1人の美女を描いた、正反対な2人の画家【比べて楽しむ絵画】
歴代の画家たちが共通して描いてきたものがあります。
雄大な自然、幻想的な風景、神秘的な物語etc…そして、美しい女性
魅力的な女性がいれば、みんながこぞって彼女の姿を描きたがります。
1人の女性が複数の画家の作品に登場することはよくあることですが
同じ女性を描いても出来上がった作品は千差万別です。
下の2つの絵は、同一人物を描いています。
しかも同じくらいの時期に描かれたものです。
とても同一人物には見えませんね。
描かれた人物は、シュザンヌ・ヴァラドン。
数々の有名画家のモデルとなった美しい女性です。
彼女の大きな目、きりっとした眉、そして堂々とした体つきは、多くの画家を惹きつけました。
彼女自身も画家として活躍したことで有名です。
ヴァラドンの人生は波乱万丈でした。
洗濯女の私生児として生まれ、貧しい子ども時代を送ります。
生計を立てるため、学校を中退して11歳から働きはじめました。
そんな彼女は、10代にして画家の職業モデルとなります。
モデルというと何だか高尚な響きですが、当時は娼婦予備軍のような立場でした。
貧しい生活の中、ヴァラドンは18歳のときに子どもを産みます。
しかもその子どもは父親不明でした。
子どもを抱えたヴァラドンは、モデルとして生活費を稼ぎながら、自らも絵を描き始めます。
もちろん正規の美術教育は受けていません。
身近な画家の見よう見まねで始めた絵画でしたが、ヴァラドンには才能があったようです。
次第に展覧会にも出展するようになり、世間に認められていきました。
ちなみに、画業と同じくらい(いやそれ以上に)有名なのが、彼女の恋愛遍歴です。
10代でルノワールの愛人となり、20歳頃にロートレックと同棲、28歳で作曲家のエリック・サティと付き合い、その後資産家と結婚&離婚。
44歳のときには、21歳年下の息子の友人と再婚しています。
なかなかドラマチックですね。
もう一度先ほどの絵を見てみましょう。
いずれも22歳頃のヴァラドンを描いたものです。
作者はピエール・オーギュスト・ルノワール。
彼は生涯を通して女性を描き続けました。
彼曰く「裸の女性は波間から現れようとベッドにいようと、女神なのだ。」
(そして「もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない」とも言っています。)
ルノワールは、生涯で様々な絵画技法に取り組みましたが
どんな表現方法であっても、目指したのは女性を美しく描くことでした。
柔らかくぼんやりとしたタッチでも、輪郭がくっきりとしていても、キャンバスの中にはいつも理想の女性がいるのです。
ルノワールの信条は「楽しい絵しか描かない」ことです。
どんなときも幸福に満ちた作品を作り続けました。
もちろんルノワールは、ヴァラドンが抱える生活苦を知っていたでしょう。
でもそれはキャンバスには描かず、彼女の美しさだけを残したのです。
こちらを描いたのはアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック。
ロートレックは名門貴族の家に生まれ、恵まれた生活を送っていました。
しかし、15歳で足の成長が止まり、身長が152㎝くらいまでしか伸びませんでした。
体育会系の父親には見向きもされなくなり、母親は宗教に没頭する始末。
複雑な家庭環境の中、絵を描くことが彼の救いだったのです。
彼は両親の反対を押し切って、画家として生きることを決意します。
その活動拠点はモンマルトル、歓楽街の目と鼻の先でした。
ロートレックは、売春婦など様々ないかがわしい女性たちと交流します。
ロートレックは彼女たちをモデルにするだけでなく、友人として(ときには恋人として)個人的な関係を築きました。
彼自身も身体的特徴から偏見にさらされる立場であり、社会の底辺で暮らす売春婦たちの境遇を深く理解していたのでしょう。
ロートレックが描く女性は、理想とはほど遠い見た目です。
表面上の華やかさが剝ぎ取られ、内面に抱える苦悩や虚栄心、人格が露わになっています。
ロートレックが残した言葉は「人間は醜い。でも人生は美しい。」
多くの画家がヴァラドンの美しさに注目する中、ロートレックは彼女の別の顔を描きました。
それは、人生に疲れ果てながらも必死に生き延びようとする、1人の女性の姿です。
当時のヴァラドンは、貧しい生活の中、モデル、画家、そして母親の三足の草鞋を履いていました。その心労は計り知れません。
ロートレックはヴァラドンの苦悩に心から共感していたのでしょう。
美と幸福を描いたルノワール
しぶとく生きる醜い人間を描いたロートレック
そんな正反対の2人が描いた1人の美女は、
愛らしく美しい女神であると同時に
厳しい現実を這いつくばって生きる若者でもあります。
2人の絵の最大の違いは、彼女のどの部分に着目したかということでした。
対象を目の前にしたときに、それをどのように表現するかということは、対象をどのように見ているかということ、もっといえば、世界をどう見ているかということです。
作品を見ることは、画家の頭の中を垣間見ることでもあるのです。
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