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アンソニー・ゴイコレアの方法論とダーガー・イズム

アンソニー・ゴイコレア(Anthony Goicolea)の方法論とダーガー・イズム

アンソニー・ゴイコレア(Anthony Goicolea)は、ダーガー・イズムと言われる、ダーガーのコンテンツを基本として、多様な解釈論を展開した現代アートの作家の中で、注目の作家の1人だ。

アンソニー・ゴイコレア(Anthony Goicolea,1971- /アメリカのアーティスト/写真・ドローイング・映像)
キューバ系アメリカ人作家、そして、LGBTや、思春期の子供のセスチャリティなどを扱う。

その経歴とアートワークは、ジョージア大学(University of Georgia )で絵画、写真、彫刻を学んで、BA (1992) and BFA (1994)を所得。その後、プラット・インスティテュート・オブ・アート(Pratt Institute)でMFA(1996)に所得している。

作品の中には、私立学校の制服を着た複数の男の子が登場する、その少年たちのねじれのような動きは、ある時は、ゴイコレア自身が、コスチューム、かつら、メイクアップ、Adobe Photoshop(フォトレタッチソフト)で、写真の全ての少年を描いて(フォトコラージュ)いるのだ。また、シンディ・シャーマン(写真家・現代アート)と、ジョイントした展示会も開催している。

Anthony Goicolea - Kidnap (without credits) 2004

Ash Wednesday - 灰の水曜日:Anthony Goicoleaのベースにある作品は、Video作品「KIDNAP」だ。ある時、誰かに誘拐された少年達が、黙々と薪を運ぶという労働を繰り返す。

画面は固定ショットで、少年達は、次々に、画面の外から現れては薪を置き、また画面の外に出て行く。単調な繰り返しだ。しかし、レインコートの集団が現れては消えていくのを追っているうちに、観る側は、徐々に不思議な時間の中に捕らわれていくのだ。
やがて、夜になり、薪に火がつけられる。
その回りを取り囲む少年達。翌朝、たき火の回りに寝ていた少年達が置き上がる・・
「長い間誘拐されたふりをして…ある日、目が覚めたら、ベッドにいなかった。家にも居ない.. 歩きはじめても、どちらへ行くべきかわからない・・歩数を数えて、帰り道を見つけられるようにしたが、歩数は増え、どこで数え始めたのか、そして、自分の以前の人生はどのようなものだったのか思い出せない・・」そういった、詩的な字幕が挿入され、そして、ビデオは終わる・・

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by Anthony Goicolea

アンソニー・ゴイコレアの作品の世界は、幻想的だ。
基本的には、深い林の中で少年が連れ去られたかの場面のように、物語性の強いコンテンツだ。
それらの作品が持つリアルだが、幻想的な雰囲気を併せ持つ、悪夢のような手触りが、ダーガーの世界を強く喚起させるのだ。
そこには、直接的には、ダーガーを引用していなくても、ダーガーの世界観が存在する。

そのコンテンツは、物語性が強く、引き込まれるが、その物語には始めも終わりもなく、観客は宙ぶらりんの状態に置かれる。
ビデオでも、写真でも、それらは、とてもリアルであるにもかかわらず、微妙に現実とはずれた感覚があるために、宙ぶらりんの不安感はますます強まるだろう・・・
そうして、観客は、アンソニー・ゴイコレアの作品と付き合っているうちに、いつしか現実とは異なる迷宮の世界に入っている自分を発見するだろう。
その感覚は、ヘンリー・ダーガーの世界の感覚なのだ。

そこにあるものは、アンソニー・ゴイコレアの世界感が、ヘンリー・ダーガーの世界と共振し、そこから、新たな世界を構築されている、そのあたりがポイントかも知れない。

周囲には、多様な視点もあるだろう・・・
「このアーティストが休みなく、人間の弱さ、戸惑い、不快感を探求していることです。目的のために、彼は、何度も青年期の性や絶え間のない自己探求の旅に出ます。また、犠牲者とその犠牲を与える人間との間の終わりのない戦いについてのテーマにも戻ります。そのようなことは、残された人生の闘いでのメタファーを永遠なものにします。」-Jennifer Dalton(1967- /アメリカの現代アートティスト・批評家)

作品の意味付けに必要な要素なので、加えると、彼自身もLGBTで、パートナーと暮らしている。

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Anthony Goicolea

アンソニー・ゴイコレアの作品は、彼のウェブサイトでご覧になれます。

#学術 #ダーガー・イズム #現代アート

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