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「アートと言語」を考えるテリー・アトキンソン

テリー・アトキンソン(Terry Atkinson,1939- UK)
英国の「アートと言語」のアーティストだ。
その時代の今で言う、コンセプターだろう。
「Art&Language」英国と米国の他のアーティストへの影響力が広く認められているグループを設立した。
テリー・アトキンソンは、グループ「Fine-Artz」(1963)の創設メンバー、John Bowstead、Roger Jeffs、Bernard Jenningsと共に、そして、グループ「Art&Language」(1968–74)のDavid Bainbridge、Michael Baldwin、Harold Hurrellと共に、その時代の西洋美術に影響力のある集団の2つを設立・属していた。それは、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の1つの創成期かも知れない・・・

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Fig.Map of an Area of Dimensions 12" x 12" Indicating 2,304 1/4" Squares-1967

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Fig.Map of a Thirty-Six Square Mile Surface Area of the Pacific Ocean West of Oahu-1967

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(c)Terry Atkinson


1939年、サーンスコー生まれ(ヨークシャーのバーンズリー)
現在は、アートワークに協力してきた妻のアーティスト、スー・アトキンソンとイギリスのリーミントン・スパに居住している。
1967年、コベントリー美術学校で美術を教え始め、時にはマイケル・ボールドウィンと共同で概念的な作品を制作した。
1968年、コベントリー美術学校で教鞭をとったハロルド・ハレルとデビッド・ベインブリッジと一緒に、英国や米国の他のアーティストへの影響力が広く認められているグループであるArt&Languageを設立する。
1973年、コベントリー美術学校での教育を辞職し、その翌年の1974年にはアート&ランゲージを去った。
1984年、ヴェネツィアビエンナーレなどでは、自身の名前(Terry Atkinson)で展示している。
1985年、ターナー賞 にノミネートされ、Stone Touchers I、などの一連の絵画を展示した。

1980年代の作品は、「コンセプチュア・アート」 (Conceptual art) は、北アイルランドに於ける階級のアイデンティティ(identity/同一性)等の概念的なものだった。
その流れは、
1970年代初頭にブリティッシュアート&言語グループと別れて、テリー・アトキンソンは1970年代半ばまでに、厳格なコンセプチュアリズムから離れ、多くの「歴史絵画」から、労働者階級(英国の階級制度の1つ)の遺産をリサーチしている。
1974-81年頃、第一次世界大戦シリーズは、大戦中に撮影された部隊の写真を戦略的に「おかしな」描画スタイルと風刺的なキャプションを使用して再解釈している。
1984-5年までに、このようなイデオロギーの底流の探査は家族の写真に影響を与えるようになった。Stone Touchers I(1984-5)

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テリー・アトキンソンは詩でも問いかけている(部分引用)
「神は人だと思いますか?
もしそうなら、彼は彼ですか?
もしそうなら、彼は黒人ですか、それとも白人ですか…
彼は南アフリカ人ですか、それともアルゼンチン人ですか…?
英国の衰退した帝国主義は最近フォークランド戦争によって再燃し、
南アフリカのアパルトヘイトは差し迫った問題です。」Terry Atkinson

このテリー・アトキンソンの作品は、テートギャラリーを含む、実に多くのミュージアムで展示・収蔵されている。
そして、アトキンソンは、リーズ大学で美術を教鞭をとっていた。

Terry Atkinson about Galleria Six's booth at Arte Fiera Bologna 2020

(追記)次回以降、テリー・アトキンソンの関わる、アート・アンド・ランゲージ(Art & Language:イギリスのコンセプチュアル・アーティストたちのグループ)とは、なんだったのか? そして、もう1人の主力メンバーであるジョセフ・コスース「芸術といえばそれが芸術なのだ」だ、このArt & Language-グルーブの衰退の流れを簡潔にまとめたいと存じております。個性の強い人たちが集まると、どうなるか、それが広義において、功をなすと言うこともある。


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