たーき/アートなトレーダー

チャートと向き合い続け、チャートを通じて自分と向き合い、どうしたら最高のパフォーマンス…

たーき/アートなトレーダー

チャートと向き合い続け、チャートを通じて自分と向き合い、どうしたら最高のパフォーマンスを発揮して、心地よくトレードできるか研究しています。

最近の記事

なぜ?FXなのか

よく友人から 「FXって危ないよね」 「FXって博打だよね」 「FXってリスク高いのに何でやってるの?」 って聞かれます。 確かに、言ってることは分かります^ ^ 僕も最初は、超危険な投資商品だって思っていました。 (人によっては投機と捉える方もいます) でも、何もやってないのに決めつけてはけないと 色々調べてみたわけです。 そしたら 「何もしないで○億稼げました〜」 「誰でも簡単に○億円!」 「資産〇〇億円を稼いだ秘密教えます!」 何とも言えない

    • 口座の資金は小さく育て大きく使う

      FXや株、不動産など 投資の世界は、 稼げることに ファーカスされているからか どうしても 本質が理解しずらいところがあります。 FXをやり始めた時、 早く成功して自由になるぞと 器量以上の取引をしたり 一攫千金?を狙ったりします。 それが、 人間というものだと思います。 (成功の定義は皆それぞれだと思いますが) 僕はFXのトレードにおいて ルールは絶対守れるし 過度なトレードはしないし 誰よりも早く稼げると思ってました。 書籍やトレーンング本に書いてある 失敗の原因

      • わかっちゃいるけど、やめられないシリーズ〜その2〜

        「わかっちゃいるけど、やめられないシリーズ」その2は 『失敗』について 失敗をした時って、なかなかその失敗と向き合えない! 特に幼少の頃から、母親に怒られ続けてきた僕にとって この失敗を避けるように よく言えば、要領よく行動するようになったし 悪く言えば、人の目を気にするようになり なるべく失敗しないよう安全な方法を選択するようになってしまいました。 だけど、 生きていく上で失敗ゼロで過ごすことはほぼ無理でして 今度は、失敗する度に怒られないように 嘘をついてしまったり、

        • わかっちゃいるけど、やめられないシリーズ〜その1〜

          「わかっちゃいるけど、やめられないシリーズ」ということで 何回かに分けて検証してみたいと思います。 今回は、「待つ」ことに対して 禅の視点から解説したいと思います。 禅語には 「啐啄同時(そつたくどうじ)」と言う言葉があるのですが 「啐(そつ)」とは、 卵の中のヒナが「もうすぐ生まれるよ!と 内側から殻をつつく音であり 「啄(たく)」とは、 親鳥がその音に気づき 「ここから出てきなさい」と外側から殻をつつく音。 としています。 両者のタイミングがドンピシャ(同時)に

          相場(さま)ファースト?

          パートナー曰く、僕はレディファーストらしいww (はい!数多くある恋愛本には必須の合言葉です) どうやら、トレードの世界でも最優先すべき「お方」がいるようで それが、 相場(さま)だそうです。 トレードの世界に足を踏み込んだ時、一番最初に教わったのが この相場(さま)に対する在り方だったんですね。 でも、最初は相場(さま)に「さま」をつけるなんて・・・ 正直、違和感しかなかったw でも先生は、いつでも相場(さま)に「さま」をつけて話をするわけです。 トレードの世界は、相場

          相場(さま)ファースト?

          俺の人生ポンドさんと一緒^ ^

          FXのトレーダー仲間から 「何で、ポンドを選んでるの?」 「怖くないの?」 「リスク高いじゃん」 って良く言われるんですが 単純に、 他の通貨を見るのが面倒。 1、2通貨で充分。 手法との相性が良い。 などあるんですが 今一度考えてみたら あのジェットコースターのような乱高下が 自分の人生のように見えてしまって、、 それから、一層ポンドさんが気になって 検証と研究が始まったわけです。 自分の人生も決して楽ではなかった。 もちろん良いこともたくさんあったし その分悪いこともあ

          俺の人生ポンドさんと一緒^ ^

          チャートはアートだ!

          チャートと向き合い3年経った。 元々ダンサーでもある僕が トレードとダンスには、ある共通点がある事を発見した。 ダンスは、 DJによって作られる音の空間にどれくらい合わせられるか。 一方 トレードは、 売買で作られるチャートの動きにどれくらい合わせられるか。 各々、戦う場は違えど、 音とチャートを捉えるスタンスが同じだと 気づけた時、 フッと肩の力が抜けました。 ダンスは自らのカラダを使って 時には酷使しながらカラダを鍛え自己表現します。 僕は、音楽が奏でる一瞬の