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女性写真家キャリー・メイ・ウィームズと人生感のパラダイムシフト

アーティスト:キャリー・メイ・ウィームズと、その視点のパラダイムシフト

キャリー・メイ・ウィームズ(Carrie Mae Weems, 1953- /アメリカのアーティスト・写真家、そして、教育者)
キャリー・メイ・ウィームズのメディアは、写真、映画、ヴィデオであり、そのコンテンツは、人種差別、性差別、政治問題、そして、個人的アイデンティティなど、アフリカ系アメリカ人が直面している深刻な問題が焦点だ。

「政治と同様に、芸術における私の主な関心事は、国内のアフリカ系アメリカ人の地位と場所にある」-Carrie Mae Weems

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 by Carrie Mae Weems

アートワークの概要- Carrie Mae Weems
1953年、ポートランド(オレゴン州)で生まれる。その後、1965年頃には、ストリートダンスを開始している。
1969年、16歳で唯一の子供、娘(フェイス C.ウィームズ)を出産する。
1970年、サンフランシコでモダン・ダンスを学び、ダンサーとしてなる。それは、異文化をつなぐ手段としてダンスを多文化表現の手段として使っている。
1972年-、組合主催者として労働運動に政治的に積極的に活動している。
1973年、その彼女が誕生日にカメラを受け取る。このカメラは芸術的な視点を育む。
そして、28歳で大学を人学する。
1981年、カリフォルニア芸術大学(バレンシア)でBA(文学学士)、その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校でMFA(美術修士)
Shawn Walker, Beuford Smithなどのアフリカ系アメリカ人の写真家による影響で、写真を追求するようになっていった。
それは、周辺の人々に支えられて、その道を自ら、切り開いている

(註)その余裕があるならば、(私的には)教育機関で教育を受ける方が、確かに、自己流(この視点も大切)で学ぶより、速やかであるし、修正も早期に効くだろう。
そこで、例えば、学際的(知の共有)な視点も芽生える訳だ。どこにも、「文系、理系の区別」と言う閾はないからだ。ただ、日本の教育期間には、どうだろうか(?)

そして、キャリー・メイ・ウィームズの当初の人種差別問題から、1980年代後半-90年代の時点で語ったことは・・・

それは、人気のあるメディア(放送・誌面等)から黒人コミュニティ、特に黒人女性の画像を除外することについて不信と懸念を表明しており、これらの除外された主題を、彼女のアートワークを通じて、その経験に基づいて表すことを目指していた。

そこから、その視点は広がり・・

「伝統の役割、家族の性質、一夫一婦制、一夫多妻制、男性と女性の関係、女性とその子供たちの関係、女性と他の女性の関係についてのアイデアを質問するための手段として、自分で作成した画像を使用しています。それは、重大な問題と可能な解決策を強調します。」- Carrie Mae Weems
ストーリーテリングの視点に変わっていった。

そして、「初期の作品で興味深いことは、私が自伝のアイデアに携わっていても、そこにあるのは、他のアイデア(社会問題)がより重要であったことです。」-Carrie Mae Weems
それは、物語性の役割、ユーモアの社会的レベル、ドキュメンタリーの脱構築、歴史の構築、テキストの使用、ストーリーテリング、パフォーマンスなどであった。

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by Carrie Mae Weems

そして、その記憶の役割はすべて、客観的な自伝よりも、私の考えの中心でもあった、と言う。

繰り返すが、現在形のキャリー・メイ・ウィームズは、「黒人の経験は実際には主要なポイントではなく、むしろ複雑で、次元的な事で、人間的な経験と*社会的包摂(ほうせつ)が…本当のポイントである」と述べているのだ。

(註)*社会的包摂(ほうせつ):subsumption/社会の諸関係にとって外生的な存在を取り込むプロセス

いずれにしても、人生に良き友だちとの、出会いは大切だ・・

#キャリー・メイ・ウィームズ    #社会的包摂   #写真とストーリーテリング

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