画家ジョージ・ベローズ:20thはじめのリアルなアメリカ
ジョージ・ウェスリー・ベローズ(George Wesley Bellows,1882-1925/アメリカの画家、そして岩石学者)
ニューヨークなどの都会の下町や、いわゆる労働者階級の生活を写実的に描いた画家だ。*アシュカンスクール(アシュカン派)の創立メンバーだ。
主には、ストリート、風景画やスポーツなどをモチーフとしている。
Cliff Dwellers (崖の住人)
(cc) George Bellows
略歴- George Bellows
1882年、コロンバス(オハイオ州)に生まれる。
1901年、オハイオ州立大学で英文学を学ぶ。同時期に、地元の画家から絵を習った。その結果、オハイオ州立大学の年鑑に自分の作品が載せられた。
1904年、画家を志して、ニューヨークで、パーソンズ・スクール・オブ・デザイン(Parsons School of Design/パーソンズ美術大学)で、ウィリアム・メリット・チェイス(William Merritt Chase、1849-1916/アメリカの画家)に学び、また、そのパーソンズで教えていたロバート・ヘンライ(Robert Henri,1865-1929/アメリカの画-アシュカン派の核)と知り合い、ロバート・ヘンライはベローズの生涯に渡る師となる。
そのロバート・ヘンライは、1908年に、保守的なナショナル・アカデミー・オブ・デザイン(National Academy Museum and School)の展覧会に対抗し、モーリス・プレンダーガスト(Maurice Brazil Prendergast,1858- 1924/アメリカの画家)たちと「The Eight」(8人展)を開催した。
その「The Eight」の流れは、*アシュカンスクール(アシュカン派)となるが、ジョージ・ベローズもアシュカン派の代表的画家の1人となる。
(註)*The Eight とは、グループ展であるが、審査員もなく、賞も設けない、オープンな展覧会という趣旨だった。これが母体となり、アシュカン・スクール(アシュカン派)が構成される。
その*アシュカン・スクール(アシュカン派/Ashcan School/ニューヨーク)とは、20th初めの芸術運動で、都市と現代の日常生活についての特定の真実を伝えたいという願望で構成されていた。
1910年、風景画やスポーツ画から、結婚(美術学校の学生)して、2人の娘ができた後は、家族を題材にした人物画も描いている。
1911年以降、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(The Art Students League of New York)で教鞭を取っていた。
1916年、ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン(National Academy of Design/ ニューヨークの国立美術館と美術学校)の会員に選ばれた。
1925年、ニューヨークで亡くなった(虫垂炎の手術後の腹膜炎)、42歳だった。あまりに・・夭折だ。
(追記)ジョージ・ベローズのCliff Dwellers (崖の住人)など、写実的にアメリ合衆国を、そして、当時のニューヨークの移民問題等の現実を描いている。その移民も含めて、そのシーンは、ユナイテッド・アメリカと言うことで共存すべき事実だろう。
その伝達に使うチャネル(媒体)は、プレゼン(言語)で、また、文章で語ることも不可欠だろう、そして、写真と言う手段も当時はあった、しかし、絵画の手法で、画家の視線で、その極を伝えることは、100年経った、今も、そこにある現実を感じる。百聞は一見に如かず・・と言うよりも、それは、今も起きている事だからだろう。