(HIPHOP X 宇宙) 智慧の輪 - THA BLUE HERB
今回はヒップホップと宇宙という壮大なテーマで書いていこうと思います。
ヒップホップは楽器が弾けなくても始められることから「持たざるもの」の文化と言われ、そのはじめやすさからもいわゆる「不良」が始める音楽として有名です。
また黒人から生まれ文化であるため、貧困層から成り上がったラッパーはその成功を金、女、ブリンブリンといった物質的なものを所有し誇示するという側面も持ちます。
詳しくは過去の記事で ↓↓↓
そういった経緯から世間一般的には悪いイメージを持たれやすHIPHOPですが、知られずらい魅力の一つとして「トピックと表現の幅の広さ」があります。
「トピックと表現の幅の広さ」
まずHIPHOPは韻を踏みながら歌う(=ライムする)ラップという表現方法が用いられます。
そしてこのラップがその他の音楽ジャンルと比べて秀でてる点として「言葉数」があります。
もちろん曲により偏りはありますが、一般的なポップミュージックの一曲分の歌詞の言葉数と比べたら少なくとも3-5倍くらいは歌詞量があるんじゃないかなと思います。
この言葉数の多さによりヒップホップはポップスでメインとして取り上げられる恋愛や夢というトピックに加え、
・自分の状況や自伝的なサクセスストーリー
・ストーリーテリング
・社会問題
など多くのトピックをより詳細に語ることに長けています。
特に最近ではラップの形も進化し、ラップとポエトリーリーディングの境目がなくなってきていて、曲によっては歌より小説に近いんじゃないかというほどの曲も数多くあります。
その中でも今回は「宇宙」という壮大なトピックを扱った曲をご紹介します。
智慧の輪 - THA BLUE HERB
ご紹介したい曲はTha Blue Herbの「智慧の輪」という2004年にリリースされた曲です。
楽曲はもちろんですが、宇宙的な映像もこのMVの魅力の一つで、ラッパーIll-bosstinoの「生命の誕生から成長」「ゼロの概念」「宇宙や自然の神秘」など哲学的なリリックと非常にマッチしています。
このMVがなぜか最近までYoutubeから消えていて、この曲を紹介したくてもできなかったのですが、昨日公式から再UPされていたので、ここぞとばかりにおすすめさせていただきます。笑
僕自身ラップやHIPHOPに対して冒頭のような偏見まみれだった20歳の時にこの曲に出会い、一瞬でその既成概念を破壊されました。
哲学的なトピックと表現の深さ、そして聞いたことのないビートに日本語の曲ながら完全にカルチャーショックを受けました。
そしてこの曲こそが僕がヒップホップを聴き始めるきっかけとなった曲であり、10年たった今でも相変わらず愛聴しています。
下記リリックスになります。
さあリラックスしてイメージを走らそう 不可能も可能 辺り真っ暗の
母体というコスモスの果ての真裏の この世に産まれ落ちた後
へその緒を断ち 祝福の中の まぶしさと共に何を見るのだろう
生まれ出ずる者よ おれ達は待とう 君の世界はどんどん開けていくだろう
ゆりかごで育ち 二本足で立ち 隣近所 砂場 小中高となり
かかわり合う家族 親戚 友達 君の世界はどんどん広がっていく
札幌 東京 海の向こう ロンドン NY ヒマラヤ ありとあらゆる雲
雷とか虹 オーロラ 空 ほら たどりつく源は未知のドア
不思議そのものを支配してるのは 目に映らないモノ達の方だ
実は世界は狭いことが見えるだろうか そこから奥は透明な想像を伴う
火星の夕焼け サターンのリングやアンドロメダ 銀河から銀河
重なるエピソード ON THE RUN 999 君は負けを知らない 果てしがない
無重力 宇宙 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
集中力 夢中 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
いつの日か同じように気づくだろう いや気づくと信じておれ達は待とう
公園の雑草の中の人生を送る 名も無きアリ一匹の姿を
彼は彼の世界を何となく走る 俺は彼を見下ろし彼の全てを知る
いわば神が俺の中に ひらめきが宿るから神秘は分からない
その時気づいた 誰か不確かな何かが 俺を同じくアリ一匹の大きさに見る
ブラフマンが後ろの宇宙から見てた アリもアリで小さな目の前を見てた
空と足元 無限と心 限りなく大きなモノは限りなく小さい
振り返ると今日は一瞬の出来事 一生も多分一瞬の出来事
無重力 宇宙 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
集中力 夢中 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
振り返ると裏返り 繰り返す 繰り返すのを 振り返ると 裏返る
フル回転させるIQ 目指すホライズン くつがえす 全てを知る退屈
海底2万マイル 絶対無 丸腰でトライするエンタープライズ
バイブル 破壊と再生のサイクル くたばった脳細胞がさび付く
彼らはすぐにノート上に生き返る ライムを限界まで愛する
何も欲しがらない自分を欲しがるのではなく 欲しいものがない境地に自由はある
分かってはいるが執着は笑う わずらわされ修羅の道を渡る
風の源はどこか?誰も聞かない 今日も気になるモノ全てを知りたがり
飽き足らない平穏な明日はない 終わっては始まり 始まりは終わらない
星は光る 数限りなく 必然 死者と赤ん坊がすれ違う
死者は言う「どうか良い人生を」赤ん坊が答える「どうか良い来世を」
つながる 何かの縁の仕業 何かとは何か ぼんやりと明らか
とにかく明日はまだある ありがたい おかげさまで戸惑い 泣き 笑い
