菊五郎》1850年、楊洲周延による死絵 1882年

○相撲絵

相撲絵は人気力士の土俵上での取組の姿や力士たちの日常生活を描いたものです。初期の相撲絵は、役者絵と同様、鳥居派を中心に制作がされており、力士個人の描き分けはされていませんでした。相撲は18世紀後半から末にかけて人気が高まり、役者絵や美人画を手掛けた有名絵師も相撲絵を描くようになりました。

歌川国貞が制作した相撲絵 1830-1840年代頃

○戯画

戯画といっても様々なジャンルがあり、人や動植物を寄せ集めて人の顔や文字を形作る寄せ絵や動物を擬人化させた作品、鳥羽絵と呼ばれる手足を細長く、目は黒点、動作を誇張してユーモアを持たせて描いた作品などがあります。特に、歌川国芳は天保の改革により自由な表現が難しくなる状況のなかで、社会的な風刺を込めた戯画を制作して人々を惹きつけました。

左から、歌川国芳《みかけはこわいがとんだいい人だ》1847-1848年頃、歌川国芳《猫の當字》1841-1843年頃

○魔除けとしての浮世絵

江戸時代、ナマズやアマビエは魔除けや、不満を取り除くまじない、病気平癒祈願として使われていました。鯰絵(なまずえ)は、大鯰が地下で活動することによって地震が発生するという古くからの信仰が基になっており、1855年に起きた安政の大地震の後には、江戸を中心に200種類以上の鯰絵が出回りました。

左から、《しんよし原なまづゆらひ1855年、『肥後国海中の怪』の中で描かれたアマビエ 1846年

江戸に盛り上がりを見せた浮世絵のゆくえ

このように、浮世絵には役者絵や美人画だけでなく、多様なジャンルがあったのです。どのジャンルも江戸の暮らしのまつわることと結びついており、それぞれの浮世絵を通して江戸の文化を知ることができたのではないでしょうか?

明治維新後には、写真が日本に入ってきたこと、錦絵よりも安価に制作できる石板画や銅板画などの印刷技術が入ってきたことで浮世絵は衰退していきますが、明治初期には浮世絵が依然として摺られていました。

スキャンダルや珍しい出来事を題材にした錦絵新聞(画像①)や、文明開化により暮らしに西洋のものが取り入れられるようになる様子を描いた開花絵(画像②)といった形で社会情勢を伝える役割が浮世絵にありました。

左から、①「東京日々新聞」933号 1875年、②楊洲周延による連作浮世絵「東風俗福つくし」の「洋ふく」1889年

多様なジャンルの浮世絵。今回の記事を通して皆さんが浮世絵や江戸の暮らしについて知る機会となっていれば嬉しいです。

浮世絵を見る機会があれば、どの題材のものか謎解きしてみてみるのも面白いですね。

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