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写真家Edward Westonと「Group f/64」

その精密な即物的な造形美は哲学だと言われる。            エドワード・ウェストン(Edward Weston,1886-1958 US)
アメリカの写真家、「Group f/64」(*ストレートフォトグラフィ)の創設メンバー(1932)だ。
多くの作品は、8×10inch(8 by 10)の大判カメラ(木製)で撮影されている。
ストレートフォトグラフィ(Straight Photography) の騎手と言えるだろう。

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(c)Edward Weston

略歴-Edward Weston
1886年、ハイランド・パーク(イリノイ州)で生まれる。
1902年、16歳の誕生日にカメラ(Kodak Bull's Eye #2)を得て、シカゴの公園や伯母の農場を撮影した。

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                                  Fig.Kodak Bull's Eye 
1903年、シカゴ美術館( Art Institute of Chicago )で作品が展示される、それは、なんと10代の少年として異例な事だった。
1906年、カリフォルニア州に移り、肖像写真家(ピクトリアリスム)としての道を歩もうとした。が、、
1922年、*ストレートフォトグラフィに賛同して*ピクトリアリスムを放棄することになる。
1927年- 以降は、ヌード、静物、風景を多様な素材を被写体とした。
1932年、「Group f/64」(*ストレートフォトグラフィ)を結成した。アルフレッド・スティーグリッツの影響を強く受けてる、メンバーは、ポール・ストランド、アンセル・アダムス…
1937年、グッゲンハイム奨学金をウェストンは写真家として初めて獲得した。(この事は、写真がアートの1つのジャンルになったという事だ)
1947年、カラー写真(カラーフィルムのごく初期だ)をウィラード・ファン・ダイクと共作している。
そして、晩年の写真集は、子息たちで現像された。(亡くなる10年以上前から、パーキンソン病を患っていた。)
カーメルの自宅(カリフォルニア州)で、1958年1月1日に病で亡くなる。

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                            Fig.Edward Weston

(註)
*ピクトリアリスム(pictorialism):写真技術の科学者と写真技師は、同様のテリトリーだったが、芸術としての写真を目指す方向性を目指した。この視点は、学際だが、ただ、本来、ダゲレオタイプの時代からも、写真家は画家であった。(肖像画家のカメラ・オブ・スクラの視点)また、その「リンクト・リング」(Linked Ring-London)グループが、著名だ。

*ストレートフォトグラフィ(Straight Photography) :写真を絵画とは、別メディアとして、写真の特性・機能を重視して、写真に新しい表現形式を確立した。主には、合衆国の戦前の傾向かも知れない。「Group f/64」が著名だ。

*Group f/64:そのf/64とは大判カメラにおける最小の絞り(アイリス)の値のことだ。
写真や映画のカメラの露光は、絞り値(f値-アイリス)とシャッタースピードで決まる。)
最小の絞り(f64)という事は、最大の被写界深度を保つ事で、ごく前景も背景も均一にピントをを合わせる事である。(シャープに撮る)
この事は、精密な即物的な造形美が得られる。そして、この表象方法は、ストレートフォトグラフィの哲学だった。

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                           Fig.8×10inch(8by10)の大判カメラ

次回は、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)につづきます。そして、ジュージア・オキーフへの流れの予定です。末筆になりますが、このアメリカでは、COVID-19による多くの死亡者のご冥福と、その惨状からのグローバルに早期の終息を願っております。

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