惑星をさまよい どこまで行っても 走っても 音にまたがり飛ばしても
果てはリセット 自然とゼロが司令塔 足しても変わらず 掛けてもゼロ
埋め尽くす万物の始まりは 前の1周の終わりとの交わりだ
何も起こらない中で起こる何かしら 全ては繰り返すことでまちがいない
無重力 宇宙 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
集中力 夢中 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
哲学的リリック「空、輪廻転生、宇宙」
ものすごい言葉数、且つ哲学的なリリックですよね。
このリリックにはいわゆるラッパーの「YO!」もなければ「俺が、俺こそが」というエゴ的要素もなく、「智慧の輪」という曲名だけにただひたすらに真理に近づいていくような印象を受けます。
フックにある
無重力 宇宙 浮かぶゼロ 足しても変わらず 掛けてもゼロ
というゼロに対するリリックも、数字の0は存在自体はしているが足しても変わらないという
「あるけどない」「ないけどある」
といった仏教の「空」の概念に近い存在であると表現し、
惑星をさまよい どこまで行っても 走っても 音にまたがり飛ばしても
果てはリセット 自然とゼロが司令塔 足しても変わらず 掛けてもゼロ
埋め尽くす万物の始まりは 前の1周の終わりとの交わりだ
何も起こらない中で起こる何かしら 全ては繰り返すことでまちがいない
とあるように、この果てしない宇宙の中で
「なにもない(=空)ところから始まり、いずれそれは終わる」という諸行無常である事象が終わる毎に、またそれは始まりへと繋がり、それが繰り替えされ、最後にはリセット、即ちまた0に戻るという壮大な宇宙観を表しています。
↑ [The Five Signs of Reincarnation - Josephin Wall] ↑
そんな果てしない宇宙の中、人間が繰り返すとされる輪廻転生を
必然 死者と赤ん坊がすれ違う
死者は言う「どうか良い人生を」赤ん坊が答える「どうか良い来世を」
つながる 何かの縁の仕業 何かとは何か ぼんやりと明らか
終わっては始まり 始まりは終わらない
の言葉の通り生まれは死に、また生まれ変わり、その中で繋がっていく縁の不思議さや神秘さを「ぼんやりと明らか」と、生まれ、生き、死ぬ意味を繰り返しながら悟っていくような表現が使われています。
そしてこれだけ壮大な宇宙や0の神秘を語りつつ、しっかりその中で生きるちっぽけな人間についても書いています。
空と足元 無限と心 限りなく大きなモノは限りなく小さい
「あるようでない、ないようである空」と「自己の存在を表す足元」、「形のない心」、「重力や大きさに捉われない宇宙」の中、そのコスモス(=宇宙)の果ての真裏にある女性の子宮から生まれる人間を下記のように表し、
母体というコスモスの果ての真裏の この世に産まれ落ちた後
へその緒を断ち 祝福の中の まぶしさと共に何を見るのだろう
生まれ出ずる者よ おれ達は待とう 君の世界はどんどん開けていくだろう
ゆりかごで育ち 二本足で立ち 隣近所 砂場 小中高となり
かかわり合う家族 親戚 友達 君の世界はどんどん広がっていく
札幌 東京 海の向こう ロンドン NY ヒマラヤ ありとあらゆる雲
雷とか虹 オーロラ 空 ほら たどりつく源は未知のドア
不思議そのものを支配してるのは 目に映らないモノ達の方だ
成長と共に「もっと知りたい」という人間の純粋な知的好奇心を
風の源はどこか?誰も聞かない 今日も気になるモノ全てを知りたがり
とにかく明日はまだある ありがたい おかげさまで戸惑い 泣き 笑い
と、そんな終わりのない好奇心を持ち全てを知ることできなくても、まだ生きて経験して知っていけることに対する感謝という領域までリリックで表しています。
改めてリリックを読んでいくと、この哲学的なリリックは仏教要素を多く含んでいて、だからこそ自分はすごく惹かれていくんだなと思いました。
ということで仏教についても知りたい方は、ぜひ下記の記事を読んでいただけたらなと思います^^
長くなりましたが最後に、僕のこの曲どころかヒップホップの曲のリリックの中でもおそらく一番好きなリリックを紹介してこの記事を締めようと思います。
なにも欲しがらない自分を欲しがるのではなく
欲しいものがない境地に自由はある
分かってはいるが執着は笑う わずらわされ修羅の道を渡る
僕は一時期「欲」こそが人類の不幸の源であり、「欲を無くそう」と仏教について調べたり瞑想に励んでいる時期がありました。
しかし「欲を無くそう、無くしたい」と思っていることすらも一つの「欲」であり、その「欲を無くしたい」という「欲」すら超えた境地こそがたどり着くべき場所であるという意味だと思います。
「お金持ちになりたい!」と願うと「お金」ではなく、「お金が欲しい自分」を引き寄せてしまう引き寄せの法則のからくりに似ていますね。笑
「いい人」になろうと善に走り過ぎると偽善や余計なお世話になってしまうようなジレンマをどう超えていくか。
結局はヨガでいうところの「自我」を越え「大我」へたどり着けということなのかな〜と思います。
そして欲の構造や真理を理解したとしても、結局人間の体を持つ限り続く欲や執着、不幸をどのように捉え、受け入れ、行動していくか。
悟りを得た後も修行や人生は終わらず、むしろそれを如何に保ち、周りに伝えていくかを模索する仏陀のようなリリックだなと感じます。
そんな一歩先の大人な世界を見せてくれるTha Blue Herbのリリックには本当に日々救われています。
ちょっと思入れがありすぎて長くなりましたが今日はこんな感じで^^
また気ままに書いていこうと思います。