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夏の日のカミカゼエ

私はそこに居合わせた唯一のアジア人でした。出身の違いは多少あれども、その多くはドイツで育った人たちでしょう。下は1歳から上は16歳くらいまでの子供たちが10人ほど、大人たちはそれ以上、おじいちゃんおばあちゃんと呼べる年齢の人たちまで、少なく見積もったとしても30人くらいの人たちがそこにはいました。

ことの次第の始まりは、サマーハウスへの招待でした。

友人の友人がベルリンの郊外に小さなサマーハウスを持っており、年に一度の大がかりなサマーパーティーを開くというので君も来ないか、というお誘いをいただき、ウキウキしながら参加しました。

街から電車で1時間と少し、降りた駅は車両4つ分程度の短い無人駅でした。駅まで迎えに来てくれた友人の運転する車に揺られてさらに数十分、広大な畑と森が延々と続くような景色の中から突如現れたその家は、お世辞にもきれいに整った、とは言えないような、おんぼろ屋敷でありました。が、中に足を踏み入れてみれば、全面がきれいな木目の床や簡素な調度品のその親しみやすさに、小さい頃お盆に帰った祖父母の家に再び遊びに来たような、そんな安らかな気持ちになりました。

荷物を置いて庭に出ると、すでに到着していたいくつかの家族連れがバーベキューをしています。知らない顔ながら、この庭にいる限り、おそらく友人の友人かまたはその友人だろう人たちに、ひとまず挨拶を交わして手を振ります。

庭の脇にある大きな長テーブル(というよりは無骨な木製の作業台)には、各々が持ち寄った手料理(基本的にはサラダかケーキ)が並べられ、ひびが入って欠けたお皿や、長さもかたちも不揃いなフォークやナイフが無造作に山積みになっています。

まだ小さな赤ちゃんが、バーベキューを突っつくのに夢中なお父さんに抱きかかえられながらこちらをじっと見ている脇を、小学生くらいの子供たちが、モダンな水鉄砲を両手に抱えて奇声をあげながら走り抜けていきます。中学生くらいの女の子のグループは外には出てこず部屋の隅でお互いのマニキュアの色を比べ合って盛り上がり、部屋の反対側ではご年配の方々が市販のクッキー缶に詰めなおした自家製クッキーを勧め合いながらお茶をすすっています。

普段、日常的に手入れをされているわけではないであろう庭の草木は、うっそうとしたままこの季節を待ちわびて、いままさに解き放たれたかのようにして生命力のはじけるままに上へ横へと真緑に生い茂っています。

とても暑い一日でした。まだ6月だと言うのに35度を超えるような完璧な真夏日でした。


たまたま手元にあったケーキを切り分けて、次々と皿に載せてはフォークを添えて、隣の人に手渡していた私は、ふと一人の長い赤い髪の毛の女の子と目が合います。歳は12くらいでしょうか。初めて見る顔でしたが、アジア人が珍しいのか、チラチラとこちらを気にしている様子です。

このくらいの年の子は恥ずかしがって話しかけてはこないものの、こちらがひと声かければ、実は日本のアニメが大好きで、、なんていう話の流れは、最近では本当によくあることとなりました。それほどまでに日本のアニメは世界中の子供たちを魅了し続けています。

さて、ではなんて声をかけたらいいものか、やはりここはひとまずジブリかな、と、無駄な思案をしていると、
さっきまでせっせとキッチンを切り盛りし、暇そうな人を見つけてはすべき役割を的確に伝えて、このパーティー全体を統率していた逞しい女性が、私のすぐ隣で息を大きく吸った後に叫びます。

みなさーん、これから湖へ向かいます!

どうやらこれが本日のメインイベントだったらしく、水着とタオルと着替えをしっかり用意してきただけでなく、実は服の下はすでに水着です、なんていう強者もいます。深い森の中を数分歩いたその先に、湖はありました。ただ湖と言っても、手前岸はコンクリートで整備され、プールサイドになっています。街から遠く離れた静かな湖畔の森の中、私たちの他には人影もなく、その日は湖ひとつ貸し切りでした。

子供たちは泳ぐと言うより、はしゃいで叫んで水しぶきをあげることに夢中な様子です。

大人たちはプールサイドでビールを飲んで談笑したり、木陰で本を読んでいる人もいます。

私はプールサイドに寝ころんで、コンクリートのざらつきとその生暖かさを感じています。

こういうところにいるとふと、自分がどこから来て、いったいどこにいるんだったか忘れてしまうような気になります。

なんの悪意もなく、ただただ平和な時間がそこにはあって、森の木々が香る中、子供から大人まで皆が湖のほとりで太陽の季節を楽しんでいるようです。

深い森の奥にある小さな湖の上にぽっかり浮かんだ青い空。

プールサイドの脇でかたまって騒いでいた子供たちが、次々と走って湖に飛び込んでいきます。

ふとあの赤い髪の女の子と目が合いました。どうやらこれから湖へ飛び込むようでした。

その目が、私を見ろ、見ていてくれ、と言っています。

不安と恐怖と期待と好奇心がごちゃ混ぜになったようなその表情とは裏腹に、彼女の赤い髪とその細い体は夏の日の太陽に照らされて白く明るく輝いて見えます。

私はその目に応えるように、その子を見つめ返します。

瞬間、女の子は口を結んで湖をにらみつけ、一気に走り出しました。

そして、プールサイドで大きくジャンプ、それと同時に声を張り上げ叫びます。



カミカゼェー !



え、



不意を突かれた私は、何が起こったのかわからないまま、頭の中が真っ白になりました。

大きな爆発音とともに無数の水しぶきが私の首元まで飛んできました。



え、



水面に浮かび上がったその女の子の表情にもう不安の影はありません。

ひとつ大事を成し遂げたような晴れやかな顔をして、彼女は水面で友人たちとじゃれ合って、もうこちらを振り向くこともありません。



私は一人、あたりをそっと見回します。



大人たちはプールサイドでビールを飲んで談笑したり、木陰で寝入ってしまった人もいます。
ただただ平和な時間が引き続きあって、森の木々が香る中、子供から大人まで皆が太陽の季節を楽しんでいるようです。

日本から遠く離れた静かな湖畔の森の中、
これっぽっちの悪意もなく響き渡ったその声は、清々しいほどの空の青さに吸い込まれていきました。





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