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デュシャンの制服を考える

デュシャンの制服
デュシャンは、私たちが「男」または「女」として、社会から記号化された存在と考え、その延長上に、デュシャンは、職業自体が、社会が人間にお仕着せる記号と考えた。
シンディ・シャーマンより、60年前だ。
それらの制服はまるで拘束服のように表現されている。デュシャンは、職業自体を社会が人間にお仕着せる記号と考えているからだろう。

デュシャンは「大ガラス」で「お仕着せの制服の墓場(九つの雄の鋳型)」の部分として「男」の記号を表象化した。その部分には、チェスの駒からヒントを得たといわれる、胸甲騎兵、憲兵、召使い、デパートの配達人、カフェのドアボーイ、僧侶、墓堀人、駅長、警官の九つの制服が拘束服のように並んでいる。人が社会性の中で鋳型にはめ込まれて、人としての本来の姿からかけ離れた状況を表している。

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                    Fig. 大ガラス-お仕着せの制服の墓場

男性がその職業の社会的地位によって、自身の存在が定められたかのような傾向が多分にある。
これに対して、
その当時の女性の場合は、その存在を規定するのは、養う者(主人)を介した社会によってあらかじめ押し着せられた「女」の記号であった。
それは、その記号によって、女性がどのような職業を選ぶか以前に、「女」としての生き方が問題視させれている。

そして、シンディ・シャーマンは、それから、60年後、*スチール写真によって女性にお仕着せられる「女」の記号を表象化した。

*シンディ・シャーマンの記号
「女性」の記号としてのシンディ・シャーマンは語る。 
「もし、私がこの時代とこの場所に生まれていなければ、こうした表現をすることはなかったでしょう。そして私がもし男だったら、このような方法で作品を生み出すことはなかったでしょう。」

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         Fig.「Untitled Film Still #21 」, 1978 - Cindy Sherman 

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 Fig.シンディ・シャーマンの記号 etc....    (c)Cindy Sherman 



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