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ウィリアム・エドモンドソンの神からの彫刻(アウトサイダーアート)

・ウィリアム・エドモンドソンの神からの彫刻(アウトサイダーアート)
ウィリアム・エドモンドソン(William Edmondson, 1874-1951/US-彫刻家)

・ウィリアム・エドモンドソンは、アフリカ系アメリカ人 の民俗芸術(Folk art)の彫刻家だ。そして、広義に考えるとアウトサイダーアート(アールブリュット)のエリアに入るだろう。
ウィリアム・エドモンドソンの彫刻の動機は、「神から、vision(幻影)を受け取り、彫刻を始めるように言われた。そして、彫刻の素材は、解体された建物から廃棄された石灰岩、等から、まずは墓石を彫り続けた。そして、ある時期から、庭の装飾品、聖書の登場人物、天使、鳥や動物、ヌードのフィギュアから、ノアの箱舟まで、装飾的な彫刻(オブジェ)を彫り始め、それらは、贈答、そして、販売もされていた。
微妙なテクスチュア (Texture) が魅力的だ、そして、その不条理を超えて、実にキュートな世界だ。

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(cc)William Edmondson

略歴-William Edmondson
ウィリアム・エドモンドソンは、小作農の6人兄弟の1人として生まれ、その後も、生きるために農園(プランテーション)で働き続けた。そして、教育は受けていない。
ある時、仕事のとうもろこし畑で、雲の中の天使を見つけて、それは、神のお告げと信じていた・・

エドモンドソンは、16歳になった時、プランテーション(plantation) で働き続けることを拒否し、ナッシュビル(Nashville-テネシー州)に移った。
セントルイス鉄道(Nashville, Chattanooga and St. Louis Railway)の店で仕事を得た。
その後、1907年に鉄道の店で負傷した後は、エドモンドソンはナッシュビル女性病院の管理人として働いた。
それは、1931年に病院が閉鎖されるまでだ。ウィリアム・エドモンドソンは、とても、真面目な性格だ。
その賃金で控えめな土地(エッジヒル-隔離された地区)を購入した。
彼は、 今で言う「Black Lives Matter-社会運動」のような社会運度に動じることなく(BLMの評価ではない)、淡々と生き抜いていた。
また、母親のジェーンは、最後に、そのプランテーションを去った最後の人だった。(奴隷解放宣言は1862年だ)
そして、ウィリアム・エドモンドソンは、生涯、独身のエドモンドソンは、母親と妹たちと暮らすことになる。
1922年に、母は亡くなり、妹と暮らす、そして、1931年に病院が閉鎖されるとアルバイトで生計を立てた。
1934年から、60歳の高齢(当時としては)で墓石の彫刻を始めた。それはアルバイトの余暇で、自宅の裏庭で、彫刻し、そして、友人に贈答、また、販売もしていた。
それは、1948年まで、続いた。
1951年2月7日に、ナッシュビルの自宅で没、76歳だった。

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William Edmondson


ウィリアム・エドモンドソンの彫刻は、スミソニアン美術館(Smithsonian American Art Museum)や、チークウッド植物園と美術館(Cheekwood Botanical Garden and Museum of Art /ナッシュビルの元チーク家の住居)等々に展示された。

(註)リンカーンの奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation/アメリカ合衆国憲法第13修正)が、1862年だ。
繰り返すが、ウィリアム・エドモンドソンは、真面目な性格だ。
生きる事の不条理も超えて、淡々と生き抜いた。
それは、彫刻、そのオブジェのシルエットに現れているようだ・・・


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