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自画像から見えてくる、ムンクの人生と心の内

北欧を代表する画家ムンク。ムンクといえば『叫び』ですよね。

『叫び』1893年


中央の耳を塞ぐ男はムンク自身だとも言われていますが、実はムンクはたくさんの自画像を残しています。

そこには意味ありげなモチーフが描かれてたり、これ見よがしなタイトルが付いていたり…
このとき何があったんだろう、どんな気持ちでこれを描いたんだろう、この人はどんな人生を送ったんだろう、と思いを馳せてしまいます。

そんなムンクの自画像と、その裏にある人生の物語を追ってみましょう!

強烈な死の匂い

画家になりたてのムンクは、若く美しい自分の姿を残しています。

『自画像』1882年


それが、10数年経つとこのとおり。

『自画像』1895年


暗闇に浮かぶ白い顔はホラー映画のよう。
中でも不気味なのは、腕が骨になっていることです。この骨が何とも不吉で、否が応でも死を意識させます。

このときムンクは30代前半でしたが、早くも死の恐怖に苛まれていました。肉親を次々に亡くしていたからです。

まず幼いときに母が結核で亡くなり、その約10年後、慕っていた姉も結核のため15歳で死去。さらにまた約10年後には父が死亡。そして、この自画像が描かれた年には弟までも亡くなったのです。
これでムンクは4人もの肉親を失ったことになります。
そのうえ、残された2人の妹の内、1人は精神病院に入院していました。

画家としても大変な時期でした。ようやく個展を開いたものの、作品が前衛的すぎたのか批判が殺到し、1週間で打ち切りになってしまいます。
刺激の強いムンクの作品は世間に理解されず、ほとんど売れていませんでした。

こんな状況だったら誰だってしんどいですよね。ムンクは生きながら死んでいるような気持ちだったのかもしれません。
あのような絵を描きたくなるのも分かる気がします。

精神の崩壊

苦悩するムンクにさらにストレスが加わります。恋人との関係です。

以前から人妻と恋愛するなど奔放だったムンク。様々なトラブルに巻き込まれながらも、多くの女性と浮き名を流してきました。

そんなムンクは、30代半ばでトゥラという女性と交際を始めます。
そのまま結婚してもおかしくないような年でしたが、ムンクにその気はありませんでした。一方トゥラはムンクとの結婚を強く望むようになります。

こうなると関係を続けるのは難しいですよね。
あるとき大喧嘩となった2人。喧嘩が激しすぎて最終的には銃が暴発し、ムンクは中指の一部を失いました。

それからムンクは次第に精神を壊していきます。被害妄想や幻覚に悩まされ、それに伴い暴力やアルコールへの依存など問題行動を繰り返すようになりました。

そんな折に描かれたのがこちらの自画像です。

『地獄の自画像』1903年


「今自分は地獄のように辛い状況にいる」という、分かりやすい意思表示です。
地獄という言葉が印象強いですが、人物描写も鬼気迫るものがあります。(特に目が人間のそれではありません。)

ムンクの目には自身がこのように映っていたのか、それとも狂気の芸術家を演出したのかは分かりませんが、精神的に相当きているのは伝わってきます。

そして回復へ

数年後、ムンクはついに限界に達し、精神病院に入院となります。

入院後は療養の甲斐あって、少しずつ健康を取り戻していきました。

『病院での自画像』1909年


上は入院中のムンクの自画像です。さっきの『地獄の自画像』と全然違いますよね。
疲れは隠しきれないものの、回復の兆しが見えます。色も明るくなり、ムンク自身も人間らしい姿になりました。

この頃のムンクは画家としても少しずつ世間に認められるようになり、絵もかなり売れ始めていました。少なくとも地獄からは脱したといえるでしょう。

ムンクは入院から約8ヶ月で退院し、2度と精神病院に入ることはありませんでした。

老い、そして死

退院後は大きな仕事もこなし、プライベートでも比較的穏やかに過ごしていたムンク。
50代前半にはノルウェーの田舎に引っ込み、それからはほとんど隠居のような生活を送りました。

晩年のムンクは、ときにスペイン風邪を引いたり、ときに眼の病気になったり、ときにナチスに排除されそうになったりと、様々な危機に見舞われます。
そんな中で一貫して取り組んだのが、老いゆく自分を描くことでした。

『スペイン風邪を引いた自画像』1919年
ムンクが罹ったのはスペイン風邪ではなかったという説もあります。ですが、赤と緑の顔は禍々しく、とにかく体調が悪いことは伝わってきます。


『夜の彷徨者』1923〜24年
亡霊のようでもあり、深夜徘徊する老人のようでもあり、表情がよく見えないのがかえって印象に残ります。


『硝子のベランダの自画像』1930〜33年
制作時、ムンクは右目の血管の破裂により視力を失いかけていました。結局視力は回復するのですが、背景の寒々しい冬景色はムンク自身の心境を表しているようです。


いずれも老いゆく自身の姿を容赦なく描き出しています。かっこつけたり、自分をよく見せようとしている感じは全然ありません。

等身大の自分を見つめ続けたムンクは、自身に迫る死の気配も敏感に察したようです。
ムンクは80歳で気管支炎で亡くなりましたが、その数年前には、人生の終わりを予感させる作品を残しています。

『自画像、時計とベッドの間』1940〜43年


モチーフがいかにも意味ありげですよね。
老人と時計とベッドの組み合わせは死を連想させます。開いた扉は死後の世界に繋がっているのでしょうか。

死を強く意識した作品ですが、そこには過度な不安も高揚もありません。
(先ほどの骸骨のような絵とは大違いです。)

ムンク自身は何の変哲もない痩せこけた老人として描かれていますが、正面を見据えてまっすぐ立つことで尊厳が保たれています。
ちなみに老人の背後にある絵の数々はムンクが手掛けたものです。明るい光に照らされているのは、これまでの功績への自信からでしょう。

人生の集大成にふさわしい作品です。

人生そのものを描く

魅力的な自画像を描いた画家は、ムンクの他にもたくさんいます。(レンブラントとかゴッホとかシーレとか…。)
その多くは、自身の顔をクローズアップして、顔付きや佇まいから内面を滲ませるものです。

一方ムンクの場合、描きたい心情やテーマが先にあり、それに合わせて顔の描き方までも自由に変えている感じがします。
ときに色を変え背景を変え、象徴的なモチーフを置くことで、自身の境遇や心境を分かりやすく(そして少しオーバーに)示してくれます。
そんなムンクの思惑にまんまと乗せられ、この記事を書いた次第です。

ムンクの自画像は、自身の姿かたちにとどまらず、人生そのものを表しているかのようです。


ゴッホも自画像をたくさん描いた画家ですが、画家の内面が表れるのは、自画像だけではありません。


同じく自画像をたくさん描いたエゴン・シーレ。その鬱々とした自画像を見ていると、なぜか気持ちが楽になってきます。


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